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ケアしないという選択

 「ケア」という単語を我々TCGプレイヤーはよく使う。ゲーム中にする選択は他の選択よりもそれをすると勝てるからするのだ。ケアも当然そうだ。ここではケアとは何か、なぜケアをするのかを改めて考えてみる。

ケアの定義

「ここってケアする?」
「うーん、ケアしても勝たんからケアしないかな」

 TCGプレイヤーの間でケアという外来語はなじみ深いものである。上のような会話はDiscordで画面共有をしながら仲間とプレイについて議論し切磋琢磨するならばよく起こるものだ。

 一方でcareに否定のlessをつけたケアレスという外来語はTCGプレイヤーでなくとも、慣用する。数学のテストで簡単な計算ミスを残すこと。書類の記入欄を一つ飛ばしたり、記入内容を誤ること。それを注意深く行うことや、その内容を確認することで回避できるようなミスをケアレスミスと言うと思う。

careとは

気にかかること、心配、気がかり、不安、心配事、心配の種、気にかけること、(細心の)注意、配慮、気配り

weblio

carelessとは

不注意な、軽率な、そそっかしい、(…に)不注意で、不注意で、うかつで、ぞんざいな、いいかげんな、不注意でした、のん気な

weblio

 careの意味の一つである「注意」を欠いている「不注意」の意味で「ケアレス」という言葉が用いられるわけだ。

 ではTCGのケアをしないような状況はケアレスであるかというとそうとは限らない。(念のため、日本での使われ方の話で本来の単語の意味の話ではない。)

 自分の場に3/3のクリーチャーがいて相手の場にいるクリーチャーは2/2が一体のみだが、相手がコンバットトリックを持っているかもしれないから攻撃しなかったとき。「バットリをケアした」と言うだろう。

 手札に強力なフィニッシャーがあり、場に出せば大きく有利になるが、相手が打消しを持っているかもしれないから出すことを保留したとき。「打消しをケアした」と言うだろう。

 手札に出せるクリーチャーがありマナもあるが、既に場に十分な打点を出せる数のクリーチャーがあるので出さなかったとき。「全体除去をケアした」と言うだろう。

 それに対し、攻撃した結果コンバットトリックでクリーチャーを失ったり、大事なフィニッシャーをカウンターされた場合。確かにコンバットトリックや打消しを相手が持っている可能性を失念していたのであればケアレスミスと言うだろう。一方で、相手が打消しを持っている可能性と持っていない可能性を注意深く慎重に検討したが、やはりフィニッシャーを出す選択をする場合もある。注意深く慎重に、つまりケアレスどころかケアフルである。

 ケアレスミスというのは一般的に深く注意をすることでなくすことができ、積極的になくすべきだ。しかし、ケアレスミスをしないために常にケアをしろ、というのはTCG界隈で使われるケアの意味合いではおかしい。

 ケアとは次のような意味で使われていると思う。少なくともこの記事ではこの定義で使用する。
 選択肢が存在するとき、非公開情報である相手の手札に特定の妨害札を想定し、相手がその妨害札を持っていなかった場合であればより有利になる選択が存在するにも関わらずそれとは異なる選択をすることをケアと言う。


ケアという概念

 なぜケアが存在するのか。「~かもしれないから」、というケアが存在する理由はMTGが完備情報決定性ゲームではないからだ。相手の手札はわからず(不完備情報)、引くカードは基本ランダムである(非決定性)。

 囲碁や将棋のような非公開情報や確率要素のないゲームの最善手の決定には、お互いが相手が取りうる行動を全て把握している。あなたが選択をすれば、全ての情報が相手に伝わるし、それに対して相手ができる選択の全てをあなたは知っている。そのためお互いが相手が自分にとって一番嫌な選択を取り、その次は自分、また相手と数手先の状況を逆算した選択を取る。

 終盤であれば勝ち盤面になるよう、あるいは負け盤面にならないように逆算可能である。しかしある程度ゲームが終わりに近づくまでは最終盤面までの道のりは長すぎて逆算できない。いくつか先の盤面を想定して、その中のどれに行きたいかという視点で取る行動を決めるだろう。

 決定性完備情報ゲームでの強さは、何手先まで読めるか読んだ先の盤面を評価し比較する能力で決まる。

 MtGは将棋に比べれば各手番で取れる選択は少なく、有利不利の判断は比較的簡単であると思う。将棋とは違う難しさは相手が取れる選択肢がわからないことだ。強さを決める要因に相手の手札を絞り込んだり、複数のパターンへの対応を考える曖昧性への対応力が含まれる。ここで「〇〇があるかも」と不確定なありうるアクションに対するケアが発生する。

