見出し画像

祝福、海がきこえる、MONO NO AWARE

3月17日

高校の同級生の結婚式に参列した。出会って11年の長い付き合い。
Googleマップの案内で歩いていると、式場のそばの道が、かつて何度も新郎と歩いた場所だったことに気づく。海沿いをつづく穏やかな道。その脇のベンチで昔、新郎とふたり並んで座り、「あれはボラだよ」と水面を飛び跳ねる魚の名前を教えてもらったことを思い出した。

よく晴れた日だった

乾杯の挨拶には緊張した。ずいぶん前に頼まれていたものの、なんとなくこういうものだろうと思い込んでおり、「他の人はどんな挨拶をしているのか〜」とYoutubeで動画を検索してみたのが前日。乾杯の挨拶なんて、短いほど良いんだろうと思っていたが、そうでもないらしかった。まずいと思い練り直してみるも、それはそれで大変で、原稿を書き進めるごとに新郎新婦・参列者両方に伝えたい思いが溢れてくる。スピーチとは何を言うかではなく、何を言わないか、なのかもしれない。

はじめから言うと決めていたことは「祝福」という言葉の意味について。挙式でも式場でもその言葉は多用されているが、実際に辞書を引いたことがある人は少ないはずだ。かくいう私も、去年の夏に短歌の展示会でたまたま目にしただけで、これまで意識したことはなかった。

祝福(しゅくふく)
・・・前途の幸福を祈り、いわうこと。

これから先のしあわせを祈って、祝うこと。
当たり前のことかもしれないが、あらためて意味を心でなぞったときに、とても素敵な言葉だと思った。だから、いよいよ披露宴がはじまるというときに、参列者のみんなにも知ってほしかったのだ。
乾杯の挨拶はとても緊張したけれど、披露宴の後に知らない人からも声をかけてもらえたので嬉しかった。

新婦が撮るフィルム写真が好き

3月19日

『違国日記』を完走した。ここまで言葉を尽くして描かれた漫画を過去に読んだだろうか。あらゆるシーン、あらゆる人物のセリフが頭の中をめぐる。

以前であれば、もっと知りたいと思うコンテンツについて、XやGoogleでタイトルを検索することくらいしかしていなかったが、今はPodcastで『違国日記』と検索すれば、それをテーマに挙げている番組を片っ端から聴くことができる。記事やXの投稿を見るよりも、生の声を聴く方が今の気分みたいだった。

そんな中で、京都の哲学者・谷川嘉浩さんの番組が目に止まった。聴いてみると、最終巻を読んだ後の(自分も同じく味わった)冷めやらない興奮が伝わってくる。どうやら彼の著書『スマホ時代の哲学』にも『違国日記』のエッセンスが含まれてるとのことだった。購入を検討。


3月20日(春分の日)

週の真ん中に祝日があるとうれしい! 火曜の夜を満喫できるし、週末に向けてパワーチャージすることができるから。

父親の誕生日を祝うべく、家族で焼肉ランチをした。タン・ハラミセットを注文。お皿の上にタンとハラミが4枚ずつ並べられていて、「これでお腹いっぱいになったら8枚がちょうどいいんだな」と思った。いつもは自由に注文してしまうから、いったい自分が何枚で満足するのかが、よくわかっていないのだ。結果、肉8枚が満足ラインだった。今後の指標にしたいと思う。

夜、ル・シネマ渋谷宮下で『海がきこえる』のリバイバル上映を観た。スクリーンに浮かぶ青いタイトルバックに大感動。映画館で観ることができるなんて思ってもいなかったな。すすんでいく時間と、回顧できる記憶。まちがいなく人生の1本だと確信した。

エレベーターを降りてすぐ、里伽子と目が合う

3月22日

恵比寿LIQUIDROOMにて、PEDRO×MONO NO AWAREのツーマン。比較的どこからでもステージが見えやすくて好きな箱だ。どちらのバンドも曲が大好きで昔から良く聴いているのに、生で観る機会がなかった。

PEDROがステージに上がり「生のアユニ・Dだ…!」よりも「生の田淵ひさ子だ…!」と思った。そりゃそうか。BISH初期のアユニ・Dといえば、北海道から来たSF(すこしふしぎな)ガールという印象だったが、その影は一切なく、歌をうたうことに希望を見い出した、音楽を信じて突き進む、紛れもないシンガーだった。『魔法』に涙腺をパンチされる。

MONO NO AWAREは大学生の頃、友人の間でカルト的な人気を集めていて、かくいう私も『イワンコッチャナイ』がリリースされたとき「ああ好きな音楽を鳴らしてくれている……」とずいぶん感動していた。

『東京』『そこにあったから』など大名曲が並ぶすばらしいセットリスト。音色がなんとなくフジファブリックに似ていると思い、後で調べたら、強く影響を受けたアーティストでその名前を挙げていた。

いまの大学生はもう、Yogee New Wavesを必要としていない(あまりに主語が大きいですが、インターンの子が知らなかったので衝撃だった)。ネバヤンもギリギリだ。「俺たちが大学生の頃は」おじさんにはなりたくないが(もうなってんなこれ)、『MONO NO AWARE』には時代によどみをつくりまくってほしいと思う。


3月23日

『海がきこえる』リバイバル上映、2度目の鑑賞。1度目ではあまり感情を揺さぶられなかった、東京でのあるシーンに強く感動した。

東京旅行の2日目。ホテルのロビーに呼び出された拓を待っていたのは、東京の元ボーイフレンド・岡田。彼は「里伽子だけでも置いていってくれればよかったのに」と里伽子の前で、母親を批判するのだが、拓がそこでキレる。

「何が子どものこと考えろじゃ。中学生じゃないろうが。まったくくだらんちや。お前も、そっちの男も」


素足の拓

高知は狭く、何かと息苦しいことも多いだろうが、人と人の関係を大切にする、深く関わろうとする。世間体ばかり気にして、薄い言葉しか口にしない岡田の発言に我慢できなかったのだ。(いいぞ拓!)

席替えをするように、違う土地、違う環境に身を置くことで人は成長していく。あの時は嫌いだと思っていた同級生も、ところ変われば、なんてことなかったんだと気づくようになる。

そして2人は東京で出会う

『海がきこえる』とは、能動でも受動でもなく、『中動態』なんだと思っている。する/されるの視座から抜け出した、主語が過程の内側に存在している状態。今を必死に生きながらも、時折、故郷の海がきこえると懐かしむ。そうしてまた、不可逆の時間に抗いながら、未来に向かって進んでいくのだ。

メモ✍️
キャパが低いやつは本音で語んなよ(三茶の鳥貴族にて)


3月24日

小金井公園の桜祭りに行った。前職の面々とお花見。まだ桜は咲いていなかったが、出店やステージが用意されていて、ずいぶん混雑していた。横井さんお手製の料理がシートにずらりと並ぶ。ブリの魚卵漬け、タンと砂肝の燻製、卵焼き…。ビールとスパークリングを飲んで気持ち良かった。

横井家に移動して、刺身やあたたかい料理をいただく。娘さんのピアノが上達していて、あっという間に大きくなるんだなとしみじみと感じた。「丁寧」という言葉は四回くらい聞いたことがあるらしい。すくすく育て、すくすく育て。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?