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めぐみちゃんは転校生【小説 カンパ・カンパニー】

「今日から一緒に勉強することになった、あめみや めぐみ ちゃんです。みんな仲良くしてくださいね」

黒板に書かれた「雨宮恵」の文字の前に立つ女の子は、「よろしくおねがいします」と、小さな声で挨拶をした。

「雨宮さんの席は、窓側の一番後ろね。山下さん、教科書とか見せてあげてくれる? 急だったから、まだ準備ができていないのよ」

はぁいと、山下葉月は大きな声で返事をした。

(いいなあ。まっすぐな黒い髪。わたしの髪はくるくるになっちゃうのに)葉月はそう思いながら、こちらに向かって歩いてくる転校生をジロジロと観察した。

新学期が始まって、もうずいぶん経つのに、葉月のクラスに転校生がやってきた。転校生なんて、初めてのことで、なんだか少しそわそわしてしまう。

「よろしくね! わたしは やました はづき。仲良くしてね」葉月が前のめりになって自己紹介すると、転校生の恵も「うん。こちらこそ、よろしくね」といってニッコリ笑った。


「転校してくる前は、どこにいたの?」

休み時間になり、葉月は恵にあれこれ質問をした。なんせ、初めての転校生だ。葉月が通っている学校は生徒数もそれほど多くなく、幼稚園から小学校、中学校とほとんど同じメンツで過ごすことになっている。

クラスのみんなも興味津々だけれど、どことなく大人びた雰囲気のある恵にあれこれ質問していいのか少しためらってもいた。しかし、隣の席に座っている葉月は、そんな遠慮は面倒だと言わんばかりにあれこれと質問した。

「ここにくるまえは、外国にいたの。インドネシアっていうところ。五月に日本に来たんだよ」

へえー。かっこいいねえなどとまわりで聞いていた子達も口々に歓声をあげる。

「今は、どこに引っ越してきたの? 街の中で引っ越しがあったなんて、全然知らなかった!」小さな集落にいるため、ちょっとしたうわさ話はすぐに広まる。特に、葉月の家は定食屋さんを営んでいるため、利用するお客の話を葉月はいつでも聞いていたのだった。

恵はすこし首をかしげながら、引っ越してきたっていうか、と前置きをして「氷室のおじいちゃんのお家に、今はお世話になっているの」と小さな声で答えた。

「ええーっ。氷室さんちって、あの森の中にある、なんだかよく分からないお化け屋敷みたいなおうち?」葉月が思わずそういうと、「はづきちゃん、そんな言い方はダメだよ」と、たしなめられた。

氷室さんのお家は、町のはずれにあって、葉月が言ったとおりなんだかよく分からない人が住んでいる。もっとも住んでいるのか、別荘のような使い方をしているのか、そこの住人を見かけることはほとんどない。屋敷の管理を任されている人も、町内の人間ではないため、氷室邸の様子は、誰も知らない。子供達のあいだでは「お化け屋敷」と呼ばれていて、夏には肝試しスポットとして利用されていた。なぜだか分からないけれど、氷室邸の周りは、ひんやりとした空気が流れていて、真夏でも背筋がゾクゾクするほど冷えるのだった。

葉月の言葉に気を悪くすることもなく「氷室のおじいちゃんの家、確かに古くさいし、お化けでも出そうだね」と、恵はくすくすと笑った。

「お父さんとか、お母さんは? 何してる人? うちは『ひまわり』っていう定食屋なんだよー。今度食べにきてよー」と笑いながら葉月がいうと、恵は眉をしかめ、すこし困った顔をした。

「お父さんとお母さんは、みんな別々の所にいてね。一緒に暮らしてないの」

恵がそういうと、葉月と、その他のクラスメイトたちは、それまでの楽しそうな雰囲気を閉ざして、口をつぐんでしまった。

「なんか、ごめんね。変なこと聞いちゃった」葉月はそういって謝ると恵は「ううん。お仕事がいっぱいあって、忙しいから。仕方ないの」と小さく笑って答えた。チャイムが鳴ったのと同時に、周りを囲んでいたクラスメイトたちはさっさと自分の席に戻っていった。

