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コミュニティFM、認知のバグ、ぐにゃった境界線

4月3日

朝から春雨。体が重いが頑張って会社に行く。Mさんがグリーンのアディダスジャージを着こなしていてめちゃクールだった。手に持っているサブウェイのストローもグリーン…ボブ・マーリーみたいっすね!って言ったけど勝手なイメージすぎた。最近映画の予告編で見た影響がもろに出てるし、申し訳ない。ジャージが着こなせたらな〜〜なんて思いながら仕事をする。

夜はダウ90000単独ライブ『30000』で本多劇場へ。おもしろすぎて劇中に10回は「おもしれ〜〜」と言っていた。本当におもしろすぎるのだ。左隣の男性が応援団くらい声張って笑ってたので助かった。

特に好きだったのは『ランチ後』と『リベンジ』。ゆるっとした会話劇が中毒的におもしろい前者と感情ジェットコースターの後者の対比がすごい。ほぼホラーだったもん。悲鳴すら聞こえた気がする。吉原さんはすごい俳優になりますね。

10人用って名前つけたのすご

合間でも言ってたけど、コントライブを見ていると最後に全コントの伏線回収するのかな〜と思ってしまう。空気階段もやってたし。でもそうだよな、観客が見たいもんつくるんじゃなくて、つくりたいものつくるよな。そっちの方が見たいし、絶対おもしろいし。蓮見さんはそこのところをズバッと突き進んでくれるもんだから、少なく見積もっても5倍は好きになっちゃうな?

劇場を出たらスカートの澤部さんがいた。でっかかった。ダウ90000コミュニティだ……

忽那ジャージ、中島ハマダー

メモ✍️
もしこれがコントだったらさ
ホラーなんか書かねえよ食ってけるんだから

4月5日

ちょっと肌寒い日(ダウン必須)。だけども会社のお花見の日なのでテンションを上げて出社。ハンガーラックが見事に真っ黒のダウンだらけで笑った。風邪ひかないようにしようね。

ごちそうとお酒を両手に抱え、桜スポットへ。神田川沿いで落ち着いて桜が見られる場所だった。着いたやいなや、椅子を組み立てはじめるアウトドア勢たち。みんな焚き火やキャンプが好きなのだ。地面に敷いたシートだけでは心細いな〜と思っていたけど(面積てきに)、椅子を並べたら宴会みたいで楽しくなってきた。雰囲気ってとても大事だ!

寒くなって来たところで室内に移動。お酒を飲み直しつつ、ボードゲーム『コードネームピクチャーズ』で盛り上がった。4×5で20枚に並べられた絵柄のついたカードを、「1ワード・枚数」のヒントで当てていくゲーム。固有名詞に近いほど正答率が上がるが、抽象的になるほど複数回答を狙えるというギャンブル要素もある。キーワードを出す出題者と回答者のペア決めで、世代や職種、関係性を分けて試せるのが楽しかった。

『コードネームピクチャーズ』

「認知のちがい」がこのゲームのおもしろさ。絵柄の共通点をうまいワードで出題するのは、回答してもらえたときにもちろん爽快なのだが、時々「ええええ!!!!!」という認知のバグが起きる。例えば「AをBと思うかどうか」ではなく、「Bっぽいのを上から順番に並べると」という「認知のものさし」の話だ。これがぜんぜんちがっていて、全く合わない。

どこでこの違いはうまれるのだろう。例えば「水」というワードで思い浮かべるイメージはみんな同じだろうけど、そこから「水をイメージさせるもの」にフィルターが絞られると、イメージのベクトルが分かれていく。想像力が豊かな人ほど絵柄から遠いところまで辿り着いてしまう。勝手に推測してしまい、最初から「それはさすがにないだろう」なんて思い込んでしまうのだ。

このイメージの解像度をビタッと合わせられるワードが浮かんだときは、きっと何よりの快感だろう。出題者の楽しみはそこである。またやりたいな。

4月6日

この街でむかえる4回目の春。友人たちと近所で花見をした。人がほどよく少ない、低木の桜がたくさん咲いている場所。毎晩ふらふら徘徊しているから、とっておきを知っているのだ。

桜は日本で一斉に植えられたものだから寿命が同じなんだって、という何の信憑性も無い噂をいつだったか聞いたことがある。だとしたら日本で一斉に桜が咲かなくなってしまうではないか。旬の行事が好きなので、桜がなくなってしまうと困る。そうだった場合に備えて、どんどん桜を植えていってほしい。

青い空がいい

「自分らしさ」を人前に出すのが大変だという話をした。どこに行きたいか何を食べたいか、そういったシーンは多々あるが、「これがしたい」と相手に伝えた時に「これがしたいんだ」と思われるのが耐えられないらしい。相手のことは一方的に認知しておきたいけど、相手からされるのは嫌悪してしまう。その苦しさを十分にわかった上で、相手に伝えられる「らしさ」の部分を徐々に広げていきたいという。

よっぽど誠実だと思った。私はどちらかといえば、最初から心を開いた方がスムーズに進むと思う性分なのだけど、結局それはうまくやるための処世術にすぎず、「自分らしさ」なんて本当のところ何一つ分かっちゃいないのだ。むしろ最近は分かろうとすることにおこがましさを感じている。

相手に認知されたくないと思う人間。認知された方がいいと思う人間。身近な友人においてもバラバラなのだから大変だ。私はそんな時、「それでも、それでも、それでも」と想う気持ちをうつくしいと感じる。人によっては勘弁してほしいことだろう。だけど、それでも、それでもなのだ。

相手を尊重していると、互いの間に引かれる個人の境界線を飛び越えるようなことはあまりない。綺麗に舗装されたそれは、感情のコントロールが取れた穏やかな生活だろう。それで構わないのだが、だったのだが、最近はそれでは困るかもという気がしている。心が揺れないと、脳が震えないと、言葉が何も浮かばない。ぐにゃぐにゃになった境界線を見て、おどろきたいのだ。

メモ✍️
進んでないから良いんだろうな
味覚のゲシュタルト崩壊
くたばれ!人生の先輩たち


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