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ゴスペル音楽と国際支援で、日本そして世界へ平和のメッセージを届ける NGOゴスペル広場 代表 Jennaさん

国内最大規模のゴスペルグループを運営し、その収益の一部で国際支援も行っているNGOゴスペル広場。「みんなで一緒に歌うことの楽しさを届けたい!」そして「 Peacemakerを作りたい!」と、国内外問わず、ゴスペルシーンへ新しいチャレンジをし続けるJenna(ジェンナ)さんにお話を伺いました。

■プロフィール
Jenna(ジェンナ)
NGOゴスペル広場 代表

「Sing in Unity. Live in Peace.」(ひとつになって歌い、平和に生きよう)を活動理念として掲げる「NGOゴスペル広場」を2008年に設立。誰でも気軽にゴスペルを歌いに来られる場として、「GOSPELSUQARE」「Sunnyside Gospel Club」「親子ゴスペルNeverland」を運営。メンバー総数は2000人を超え、国内最大規模のゴスペルグループへと急成長。
また、高校卒業後に単身でアフリカを訪れた経験から、国際協力活動として収益の一部を国際支援へ充てており、現在までの寄付総額は約3千万円。「ゴスペルx国際協力」というユニークな活動が、NHK「グランジュテ」、TV東京「地球VOCE」、朝日新聞、読売新聞、メトロポリスなど多数のメディアに取り上げられている。

2015年には、米モータウンの元プロデューサーであるJett Edwardsとともに「JAPAN MASS CHOIR」を企画。全国からゴスペルクワイヤが集結し、前代未聞の「1000人レコーディング」によって発売したデビューCD「POWERFUL」は、米ビルボードのゴスペルアルバムチャート第3位という快挙を達成。2016年10月には、クリスチャンミュージック界のグラミー賞である「ドーブ賞」にノミネートを果たした。

1.アフリカとの出会い、そして国際協力への道

記者:ゴスペルと国際協力というこの2つをやろうと思った最初のきっかけは何ですか?

Jennaさん(以下敬称略):NGOゴスペル広場は12年目になりますが、私の活動の原点は高校時代なんです。

まず国際協力の方からお話すると、これは高校時代にひょんなきっかけでアフリカにはまったのが原点になります。

記者:”ひょんなきっかけ”とは、どんなことだったんですか?

Jenna高校1年の夏休みに、たまたま思い立って市の図書館に行きました。それまで読書は苦手だったので、これが初めての図書館(笑)。そこで、イラストの多い「ゴーゴー・アフリカ」という本が目につきました。

アフリカ社会を身近な感じで紹介していたのですが、それを見て「人間臭さ」というか、「土臭さ」に惹かれました。

実は、高校の最初の頃の私は、人間関係がとても薄かったんです。単位制の高校で時間割が一人一人違うため、常に一人で行動していました。そんな私には、アフリカの村社会が人間の原点のように映って、とても魅力的でした。

そこから一気にアフリカにハマってしまい、ひたすら図書館に通って、「アフリカ」という名の付く本を片っ端から全て読んでいきました。完全に “アフリカマニア” です(笑)。顔を見て民族を当てられるほどでしたよ。

記者:顔だけで民族を当てるんですか?

Jenna県立図書館にアフリカの民族図鑑という本があって、ある時、その中で見た顔と同じ顔の人が、横浜駅でフライヤーを配っていました。「(ガーナの)アシャンティ族ですか?」って話かけたら、当たりでした。出身国を聞かれることはあっても、女子高生から民族名を聞かれるなんて思ってもみないですよね。向こうもビックリしてました(笑)。

あとは、社会の先生から「アフリカについて講義していいよ」と授業を一コマもらったこともあります。自分でレジュメを作って、アフリカの歴史と、衣食住の文化と、植民地化がそこに何をもたらしたのかとかを話しました。

記者:本当にアフリカが好きなんですね。実際にアフリカへ行かれたりもしたんですか?

