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no.2

8月31日の夜、友人たちと
「まだ秋じゃない!夏はまだ終わらない!」
なんて息巻いていたのに、
その翌日散歩していたらやけに小ぶりでかわいい柿の木を見つけてしまって、小さい秋見〜つけた☺️って。変わり身早いな。

そのあとはじめて入った喫茶店で、ホット珈琲飲んで「これから益々ホットのうまい季節になってくんだなあ」
なんてすっかり秋なモードになって心の準備始めてたら、喫茶店の奥さんがつけたテレビで郡上おどりの春駒が流れて一気に気持ちが夏に戻される。

まだ宿題終わってなかった!
そんな感じ。
夏の終わりは人それぞれ、違う気がするな。

そんな感じだから、わたしにとってはぜんぶが嘘じゃないけどそのときの感情に従えば色々が嘘になってしまうから、カテゴリーとして嘘つきなんだなと思ったりしてる。
曲がり角のところで見え隠れしているのは夏の尻尾か秋の尻尾か。

喫茶店で久しぶりに「近日中の気になる展示やイベント整理」をしたら、行ける行けないに関わらず頭がスッキリとした。
習慣みたいなもので、定期的にこれをやらないと頭の中がぼんやりとして焦燥感に駆られる。(片付けが一向に進まない部屋で過ごしていてもそうなる。この焦燥感はなにかと言ったら、成せていないことに対してではなくて、成せていないことを諦めそうになる自分との鬩ぎ合いかなと最近思うようになった。諦めること、思考停止になることこそが怖いことなのだ)

きっと、スーパーの安売りの情報なんかをチェックする方が生活の為にはなるのだけど、それらはわたしの豊かさイコールではないらしい。

豊かさは必ずしも幸福なことだけではないと思うけれど、なんにしても気持ちが安定していないと成立しない。
安定していて初めて、豊かさに手を出す、もしくは気づくことができる。

ふと。不図。
昼下がり、恵比寿のNAdiffgalleryで開催中の田中麻記子さんの個展へ伺う。

この話、また別の雑記(「±0≒吐 | 20180901」https://note.mu/mado_k/n/n041002521ea4)として記しました。
興味あればそちらへ。