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会話は3人がちょうど良い

集まって話すのには、3人がちょうど良い。
いつからか、そんな風に思うようになりました。


2人だと、会話が詰まるときも、もう一人いれば新たな話題が出てきます。
かといって、さらに増えて4人になると、2人+2人の組み合わせができてしまいます。

全員が全体の話に参加できる最良の人数は、3人なのではないでしょうか。


「3人寄れば文殊の知恵」というのは、理にかなっています。

独りで悶々と考え込んでは、文字通り「独りよがり」になってしまう。
2人では、意見が対立したときにどちらかが折れるまで決まらない。
しかしそこに3人目が加わると、2人の対立関係とは全く異なる角度から切り込まれ、議論が深まる。
そこにナイスアイデアが潜んでいるものだ。

昔の人たちはそんなことを経験則として知っていたのかもしれません。


ここで思いつくのは、3人で初めて「中庸」の可能性、つまり「どちらでもない」という選択肢の可能性が生まれるということです。
「犬が好き!」という人と、「犬なんか嫌い!」という2人が対立していたとき、
「好きでも嫌いでもないかな~」という3人目がいるかどうかは重要です。

同時に、「多様性」の可能性も3人から始まります。
「犬が好き!」という人と「猫が好き!」という2人が対立していたとき、
そこに「カワウソが好き!」という3人目が現れたら、選択肢がぐっと広がります。

一方で、2人から3人になることで、初めて「多数と少数」の状態が生まれるということも忘れてはなりません。
2対1という関係性が生じ得るということです。


関係性で考えたとき、
人が増えるということは足し算にはなりません。

2人のとき、関係性は間にある1か所だけです。
しかし、3人になったときの関係性は、
それぞれの間にある3か所に加え、3人全員という4か所目があらわれます。

関係性

つまり1人増えることで、関係性は4倍になっているということ。
関わりの可能性が4倍ひらけるというのは、実はものすごいことです。


この論理でいくと、人が増えれば増えるほど関わりの数はどんどん増えて良いかのようですが、実際はそうはいきません。
私たちは日本国民全員と関わっているわけではないことを考えれば当然でしょう。
人数が増えれば増えるほど、それぞれの関わりは濃淡が生まれ、多数派が生じたときのの権力差も大きく広がります。
100人いれば100種類のアイデアが出るわけではなく、
出たとしても私たちはそれを一つ一つ聞いたりはしないのです。

3人という数字は、
2人では得られない「中庸」「多様」「多数少数」の可能性が初めて生まれ、かつその可能性が広がりすぎない、
最小かつ最良の人数です。

3人全体での会話になりやすいのもポイント。

だから、3人での会話が私にとってちょうど良いのです。

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