Jenna高校在学中からずっとアフリカには行きたかったんですが、親には「危ないから一歩ずつね」と言われたので、高校時代はアフリカへは行けませんでした。

その代わり、旅慣らしとして青春18切符でいろんなところへ行ったり、オーストラリアへ2週間の語学留学をしたり。高校卒業直後は、徳島のユースホステルで1か月間住込みでアルバイトをしたりもしました。

それで漸く18歳の夏、NGO団体を通じて、西アフリカのトーゴという国へ約3週間のワークキャンプに行ってきました。トーゴ人10人と5人の外国人、計15人のメンバーでトーゴの田舎の村に行って、植林ボランティアをしながら共同生活をしました。私は唯一のアジア人でした。

記者:念願のアフリカへ行ってみてどうでしたか?

Jenna:とても楽しかったのですが、文化が好きで行ったアフリカで、はじめて「貧しさ」という部分を肌で感じ、いろいろと考えさせられました。当時の私には何のスキルもお金もなく、何も彼らの力になれるものがありませんでした。

でも、アフリカから見た日本は限りなく豊か。自分が日本に帰って何か行動を起こすことで、この人たちを助けられることがあるかもしれないと思ったんです。

それで何かしたいと思い、最初は自分で奨学金プロジェクトを立ち上げ、手作りのチラシ1枚で募金を呼び掛けてみましたが、なかなか集まりません。

次にチャリティコンサートを企画してみましたが、実行委員の率い方がわからず準備が思うように進まない、しかも準備中に9.11のテロが起き、その影響でゲストとして呼んでいた横田基地の方が来れなくなり、結局開催を中止にしました。これらの経験は、自分にとっての挫折の一つですね。

情熱だけはあるけど、結果が出ない。そんな時期でした。その後、いろんなタイミングが重なり、地元の公民館を借りてチャリティー・ゴスペルワークショップをやろうと思い立ちました。


2.ゴスペルとの出会い、そして「ゴスペル×国際協力」への道

Jenna:ゴスペルとの出会いは、15歳のときに観た映画「天使にラブ・ソングを2」でした。歌は元々好きでしたが、みんなで歌うことの楽しさを教えてくれたのがその映画でした。それで、高校時代は、通称「天ラブ」好きが集まった “コーラス・ラヴァーズ” という部活で活動していました。

それで、高校3年のクリスマスコンサートを行った時、コンサートを見に来てくれた親御さんの中に、自宅でコミュニティ・チャーチをやっている牧師夫妻がいました。その牧師夫妻がゴスペルコンサートを企画中で、一般の人も一緒に歌えるワークショップを指導してくれる人を探していました。それで、コンサートで指揮を振っていた私に、「ゴスペル講師をしてくれませんか?」と声をかけてくれたんです。

記者:そこからゴスペルを仕事にするようになっていったんですね。

Jenna:はい。これが本当に運命の分かれ道でした。

でも、はじめて目上の方へゴスペルを教えることになったので、「しっかりやらなきゃ」と、思った以上に自分自身にプレッシャーをかけてしまい、倒れてしまいました。頑張り過ぎたことから来るうつ病ですね。

無理をし続けていたら、一番大事なクリスマスコンサートの日の朝に、布団から起き上がれなくなってしまって…それから数か月寝たきり生活を送ることになり、それを機にそのグループからは離れることになりました。

回復後、またゴスペルを教える仕事がしたかったのと、さっきのアフリカ支援の挫折の話が繋がり、チャリティでゴスペルワークショップをやって、その参加費を奨学金にしようと思い、はじめて自分で主催してみようとなりました。

そしたら、あれだけ募金集めに苦労していたのが、初回で3万円も集ったんですね。「ゴスペルを歌う参加費としてなら、みんな快くお金を払ってくれる」これが発見でした。これをきっかけに、このワークショップは、“FAFA GOSPEL HOUSE”というゴスペルサークルとして、約5年間活動を続けました。

「ゴスペル×国際協力」という、今の活動の原型です。この時に謳っていた「楽しい時間のために使ったお金が、別の場所で大きな力になる」という合言葉は、今も使い続けています。


3.日本人にゴスペルを伝える、という使命

記者:国際協力の流れとゴスペルの流れが合流していくんですね。これが原型ということですが、そこから今やられている活動は、どのようにして始まって行ったのですか?

