メタゲームは市場か?

プロカードゲーマーはサルには負けないが

メタゲームと市場は似ているところがある。多くのプレイヤーの判断によりゲームが作られ、その中で判断をしなければならない。

他のプレイヤーの判断はどのように決定されるかわからず、その不合理性を含めた予測が必要であり、それは必ずしも数字と論理で詰められるものではない、という話を以前書いた。

今回読んだ種本はこれ。

タイトルからして、プロの投資家ですら完全な判断はできない、というような話だろうかと思ったが読んでみると逆だった。投資のプロたちは優秀であるがゆえに、サルに負ける(ランダムに株を買った方がマシという意味)らしい。

どういうことかというと、株で儲けるということはつまり、割安の株を買うか、割高の株を売るということである。しかし、市場にいるプレイヤーはプロが大半で彼らは勤勉かつ優秀である。割安あるいは割高の株というのはつまり適正価格からの歪みであり、投資のプロたちはすぐにその歪みを見つけて割安/割高でなくなるまで売買される。結果、適正価格が保たれ、売り買いして得する株はなくなる。参加者の大半がプロということは、なされる売買の大半がプロ対プロということになり、このときどちらかが得をするならもう一方は損をしていることになる。プロは調査にコストをかけているため、その分損をする。ということらしい。

既に最適化された市場全体に投資し、プロたちの努力にタダ乗りできるインデックス投資こそがたったひとつのクールなやり方というのが本の結論である。株の適性価格とはそもそもなんぞやという話はわかりやすくしっくりきたので筆者のような金融に興味のある初心者におすすめ。

以上の話をメタゲームに置き換えてみる。メタゲームを読んで有利になることはできない。なぜなら、そういった歪みはすぐ修正されるから。プロの選んだ、というか既にできたメタゲームから上位の分布確率通りにデッキを選ぶのが一番。…とは当然ならない。市場のプロほどプレイヤーが優秀じゃないし、市場ほどすぐに傾向を反映しないためである。全体の判断よりも何が勝ち上がるかが重要でまた、収束する点も均衡点にそこまで近づくかわからない。ゲームは徐々に動く部分もあるが大きなイベントなどをきっかけに一度に動く幅が大きい。マジックのプロ(プロというのはなくなったがなんかプロと呼ばれてるうまい人)のデッキ選択は普通にいいことが多い気がする。とはいえ、時にサルに劣るような変な選択をする。その理由の説明としては冒頭で引用した拙記事の考察でやはりあっていると思う。メタゲームの予想は現在地点と進んでいく方向を推定し、どの程度その方向に進むかという、平均の2/3予想ゲームのようなものであるという考えだ。

この市場に対する理解は直接TCGに使えそうではないが、「この状態になれば他プレイヤーを出し抜くことはできない」というモデルを示してくれてはいる。つまり、その状態と現実の乖離がどこにあるかという視点で物事を見ることで効率的に他プレイヤーを出し抜くチャンスを見つけられる可能性がある。メタゲームからプレイヤーの認識の歪みがどこにあるかを分析する、進む方向がどちらでその進行がどの程度の速さであるか予測する等。

この話題は以上。勢いで書き始めたが思ったよりこの文脈では市場とメタゲームの共通点なかった。申し訳ない。

他の観点で投資とメタゲーム予想の大きな違いといえばTCGでは分散投資によるヘッジのようなことができないことがある。結局一個のデッキしか選べないので個別株一点張りの状態にならざるをえない。市場よりも予想がしやすそうではあると思うがそれでもメタゲーム予想は普通に外れるし、いつも当てているように扱われている人も当たると勝つから目立つだけで外す時は普通に外しているように見える。それに当たりはずれは運による要素も大きい。それが実力により必然的に当たった雰囲気になるのは、自己帰属バイアスが共通して背景にある。種本とは順序が逆だがその話をする。

こちらの方がためになることが書けそうなので、そちらが本編で今までは前書きということにしよう。そうしよう。ここまでは前書きです。では本編いってみよう。

二値化された結果と自己帰属バイアスの作る袋小路

種本の導入は、そもそもなぜ世界には「投資で絶対勝てる」みたいな本が溢れているのかという問いだ。中には本を売るために嘘をついている人もいるかもしれないが、実際に儲かっている人もいる。市場には勝てない(と本ではなっている)のにそのようなものが溢れているのはなぜか。この原因が自己帰属バイアスである。仮に、仮に50%の賭けを連続で10回成功させなければいけないメソッドがあったとする。この成功率は0.1%ぐらいだ。いいメソッドではないが、1,000人いれば一人ぐらいそれに成功する人が現れる。うまくいったら自分の実力、うまくいかなかったら運のせいと考えるバイアスが人にはあるため、そのメソッドを本当は良くないものでもいいものとして外に出す人も現れるというわけだ。

