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徒然なる日常の戯言#1 情報発信って難しくない?

テーマ「徒然なる日常の戯言」では、日々自分が感じたこと、考えたことを特に構成などは気にせず、つらつらと書いていきます。


noteを始めて、というか始める前から思っていたのですが、タイトル通り、情報発信って難しいなって思います。

自分がそう感じるのには3つあって、

・常にインプットをしないといけないこと

・それを踏まえ、自分の意見や考えを入れ込むこと

・相手の感情に何かしらの影響を与える文章にすること


一つ目ですが、やはり情報を発信するからには、情報収集が必要ですよね。自分は今までため込んできたものがあるので、しばらくはインプットなしでも発信できると思うんですが、ネタが尽きてくるとやはり情報を収集しないといけないなと。

情報収集して、意見まとめて、それを文章にして、発信ってなかなかな労力だと思うんですよね。ずっと継続して発信し続けている人ってすごいなと。言葉が幼稚ですみません。。

とりあえずその人はそれだけアンテナが張っているってわけで、日常の生活でも仕事や家事など他のこともあるのに、そこまで力を入れれるなんて、素晴らしいなって思います。


二つ目は、やはり自分の意見を組み込まないと、その記事や投稿には意味ないなと思います。それだったら元ネタのURL貼ったらいいだけですよね。

ということを前提にし、自分の意見を 「ちゃんと」 入れ込むのには、自分の中で常にそのことについて考え、整理しておく必要があるのだなと最近感じます。じゃないとその投稿や記事の内容が軽くなる。重みが出ない。

考えておく、整理しておくことで、新しく得た情報とすでに自分の中に持っている情報をつなぎ合わせる。そうすると新しい発想も出てくるし、発言にも深みが出てくる。


三つ目は、先ほどの内容と被るのですが、相手の感情を揺さぶる内容を作らないとその人の中に残らないのでは?ということです。(少なくともそうありたいとは自分で思っております。)

noteというこのようなサービスがある、そしてそこに人が集っているということは、誰しも承認欲求があるということです。創造するの欲求が解消されたその先は、承認欲求が待ち構えているはずです。私もそうです、承認欲求の塊です。笑

この三つ目の要素については、割とこのサービス内では重要でないかなと。他人から承認されたいから記事を投稿しているわけで、人を惹きつける、何かを感じさせるような文章を作らないとnoteをやっている目的が果たされないわけですから。

しかし人の感情を揺さぶるような文章って難しいですよね。相手の感性もあるし、自分の元から持っているセンスに頼るところもかなり大きい。もちろん、見せ方も重要でしょう。こんなつらつら書いてる文章じゃ誰にも伝わらない。笑

いろいろ見ていって思った一つの方法は、

きれいごとだけでなく、自分の素や本音を出していくことで、人に何かの影響を与えることができるのではないかな

と思いました。血の通った言葉というか。。

理論とかフォーマットだけを述べるだけじゃなくて、それに基づいて、実際に動いて、観て、聴いて、感じたことを伝えることができれば、それだけでも十分に影響を与えれるのでは?と考えております。

相手の感性に訴えかける文章を作るのには骨が折れますが、本音書くだけだったらまだ楽かなと。むしろ本音書くことが相手の感性を揺さぶるのではないかと。

「大きな嘘の木の下で」というOWNDAYSの田中社長が書いた本がまさにそれでとても説得力ある文章でした。さすが、世界レベルの企業の社長は違うなーって思いました。


自分の記事を作成していた際にしみじみ感じたことでした。まだ書きたいこと一つもかけてません。よく伝わる文章の作成方法があれば、教えていただきたいです。。笑


以上、戯言でした。



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