Jennaはい。NGOゴスペル広場に繋がる流れとして、大きく関わってくるのがもう一つあります。

実は高校時代は、ゴスペルも歌うことも一番好きだけど、一番苦しい時代でした。

それは、ゴスペルと言えば、太い声、低い声、しかもうまい!というイメージが強いですが、私の声は正反対で、高いし、細いので、自分の声や歌唱力も含めてすごくコンプレックスがありました。

しかも高校の後輩には、ゴスペル向きの太い声で、天性の歌の上手さを持っている子がいて、私は先輩としてずっと苦しかったんですね。

そんな時に、先ほどの牧師夫妻を通じて横田基地の方と出会い、基地にある本場のゴスペルに入らせてもらいました。そして、黒人教会の礼拝にはじめて行った時に、今まで知っていた “上手いショーとしてのゴスペル” ではなく、“生活の一部としてのゴスペル” と出会ったんです。

それは、黒人の中でもキーが外れている人もいるし、声が細い人もいる、大きい人もいる、小さい人もいる。でも、誰一人周りを気にすることなく、それぞれがゴスペルを通して自分の中に溜まったものを祈りや感謝、賛美、嘆きに変えて歌っていました。

そして、それを出し切るからこそ、神や天から受け取れるものがあって、終わる頃にはすごくスッキリして帰っていくんです。その姿を見た時に、これが歌う原点、歌の力、歌う意味ってこういうことだよね!と感動を覚えました。

その後、私がクリスチャンだったのもあり、ここの教会の聖歌隊に入れていただいて、そこではじめて心の底から解放されて楽しく歌うことができたんです。この時に、他の音楽じゃない、ゴスペルを歌っていきたいと思う理由が出来ました。


そんなある日、日本人に開かれたゴスペル教会を作りたいという話が舞い込んできました。私はその話を聞いて「日本人にブラックチャーチを伝える」という使命に共感したので、お手伝いしたいと申し出ました。

それが20歳の時ですね。設立メンバーは5~6人、全員アメリカ人で、日本人は私だけ。牧師が「コンサートやるぞ!」と言っても、日本語は私しか出来ないので、会場探しや、チラシ作り、ホームページ作り、宣伝、打ち合わせ、問い合わせ対応など全て私の仕事です(笑)。パソコンを箱から空けるところから始まって、何のスキルも無いところから見よう見まねで我武者羅に頑張りました。

そしたら、「日本で唯一の黒人教会が始まった!」みたいに新聞記事が最初に取り上げてくれて、それを見た他の雑誌社やテレビも来てくれて、PRが上手く出来ました。

同時に立ち上げたゴスペルスクールもたちまち100人規模になり、そこから興味がある人が教会にも流れて来てと、理想的な流れでスタート出来ました。

でも、時が進むにつれ、教会の中では「ゴスペル音楽に惹かれて来た層」と、「ブラックチャーチの世界で生まれ育ってきたブラックの人たち」と、パッカリ2層の人たちが出来てしまって、その文化の違いから様々な衝突が生まれるようになりました。私は通訳だったのでその板挟みでした。

そして、遂に多くの日本人が教会を離れてしまい、ちょっとした誤解からその矛先が全部私に来てしまいました。通訳もイベント運営も、すべての仕事を突然解雇され、全体集会で酷いことも言われたりもしました。

それでも、まだ私の通訳を通じて教会に来てくれていた日本人が何人か残っていたので、簡単には離れられませんでした。1年近く粘り、様々な話し合いをしました。でも結局、問題が解決することはなく、私は追い出させる形で離れることになりました。悔し涙を流しながらの帰り道は、今でも忘れないですね。

その後はドーンと凹みました。裏切られた気持ちもあるし、人を信用出来なくなったし、ゴスペルも聴きたくない、教会の世界にももうウンザリ、ってなりました。うつ病も再発してしまい、寝たきりになってしまった時もありました。


4.ゴスペルから離れてみて見えたこと

記者:とてもショックな出来事だと思うのですが、そこからはどのようにして立ち直って行ったのですか?