 曖昧性への対応の方法に確率的推論やそれまでのゲームの遷移からの読みがある。これらの議論は人気のあるコンテンツであるが、初心者や練習をしてもうまくならないプレイヤーにはそれ以前のケアするかどうか、する意味はあるのかという思考が欠けているように思う。

 本記事の残りでは確率要素を含む意思決定を定式化し、その判断基準について典型的な具体例を示す。

確率要素を含む意思決定

 不完備情報ゲームの話を始める前に、完備情報決定性ゲームの意思決定の手順を確認する。図はお互いが2つの選択肢を持つときの2手先までの探索をするというゲームを極端に単純化したモデルである。

完備情報ゲームでの判断

 起こりうる状態で一番嬉しいのは80%有利の [状態6] であるが、そのためには [状態2] を経由しなければならない。しかし、 [状態2] で相手はあなたが30%しか勝てない [状態5] へ行く選択をするだろう。[状態1] へ行った場合も同じことが起こる。

 相手が取るであろう選択を考えると、行くことができる状態は3と5のみ。 [状態3] の50%は [状態5] の30%よりよいので、[状態3] へつながっている [状態1] へ行くのが正解である。

 これがMTGだとどうなるであろうか。自分と相手が共にイゼットを使用していて図のような状況でターンを迎えることを考えてみる。

例として考える状況

 簡単のために、《黄金架のドラゴン》は一度場に出ると処理できないとする。《黄金架のドラゴン》を唱えてカウンターされなければ、処理されず宝物を出してそのまま相手の《黄金架のドラゴン》に対しカウンターを構えることができるので、大きく有利になる。一方でカウンターされるとマナが足りずにカウンターが構えられなくなり、相手の《黄金架のドラゴン》のキャストに対応できなくなる。

 この状況を図のようなゲームと考えてみる。

 先に出した例えとの最大の違いは相手がカウンターするという選択を取ることができるかわからないことである。先の例で考えたゲームでは、相手は絶対に相手が有利になる選択を取ってくるため、各状態からの勝率は相手の選択の一つ先にあるものの中で最悪なものと考えることができた。一方でこの例では [状態2] の評価値は [状態5] にしか行けないので[状態5] と同じ。 [状態1] から勝てる確率は「(相手がカウンターを持っている確率)×( [状態3] から勝てる確率)+ (相手がカウンターを持っていない確率)× ( [状態4] から勝てる確率) 」と期待値により与えられる。

 この判断に関わるのは相手の取れる行動の確率の予測その後の状態の評価である。

ケアするかの判断因子

 典型的な要因を挙げケアすべき場合、しない場合を考えてみる。

①確率の高低を考えることができる根拠がある場合

 今までのゲーム展開から相手の手札を予想できる場合。例えば一度相手の手札が0枚になったとする。こちらのフィニッシャーをカウンターしたうえで、こちらがタップアウトした返しにフィニッシャーを出してくる確率は低いのでフィニッシャーを唱える、という判断ができるだろう。
 逆に占術で上に置いたカードを相手が持っているにも関わらず、それより前のこちらがタップアウトしたタイミングで相手が何もしなかった場合。相手の手札がカウンターである可能性が高いのでフィニッシャーを唱えるのを後回しにするという判断ができるだろう。

 ハンドリーディングの話は奥が深く、ブラフの話などを始めると筆者のボロが出る…もとい紙面が足りないので、進んだ話は読者の調査と研究にお任せする。

②既にある有利不利

 何でケアするのかと言えば、ケアすることによって勝ちに近づくからケアするのだ。

 先ほどの《黄金架のドラゴン》の例は同じデッキの対戦で同じ枚数の手札という想定であった。ここで、「あなたのデッキは対アグロにチューンし2点や3点の《黄金架のドラゴン》を殺せない火力を多く採用しており、相手は対ミラーにチューンしカウンターやドロソを多く採用している」という設定を追加してみる。この場合相手のほうが有効なカードがデッキ内に多いため、お互いにドローを進めれば相手は有利に、あなたは不利になっていく。現状維持で勝てる見込みがないので早めにフィニッシャーを出して勝負を決めに行くインセンティブになる。
 そうでなくても、あなたはマリガンスタートで手札が2に対し、相手は毎ターン綺麗にマナを使ってドロソを連打、手札が7枚という場合も似ている。加速度的にさらに不利になるよりは現状の見込みが低い勝ち筋をこれ以上低くなる前に仕掛けるべきと判断できるかもしれない。