これは実によくわかる。MTGはなんとなく、筆者が感じているだけかもしれないが(だとするととてもいいことだ)、「負けた者は黙るべきである。勝ってこそ発信する権利がある」というような風潮がある。だから目に入る記事は大抵何かで勝った人のものなのだが、中には「それって偶然うまくいっただけの全然よくない取り組みじゃないか…?」と思うものも多々あるのだ。

(念のため誤解のないように言っておくと、「しょうもない記事を書くな」という意図は一切ない。人なんかどこまで行っても誤るものなんだから、それよりむしろ負けても勝つ前からどんどん記事を書いて欲しい。負けた程度で筆を折るな。貴様の情熱はその程度か。練り上げた情熱と負けた鬱屈を記事に吐き出しやがれ。全否定全肯定じゃなくて負けたけどこの部分は良かったっていうのが見たい。俺はそういうのが好きなんだ。)

筆者が言うまでもなく、自己帰属バイアスに関するTCGでの教えのようなものは定期的に見かける。メタゲームに限らず、全ての選択におけるもっと一般的な話だ。

曰く、「負けるとすぐに運のせいにする人がいるが、その前に直せる判断を見直して本当に勝てなかったか考えろ!」みたいなことである。

この教えは正しい。全くもってその通りだ。だが、二つ、ちょっと思っていることがある。まず一つとして、それは正しいんだけど、いい助言であるかはまた別ということだ。正しさのあまり、それ使われすぎてないか。事故って負けたときに、本当に事故だけが原因?とか言われたら普通にむかつく。そりゃ、絶対じゃないけど、大きな割合で事故が原因だから愚痴らせてくれよ。人の心ってもんがさ、あるだろ。
(こんなことを言うと一緒にカードをやっている友達には「お前、俺が負けた時には容赦なくボロカス言ってきたくせに」と突っ込まれそうだ。いや、ごめんて。)

もう一つ思うのは、こちらがこの記事で一番言いたいことであるのだが、もう一個次の段階に行くべきなんじゃないかということだ。負けて運のせいにして成長しないレベルの奴いる?競技的にうまくなりたいと思ってやってたら、そんなおらんくないですか。自分がしてきた努力をしてない人に制裁行動したい心理が働いてほとんど存在しない人の話をしていませんか。

これを言う人は多分負けたけど悔しさから逃げずに向き合って改善してきたのだろう。偉い!でもそうじゃない人ってそんないるのか。それより先のところのことを考えたほうが建設的ではないか。

投資ではもっと勝ったという人が世界一にならなければ常にいるし、もっと勝てた選択肢があったこともわかる。しかしTCGでは勝ち負けという二つの値に結果が狭められてしまうが故に、まだまだ改善できる平均よりちょっといいだけの結果もいいものとしてひとくくりに見てしまうことがある。

だから勝ったゲームから学ぶ機会をなくしていないかということ。

一勝はスコア上一勝なので勝ったらじゃあ良かったとなってしまいがちである。これは大変に勿体ない。実際、負けたゲームより良くないプレイをしたにも関わらず、マッチ運が良かったり、相手の引きやプレイが良くなかったせいで勝ってしまうことはよくある。競技的にやっていれば大抵勝率は5割を超えているだろう。じゃあ半分以上の学ぶ機会を失っているわけである。

負けたら改善するのは直感的だが、負けても改善しなかったり、勝っても改善点を見つけたりするようになるともう一歩前に進むということだろう。勝ち負けというわかりやすい基準ではなく常に改善できる点を自身で探せると一歩前に進んだ感じがする。勝ち負けとは別にいいところはいい、悪いところは悪いと言える、そういう当たり前ができると「絶対勝てる〇〇」みたいな安直な容易な回答(シルバーバレットバイアス)から脱して世界が正しく見えるだろう。

前回、当たり前のことを当たり前に見るのは結構難しいという話を書いたが今回も似たようなところに落ち着いてしまった。もっとバリエーションを出していくつもりなので、面白いと思った方は私のただ一つの読むだけで絶対にTCGに勝てるようになるこのnoteをフォローしてください。

またね。


おもろいこと書くやんけ、ちょっと金投げたるわというあなたの気持ちが最大の報酬 今日という日に彩りをくれてありがとう