Jennaその時私は23歳。周りは大学を卒業して就職していった時期ですが、私も普通の23歳として人生をやり直そうと思いました。

大学と、同時に就職を考えて夜間の通訳養成スクールにも行きはじめました。教会では礼拝の通訳などもしていたので、それをいかしてプロの通訳を目指そうと思ったんです。

でも、ビジネス通訳の授業では、金融やIT、財政など話の中身に全く付いていけませんでした。これは一度社会に出ないと分からないと思い、外資系の金融IT企業へ就職しました。

でも、正社員生活はとにかく大変で、その時にはじめて会社帰りにゴスペルに来る人の気持ちがわかったんです。一日会社でパソコンを見ていたら、「あ~もう、歌いたい!」ってなる(笑)。

それに、会社や取引先の人に、打ち合わせついでについゴスペルの話をしてしまうのですが、みんな「あの “天使にラブ・ソングを” の音楽でしょ?楽しそうですよね!」と、すごくいい印象を持ってくれていて、それが私にとっては新鮮でした。

それで分かったんですよ。自分は深入りし過ぎたところで疲れてしまっていたけれど、日本ではまだゴスペルをやったことがない人はこんなにいて、しかも「ゴスペルって楽しそう」「ゴスペルを歌ってみたい」って思ってくれる人がこんなにいるんだって。

私自身も、仕事でストレスが溜まり、ゴスペルのメッセージがいつからか恋しくなっていました。「神様がついているから、大丈夫だよ!」なんて、上司は言ってくれないですからね(笑)。

そんなことが重なって、ゴスペルで独立したいと思うようになったんです。

記者:教会から離れたことで見えて来た世界があったんですね。

Jenna:はい。それと、会社で出会ったニュージーランド人の同僚と結婚したんですけど、その人が独立起業に興味がある人だったんです。

彼がいろんな本を貸してくれて、「そんなに好きなら、それをビジネスにして独立してみたら?」と言ってくれました。それをきっかけに、自分の経験をフルに生かして、どうやったら自分の仕事になるかを考えました。

その時に、たまたま地元の国際協力フェスで、スリランカに裁縫センターを作っているスリランカ人女性と出会いました。スリランカは、長引く内戦やスマトラ沖地震の津波で男手を失ってしまった女性たちが多く、元々女性が働くという習慣の無かったスリランカに、職業訓練としての裁縫センターを作っていると。だけど、今その4つ目を作る初期費用だけがないという話をしてくれました。

その初期費用は80万円。自分の今までの実績を思い返した時に、会社員としての給料から寄付するのは無理でも、ゴスペルイベントを企画したら、一発で集められるかも知れないと思える自信があったんです。

これこそ自分がやってきた活動!「ゴスペル×国際協力」でもう一回奮起したい!という気持ちが沸き上がり、そのチャリティイベントを皮切りに独立しようという決心が着きました。

記者:原点と出会う機会が重なっていった感じなんですね。

Jennaそうですね。それで2008年5月にチャリティ企画として、200人で5時間歌う「チャリティ・ゴスペル・マラソン」というイベントを企画し、無事80万円が集まりました。そして、その翌月の6月に渋谷にゴスペルスタジオ「ゴスペルスクエア」をオープンさせ、10月にスリランカのトリンコマリーに裁縫センターがオープンしました。

そのセンターに、支援の一環として、現在もうちの衣装を作ってもらっています。継続的に発注できることで、裁縫のトレーニングになると同時に女性たちの貴重な収入源になっています。

▼ こちらがその衣装 ▼


5.空白の時代を埋めるために書いた日記

記者:国際協力とゴスペルの出会いから今に至るまでに、いろんなドラマがあったんですね。話を聞いていて一冊の本を読んでいるような、かなりストーリーとして整理されていますね。

Jennaたぶん自分の中で整理して、納得しないと進めないタイプなので、日々の日記ではないですが、転機があった時とかに日記を書いています。20年分ありますね。何かあった時には必ず読み返しています。自分の流れて来た道の今どこにいるのかを確認しないと前に進めないんです。

記者:20年分ということは、日記に書留めておこうと思ったのは高校生くらいからということですか?