 既に不利な場合はある程度のラッキーがなければ勝つことができない。ケアはアンラッキーからの負けを防ぐためにするものである。ケアできない状況ではケアしようとすべきでない。


 では、逆にあなたが有利な場合。先ほどの例のあなたのハンドに、加えてもう一枚のカウンターの《否認》とドロソの《記憶の氾濫》があると考えてみる。

 カウンターを構えながら手札を増やせるのでこのタイミングで勝負を決めにいくメリットは薄い。すれば勝てるケアなのでするべきである。

③手札のカードの平均値と最大値、最小値を考える

 2マナの《軽蔑的な一撃》で5マナの《黄金架のドラゴン》を打ち消す状況は理想的である。では《否認》で《婚礼の発表》を打ち消すのはどうだろうか。

 これも2マナで3マナのカードを打ち消しているので得している。やはり嬉しい。ただ、うれしさは《黄金架のドラゴン》を打ち消す場合に比べると劣る。さきほどとは少し違うカウンターか構えるかの例を考えてみよう。

 相手がエスパーミッドレンジ、あなたがアゾリウスアグロの後攻2T。カウンターを構えるかソーサリータイミングのクリーチャーかという択はさきほどと同じであるが、ゲームのより早い段階での例である。

 2マナに《光輝王の野心家》、3マナに《婚礼の発表》と、ソーサリータイミングのアクションがマナカーブに沿って綺麗に揃っている。もしここで《光輝王の野心家》を出さずにターンをパスしたとして、相手の《婚礼の発表》を《否認》してこちらだけ《婚礼の発表》を通すことができれば最高である。しかし、《否認》を構えて《否認》できるアクションを相手が取らなかったらどうなるか。また、ソーサリータイミングの《婚礼の発表》か《否認》かという選択を迫られることになる。そしてもはや3マナを構えて使う《否認》は1ターン前の《否認》ほどは強くない。

 この例では《否認》を構えるという選択が裏目になったとき、さらに一つ先のターン、もう一つ先のターンと連鎖するように行動が弱くなる。

 《否認》を構えずに《光輝王の野心家》を出した返しに《婚礼の発表》を使われても、こちらも《婚礼の発表》を使うことができる。

 何か一つの選択をするということは他の選択を捨てるということである。ベストを追って不安定な行動をとるよりも安定した行動を取ることがより高い勝率をもたらすかもしれない。

 この考え方はサイドボードの段階にも必要である。サイドのカウンターや除去は対象になるカードが相手のデッキにあるから入れればいいというものではない。この例のような状況を作らないようにデッキ構築やサイドボーディングをすることも一種のケアである。

 ここまでは相手の手札がわからないという不完備情報性に対する考えを述べた。自分の引くカードがわからないという非決定性についても似た考え方ができる。

あとがき

 少し前にアドバンテージに関する考え方を書いたところ反響があったので今回はケアについて書いた。

 今回はゲーム木っぽいものを説明のために作っているところで、「あれ、もしかしてこれゲーム理論的にすごく変なことを言っていないか?」という疑問を感じる。

 で、こちらを買って読んだ(アフィリンクではありません。)

 このような入門と謳った分厚い本はだいたいタイトルに反し難解なものだと思っていたが、例が多く読み物として面白かったのですらすら読むことができた。
 のだが、厳密なゲーム木描いてたら予備知識のない初心者にも読んで欲しいという趣旨に反するな、と読み終わってから思う。
 そしてゲーム木っぽい何かを使った本記事ができた。茂里木とでも呼んでくれ。
 なのでTwitterを見てゲーム理論×MTGみたいなのを期待した方はすみません。上の本を読んで書きたいテーマが見つかったのでそういうのはまた今度書きます。

 それとは別に、カードゲーマーにとってゲーム理論を学ぶことは有意義である。私のガバガバな説明よりもしっかりとした理論を体系立てて学びたい読者におすすめしたい。例えば「プレイの一貫性」と呼ばれる概念は「信念(belief)」として提案されている概念と同じようなものだと思う。このようなMTGにおける考え方の基礎となる様々な概念を学ぶことができる。

 次回もまた基礎的な概念を改めて再考する記事を書くか、あるいはゲーム理論を学んだうえでのデッキ選択戦略の考察を書こうと思う。

 それではまた。ご覧いただきありがとうございました。

おもろいこと書くやんけ、ちょっと金投げたるわというあなたの気持ちが最大の報酬 今日という日に彩りをくれてありがとう