窓は開けておくんだよ〜

おはようございます。

知らない人は初めまして。
知ってる人は改めまして。
窓と言います。

SNS、これまでTwitter、FB、instagramを使っていたのですが。
ちょっと心機一転というか、他のアカウントを軽くしたいな〜と思い、言葉の逃げ場みたいな場所を探すここ数ヶ月。
これまでのSNSで別垢を作ったり、Tunblr、LifeCLIPそしてnoteでアカウントを作るだけ作ってしばらく放置して、ちょっと書いてみて、ウーン?
使い心地のよさやれ、自分の色(偉そう)との違和感とか、そうゆうものにピンと来たわけではないのですが、しばらくここで書いてみようと思いました。

そもそもなんでこれまで使ってたのではいけないか?というと、FBはもうなんか幽霊状態で、Twitterとinstagramがメインだったのですが「長いな〜肩凝るな〜〜情報過多〜〜〜」「一言だけのさらっとした投稿にしとこー?」と自分自身のツイートや写真投稿を見て感じるようになってきたのに反比例するかのごとく、ツイート&投稿を一旦打ち始めると、言葉が止まらなくなるという性癖みたいなものが発症。

格好良く言うと、言葉が溢れてくる!
(考えがまとまらないだけ、自己愛が止まらないだけ)

故に増えてゆく下書きの山。

生きていた言葉が死んでゆく!
大した言葉ではないけれど、たしかに自分自身の言葉!

とても個人的な話になるので割愛するけれど、
この半年程で言葉というものをひどく意識するようになり(それでいて口から出ていく言葉は未熟で虚しい)、そうしたら怠慢にとっちらかった暮らしをしていても、言葉と出会うことになった。
このタイミングには何かある!と信じることにして、ペンを取るに代わって、こうして画面をタッチしている。
運命というのは、いつだって、思い込みから始まる。
思い込めるほどの出来事に出会ったことが奇跡なのだ。(という思い込み)

今、わたしの中で核にしている言葉がある。

「真実は当人だけが知っている(知っていればいい)」
そのまんま。わたしの発した一言をあなたがどう理解しようと、わたしの中の真実があればそれでいい。また、真実を伝えれば正義というわけでもない。

「人に伝わってゆくのは常に物語である」
人から人へと伝えてゆきたいと純粋に思うものは物語のある世界であり、故に、終わっていない出来事。ラストシーンがあったとしても、続いてゆく。そして、それは架空であろうと真実であろうと伝えたいと思うもの。

「ことばは死んだ 口にされた時
そう言う人がいる。
わたしは言う。
言葉は生き始める。まさにその日に。」
ディキンソン詩集の中の一文を、
SUNNYBOYBOOKSさんの「It is sunny today?」より教えて頂いた。

そう、このわたしの中の「言葉との出会い」ムーブメントは勝手にだけど、SUNNYBOYBOOKSさんで得たものが多い。
古本屋でありながらいい展示が行われ、共通の作家さんが出入りするSUNNYBOYBOOKSさんは人見知りな上に同業のような人と接することを苦手とするわたし(しかも読書不精)にとって、稀有な存在だ。
店主さんの人柄のお陰だと思う。
遊びに伺うと、なんてことのない話を交えながら、気になる話を教えてくださる。
魚屋さんに行って魚の捌き方や美味しい食べ方を聞いて買い物をし、最近どうよ?息子さん元気?みたいな話をする感じだ。
個人商店のよさをそのまま、アート、カルチャーを背負ったお店が担っている。
表現者にとっては、それはとても頼もしいことだと思う。
そういうギャラリーやショップはSUNNYBOYBOOKSさんだけではない。
至る所にあって、こうして挙げてみたいのだがそれはまた追々。
一応、自身が始めたお店であるあけたての店頭には現状立っていないわたしだが、現店主あっこさんはわたしの母。年齢的にもみんなのお母さん的役割は担っているのだと思う。
わたしとしてはあけたてのアットホーム感、もっと前面に押し出したい。
気取らず、横浜の町の一角のお店として、やれることを考えている。
(気になった方はどうぞお立ち寄りを!)

と、こんな感じで徒然なるまま画面をタッチで長〜〜くなる。
とくに今日は見直しも編集もなし!
(のつもりでしたが、手直ししました)

今後、ここは気の向くまま、自由に編集して吐露気味ダダ漏れ、言葉の無法地帯のようになると思います。
つまりここは、ときにひどく重い。

他を軽くするために生まれた場所なので、悪しからず。
(ほんとに軽くなるのか不安)

今読んでもらった文章も常に変わってゆくかもしれないし、
違和感感じてもそのまま放置してる場合もある。言い訳がましいように聞こえるかもしれないけれど、人ってそんな単純じゃないのは事実だと思う。

ひとりの人間の中に、いくつの人格、特性があるか?可能性があるか?
明日あなたは生きてるか?に対して誰も明確に応えられないのと同じで、わたしはブレブレでいることを認めたい。ブレブレにブレないでいたい。

とは言え、自分の言葉に責任は持ちたい。
読んだ人は、そこにある言葉を受け止めてもらったらいい。
わたしにとってのその時の真実はどこかにまたあっても、それがあなたにとっての真実です。
言及、指摘されることを拒んでいるわけでもないです。
もし引っかかることあったら、言ってください。

では、今日はこれで。
最後にあけたてを知らない人へ、あけたてを表す決まり文句で今日を〆ます。(夜明けですけど)


イッテオカエリ
また会いましょう
どうぞ遊びにいらっしゃい!