Jenna高校2年の時ですね。最初にも少し触れましたが、高校時代に空白の時代があるんです。その心の中の空白を書き留めておきたかったというのが、一番最初のきっかけです。

記者:空白の時代というのを、もう少し具体的に聞かせていただけますか?

Jenna:高校時代の最初の時って、今とは性格もかなり違い、高飛車なところがあったんです。

元々中学生のときには優等生的なポジションで、成績が良かったことに加え、英語や音楽など勉強したいことを明確に持っていたことにプライドがありました。

単位制の総合高校に入ってからは、「自分は勉強したいことを勉強するために高校に入ったんだ」と、常に本を読みながら構内を移動し、授業が終わればすぐ帰る。誰とも一言も喋らずに過ごしたこともあります。見事に人付き合いを疎かにしていました。

でも、「理想的な高校生活」を送っているはずなのに、どんどん心の中が空白になっていく自分に出会いました。本当に虚しくて、空っぽになってしまったんです。

虚しいまま高校生活が過ぎていくことに、焦りが募りました。その時に、何でもいいから今の気持ちを書き留めておけば、この今があることが、あとから何か意味のあることになるんじゃないかと。それが日記を書き始めたきっかけですね。

当時は、逃げることしか考えていませんでした。環境を変えれば変わるんじゃないか、と留学にいくつも応募したり。でもそれが、どうしても通らないんです。クリスチャンの立場からすると、神様がストップしてくれたと思いますね。

逃げられないとなってはじめて、「自分が変わらないといけない」ということに向き合うことになりました。

そんな時に、自分をよく知る先生がこんな言葉をかけてくれました。

「あなたが勉強している内容は素晴らしい。でも、今あなたに必要なのは、それを語り合える “仲間” だ。」

その言葉が今でも心に残っています。

記者:そうだったんですね。それからの学校生活は何か変わりましたか?

Jennaそうですね。「華の女子高生」をもっと楽しまなければと、180度変わりました(笑)。「こういうことに気付いたから、これから改めて友達になってください!」とみんなに頭を下げて歩いて回ったんです。そこから友達が大勢できました。そして、大切だと思える人がたくさんできると、心の中の虚しさはどんどん消えていきました。高校生活後半は、すごく楽しい思い出がいっぱいあります。

ちょうどその時期に、ゴスペルとは別のきっかけでクリスチャンの人に出会って教会に行きはじめ、そこで洗礼を受けました。このタイミングだったからこそ、「一番大切なものは愛」という聖書のメッセージがスッと心に入りましたね。


6.今後の夢やビジョンは何ですか?

記者:今後の夢やビジョン、またはチャレンジしていきたいことは何ですか?

Jennaゴスペルはキリスト教会の歌ですが、そこから教わった “大勢で声を合わせて一緒に歌うことの楽しさ” ってあるじゃないですか。そこに “宗教を超える” という要素を付ける役割が出来るとしたら、それは日本人だと思うんです。

例えばうちの支援国のひとつにセネガルがあって、支援を受けている人たちは主にイスラム教徒です。もしそこに行って交流する機会があったら、私たちとしては一緒に歌いたいのに、一緒に歌える歌がないんですね。

私たちのグループには、クリスチャンではない人もたくさんいますし、それこそお坊さんもいます(笑)。宗教という枠にとらわれずに仲良く歌えるのは、日本人だからこそだと思うんです。それをひとつの音楽にしたい。世界中どこに行っても、誰とでも一緒に歌える歌を日本から発信したい。それが最終的な夢ですね。