葉月は、恵の家には複雑な事情があるんだ……と、なんだか聞いちゃいけない秘密を聞いてしまったようで、胸が苦しかった。

恵が転校してきたと同時に、その地域は梅雨がはじまった。

田んぼや畑を営む世帯も多いため、空梅雨なんじゃないかと心配していたけれど、ずいぶんと遅れてはじまった梅雨にホッとする家も多かった。

「雨が降る時期に振ってくれねえと、育つもんも育たねえからな」週末の夜にいつも定食屋「ひまわり」に食べにきてくれる農家のシゲじいちゃんが、そういって美味しそうにビールを飲んでいた。

「でも、雨だと外で遊べないから、つまんなーい。髪も、くるくるになっちゃうし」シゲじいちゃんの言葉に対して、葉月は癖っ毛の髪を指でぐるぐると絡ませて、唇を尖らせて文句をいった。

「恵ちゃんみたいに、髪の毛がさらさらで、まっすぐだったらいいのになあ」葉月がそういうと、シゲじいちゃんは「恵ちゃんってだれだい? 新しいお友達でもできたのかい?」と質問してきた。

「うん、ちょっと前に、転校してきたんだよ。前は、外国にいたんだって。お化け屋敷……じゃ、なかった。えっと、氷室さんのお家にいるって言ってたよ」恵がそういうと、シゲじいちゃんはふうん、めぐみちゃんか、と返事をして何か考えているようだった。

「雨だと、プールも入れないし、つまんないよねえ」葉月はそう言いながら、ぺたりと机につっぷした。隣の席の恵は、すこし考えながら「葉月ちゃんは、雨の日はキライ?」と聞いてきた。

「うん。あんまり、好きじゃない。だって、外でも遊べないし、プールの授業も中止になるし。髪の毛だって、くるくるになって、からかわれるから嫌い」くせっ毛の葉月は、まとまりなくあちこちに飛び跳ねた髪をつまみながら、恵にそう答えた。

「そっか。雨の日、嫌いなんだ」恵はそういうと、とても悲しそうな顔をしていたけれど、葉月はそれに気がつかなかった。

「あと一週間もすれば梅雨も明けるでしょうって、天気予報でも言ってたし。そしたら、夏休みだし! あ、お休みになったら、恵ちゃんのお家に遊びに行ってもいい? おじいちゃんに怒られちゃう?」

葉月は笑いながらそう言って、恵の顔を見たけれど、恵はどこか浮かない顔をして「うーん、どうかな? ちょっと、わかんない……」と言葉を濁していた。

転校生という存在がめずらしくて、来たばかりのころは恵のまわりには何人かのクラスメイトが囲んでいたけれど、数日も経つと恵はひとりで行動するようになっていた。

口数も少ないし、「外国の暮らしってどんなの?」なんて興味本位で聞いても「うーん、あんまり外に出なかったら……」など、質問に対しての回答をにごしていた。そんな恵に対してクラスの子たちは「雨宮さんって、つまんないよね」といつしか距離を置いて接するようになっていた。

隣の席の葉月は、恵に対して「氷室さんちの、お化け屋敷に住んでるんだから、変わってるくらいでピッタリだ!」と、思っていた。恵が聞いたら怒りだしかねない。けれど、定食屋といういろんなお客が来る商売を営んでいる家に育っていることもあって、あんまり話をしてくれないくらいでは、距離を置く理由にはならなかった。もっとも、べたべたとくっつくようなことも、しなかったけれど。

恵本人は、ひとりで過ごすことには何の問題も感じていない様子だった。ときどき外を見ては、雨が降っている様子をじっと見つめていた。

「……夏休みになったら、またどこか行かなくっちゃいけないみたいなんだ」恵はぽつりとつぶやいて、あーあとため息をついた。

「あ、旅行に行くの? いいなあ。うちはお店やってるから夏に旅行なんて行ったことないよぉ。ねえねえ、どこにいくかは決まってるの?」

「……決まってると思うけど、まだ教えてもらえないんだ。いっつも急に移動することになって。仕事だから、しかたないけど」多くは語らないものの、恵はどこかさみしそうだった。

「じゃあさ、一日でも一緒にプールにいこう! 梅雨ももう終わるだろうし、恵ちゃんずっと体育お休みしてたから、プール入ってないでしょ?」葉月がそういうと、恵はうーん、と曖昧に笑って「いけるといいなあ」とだけ返事をした。

