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20180925 | 向こう側

※こちらで登場する展示について、シンプルに写真メインで綴った別記事、ザイゼンワカコ個展「B面の向こう側」@吉祥寺・にじ画廊 あります。
この日記には、展示に行って感じたこと、より個人的な気持ちが強く表出してます。
「向こう側」という言葉にフォーカス☟


雨の吉祥寺。
最終日に滑り込み。

昭和の名曲のひとつに、山口百恵の「さよならの向う側」というバラードがある。
最近、この曲をカラオケで熱唱したのだけど
さよならの向こう側には何があるのだろう?と、安直に言えば不安と期待が入り混じる思いになった。
悲しみの果て とはまた違うよな、なんて思ったり。
さあ、ハナから脱線気味。
長くなる予感。
(編集後記:まじで長くなり、展示の感想じゃなくなってたりもするので写真追うだけでも〜〜!)


「向こう側」という言葉は、なんともドラマチックな響きだ。
情景や状況、感情などなにかと匂ってくる。

遠景、山、川、海、街、壁、窓、扉、カーテン、木、ファインダー、境界線、内側、外側、越えてゆきたい、越えてゆけ、遠くへ行きたい、もしくはここに居たい、ここじゃないどこか、何がある?、期待、不安、羨望、願望、妄想、夢、限界、達成、続き…
こんな風に想像を膨らませたり繋がってゆくこと自体が、「向こう側」かもしれない。

向こう側、という 想像力。

豊かに生きる為に必要なもののひとつとして「想像力」は欠かせない。
そんな想像力たちが物語のある絵となって、ギャラリーに並んでいた。


かわいさ/親しみやすさ/バックグラウンド/日常/色彩/空間/遊び心/…
インプットとアウトプットがまっすぐ直結しているような、MyFavoriteThings(わたしのお気に入り)が散りばめられ溢れ出している。

いろいろと展示を観に行くと、アートとはなんぞや?と思ったりすることも多いけれど、知っているモチーフや感覚的に「かわいい」「たのしい」「やさしい」「すこしふしぎ」というような感想をポッと出せる展示の堪らなさ。こどものようにたのしい。
これが好き、とわかることの安心感に包まれたことも展示をたのしめたひとつの大きな要因かもしれない。
(オープンゆえRelaxin')

今回、会場の至るところに、作品とは別でドライフラワーが飾られていた。
ザイゼンさんの家の近所にあるお花屋さんのものだそう。

自分という媒体を最大限に使って、好きなものやおすすめしたいものを自分から人に示せること。好きなものに対して、素直であること。
そうゆう人の作った空間に居れて、それだけで嬉しくなった。

作品だけではなく、そういうことを自然体でできることが素敵だなあと思いながら会場を見渡してカメラを向けていたら、
気づけば作品以上にドライフラワー、もしくはドライフラワー越しの作品を撮ってしまっていた。(当たり前ですが作品がいい。たくさん撮らせてもらったけれど、もっともっとよくよく撮りたかった)


ザイゼンさんとはどうやら同い年で、音楽の趣味も被っている。というか、わたしが音楽に熱心だった頃聴いていた音楽を今もちゃんと聴き続けている。響き続けている。
話をしている内に、わたしの第二の青春(22歳くらいのとき)であるandymoriやエレカシ、ブルーハーツ(もしくはハイロウズ、クロマニヨンズ)などをひどく聴きたくなった。
一番、あの頃が自分が好きなものに対して、素直だったように思う。

今も素直に感じるところは感じているつもりだけれど、人の好きなものに興味を注いでることのほうが多い気がする。
次から次へと面白いものや気になるものが流れ込んできて浮気がち。追いかけ切ることもできないのに、追いかけたつもりになってそのまま捨て置くなんてこともしばしばだ。
ひねくれものになってしまったきもち。KIMOCHI。(貴様に伝えたい)

こうして次から次へと浮かんだことを書き連ねていると気づくことがある。
わたしは〈好きなものに素直である〉〈変わらずに居られる〉ということに拘り(憧れとも言える)がある。
「人もいろいろも、いずれは変わる。変わらないものなんてない」
少し前まで、変わらないことを信じ過ぎてしまって、疲れていた。だから、半ば投げやりにそんな考え方を身につけて、大半を生き始めていた。

すこし、諦めが過ぎたかもしれない。
諦めのときは、もう過ぎたのかもしれない。
バランスが悪いので、つい、「過ぎて」しまう。
そろそろわたしも〈向こう側〉の尻尾に手を伸ばしても、いいのかもしれない。

行ってみたい、と思ったとき初めて、向こう側はきっと存在し始める。
思いを認めることから、始まることがある。
ある筈はなくても、あることを期待する。
諦めきれない、その思いが向こう側。

いいな。わたしも続きを見たい。
続きを見よう。


インプットをして、下手くそなりにアウトプットをする内に、わたしはわたしを見つけることが多々ある。
きっと、みんなそうなのだ。
とくに個人でSNSをしている人たちというのは(或いはしていなくても)、どこかで自分を見つける為にひけらかしている。

だけど、誰もが誰も、同じじゃない。
そのことをたのしめたらいいのだけれど、対立しないではいられない事柄もこの世には存在してる。
これもまた「向こう側」。

相手のことを思うこと。
想像力。
そろそろこの辺にしておかないと、この文章も終わらない。
向こう側が深まってゆくばっかりだ。
想像力が過ぎると、視野が狭くなって想像力が低下したり欠落したりする。
もしくは一時的にでも低下してたり欠落している人を遠ざけたりする。
(なんでも、ほどほどにしないとってわかってはいるんだけど)

A面をひっくり返して、B面を聴く。
その行為が、手間が、まずある。
CDにも、ましてやデータ音源にもない作業。

それからの、B面の向こう側。

そんなこと、考えたことある?(わたしはなかったよ)


会場のにじ画廊さん、実は初めてだった。
一階が雑貨屋のギャラリーということで親近感。(あけたても一階がギャラリーではないという点は大切にしたいことだったりする。)

質の高くハンドメイド品や作家のグッズが並んでいて、かわいさの塊だらけ。ふいに乙女になる。
おしゃべりが過ぎて、雑貨を見る時間がなくなってしまったので次はちゃんと雑貨も見に行きたい。ただしお給料日のあとにしよう。

好きなものは、いくつあってもいいよって誰かに教えてあげなくちゃ。
そんな気持ちになる、いつだって よいもの を見た後は。
よいものは、よい。


(編集後記その2:最後まで読んで頂いた方、いらしたらありがとうございます。乱文ですみません。あとは写真です、おたのしみください。)

最後に、会場内の写真撮影はOKとなっていましたがそれにしてもたくさん撮らせてくれたザイゼンさん、ありがとうございました。
(また、今回写真には収め損ねていましたが、ザイゼンさんが妹さんと作っているブローチのユニット「BlueSkirtWaltz」の品々もかわいかったです…なぜ収めなかった…)