日本人は、絶対に宗教で戦争をしません。私たちの「和の精神」は、今世界が必要としているメッセージだと思うんです。

そこに行くために、いろんなステップがこれからも待っていると思いますが、数年前にアメリカのゴスペル業界に挑戦できたのはクリエイターとして大きなステップでした。

2015年に、Jett Edwardsさんという音楽プロデューサーと組んで “JAPAN MASS CHOIR” を企画し、日本のたくさんのゴスペルグループさんにもご協力いただき1000人でレコーディングした作品をリリースしました。

ビルボードのゴスペルチャートで3位、ドーブ賞ノミネート、また5回にわたるアメリカ公演ツアーと、素晴らしい体験をさせていただきました。自分の書いた曲でアメリカ人の聴衆が沸いてくれる、また「このメッセージが今の私に必要だったわ」と泣いてくれる、とても貴重な体験でした。

また国内では、ゴスペルというものが「習い事」ではなく、「音楽」になって欲しいなと思っています。アメリカではゴスペルは、次々と新しいアーティストやヒット曲が生まれている音楽の1ジャンルなんです。

つい最近では、福岡出身のゴスペルシンガー中山栄嗣さんと、ジンバブエ出身のゴスペルシンガーAndrew Sodaさんとのコラボレーションで、「J-POPに挑むゴスペル」と題したプロジェクトを実施しました。私が書かせていただいた楽曲「Just Stand」が、オリコンデイリーチャート30位に。

こういった試みを通して、日本の音楽シーンの中で、みんなで一緒にハーモニーで歌うゴスペル音楽の魅力を紹介していきたいなって思っています。

記者:世界に日本発のゴスペルを発信していくチャレンジをしていく中で、今一番のモチベーションは何ですか?

Jenna:モチベーションは、メンバー達の存在ですね。「ゴスペルに出会って人生が変わった」「前向きになれた」「居場所ができた」と言ってくれるメンバー達が、一番の原動力です。


NGOゴスペル広場を立ち上げた時に「Sing in Unity. Live in Peace. (ひとつになって歌い、平和に生きよう)」というスローガンを作りました。この言葉の元になった、一番大事にしている聖句があるんです。

それは、「平和をつくる者は幸いである。なぜなら、その者たちは神の子どもと呼ばれるから。(Blessed are the peacemakers, for they shall be called sons of God.)」(マタイによる福音書5:9)です。

ここには「洗礼を受けた人は」とも、「教会に通っている人は」とも、「聖書を読破した人は」とも、「毎日お祈りする人は」とも書いていない。ただ、「Peacemaker(平和を作る者)」とだけ書いてあるんです。私は、この「Peacemaker」を作る活動がしたいと思いました。

それは、自分の心の中のピースでもあるし、身近な人との人間関係のピースもそうだし、世界のピース、人種を超えたピース、宗教を超えたピースだったり、貧しさを無くすための国際協力という意味でのピースだったり。このピース、「和」というものが、私が一番大切にしているメッセージです。

元来のキリスト教伝道ツールとしてのゴスペルとは少し違うかも知れないけれど、日本から発信できるゴスペルとして、一つの音楽を作っていくことが私の夢であり目標です。

記者:なるほど、とても素晴らしい活動ですね。本日は貴重なお話ありがとうございました!

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*編集後記

今回記者を担当した美談と牧野です。現在、ニュージーランドに住んでいるJennaさん。日本に帰国している間の貴重なお時間をいただき、本当に多くのお話を伺うことが出来ました。
様々な出会いと挫折を繰り返しながら辿り着いた今の「NGOゴスペル広場」。ここでは紹介出来ませんでしたが、その会員制度や団体の運営方法には、その紆余曲折があったからこそ出来る、メンバーさんのニーズに応える様々な仕組みが整えられています。正に「Sing in Unity. Live in Peace. (ひとつになって歌い、平和に生きよう)」を叶える場を提供していると感じました。
ゴスペルという一つの音楽を通して、この社会に「Peacemaker」が増えていくことを、私たちも応援しています。益々今後の活動が楽しみです!


この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。


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Madoka

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