窓の外では相変わらず雨が降り続いていて、窓ガラスには、雨のしずくがたくさん流れていた。

その知らせは突然だった。夏休みが始まる前の日に、先生からみんなに伝えられた。その日はちょうど、朝から梅雨が明けたばかりの青空がひろがっていて、セミの声が辺り一面うるさく響いていた。

「雨宮恵さんは、ご家族の都合で夏休みの間に転校されることになりました。みなさんに挨拶しないで行ってしまうので、ごめんさないと恵さんからお手紙を受け取っています」

担任の先生がクラス中に伝えたその言葉で、クラスのみんなはざわざわと話し合った。「なんか、変なやつだったよな」とか「お父さんとお母さんが一緒に暮らしてないって言ってたもんね」などと、勝手な憶測が飛び交っていた。先生が「みんな静かに!」と大きな声を出して、ようやく教室には静けさがもどってきた。

葉月はすこしショックだった。ちょっと変わった子だったけれど、夏休み、一緒に遊べればいいなと思っていたのに。どこかに行くって言ってたのは、旅行じゃなくて「引っ越しする」っていう意味だったんだ……。


葉月はしょんぼりしながら家まで帰った。うなだれる葉月の後頭部に夏の日差しがじりじりと痛かった。家に着くとちょうどお昼時で、お店がにぎわい始めていた。

「お、葉月ちゃん。明日から夏休みだってえのに、浮かない顔してんねえ」葉月が顔をあげると、首にタオルを巻いたシゲじいちゃんがそこに立っていた。

「ちょっと前にさ、シゲじいちゃんにはなした、転校生の恵ちゃんね。また、どこか別の町に行くみたいで、もう会えないんだって。せっかく夏休み一緒に遊びたかったのに」そういって、葉月は唇を尖らせているとシゲじいちゃんはごそごそとカバンの中から一枚の写真をとりだした。

「じいちゃんもな、むかーし、めぐちゃんだったか、めぐみちゃんだったかって子と仲良くなった思い出があるんだ」そういって、その写真を葉月に見せた。

「なんか、この写真白黒だし、ずいぶんぼやけてて、よくみえないね」葉月がそういうとシゲじいちゃんは、ウンとうなづいて「まあ、ずいぶん昔の写真だからな。白黒なのは、仕方ねえ」と額から流れる汗をぬぐいながらそう言った。

「恵ちゃんてのは、こんな感じの子じゃねえか? 顔は、ぼやけちまって見えないけど」シゲじいちゃんが指さしたのはまっすぐな髪の毛をして、小柄な女の子だった。だけどその子の周りだけとくにぼんやりとした靄がかかっているようだし、顔の周りはすっかり滲んでしまってどんな表情をしているのかはまったくみえない。けれど、その子は確かに恵ちゃんに似ていた。

「……顔がわかんないけど、でも、似てる気がする」

葉月がそういうとシゲじいちゃんは、うん。と頷いて「やっぱりなあ……」と小さな声で息を吐き出しながらつぶやいた。

「葉月ちゃん、多分だけどな、この子は神様のお使いみたいなものじゃないかと思うんだ。じいちゃんは、この子に命を助けてもらったことがあるんだよ」シゲじいちゃんは、ゆっくりと葉月に言い聞かせるように話していた。

「でもさ、氷室さんのお家に住んでるって言っていたし。神様だったら神社とかお寺に住んでるんじゃないの?」葉月はシゲじいちゃんが言った説明に「うん」とすぐには頷けなかった。だって、一緒の教科書を見て勉強してたんだもん。

「うん。じいちゃんもな、うまく説明できないんだけどな。でも、恵ちゃんは、いろんな場所で、いろんなお仕事が待ってるんだよ。じいちゃんもお礼を言いたかったけれど、この土地で足止めするわけには、いかんのだろう」

「……うん」シゲじいちゃんが言っていることは、葉月にはよくわからない。けれど、恵ちゃんが少し不思議な存在だったことは確かなことで、認めるしかなかった。

「恵ちゃんに、また会えると思う?」葉月がそういうと、シゲじいちゃんはにっこりと笑って「そうだなあ。またこの町に、来てくれることだってあるんじゃないか? その時に会えるかもしれないなあ」

葉月は「うん」と頷いたのち、空に向かって「次に来たときは、一緒にプールに行こうねえ」と声をかけた。

葉月の声にこたえるように、遠くの空にかかっていた虹が、日の光を受けてきらりと輝いてみえた。









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