見出し画像

うわさが、うわさで無くなるとき。

かなり話題になっているので、すでに読まれた方も多いかもしれないけれど。高橋ユキさんのルポ「つけびの村」がものすごく興味深かった。

ルポは全6回に分かれていて、1回目の2回目は全文無料。3回目から有料コンテンツになるのだけれど、途中で読むのを止めるなんて、できないくらいに引き込まれた。

約6年前の出来事だけれど、事件が起きたとき、ニュースでかなり話題になっていたし、うす気味の悪い張り紙についても、ちらりと記憶に残っていた。

ただ、このルポを読んで、恐ろしい事件だけれど、正直なところ、まったく他人事ではない。自分の身の回りでも、起きてもおかしくない。そう感じた。

わたし自身は、周囲に何もない山中の集落に住んでいるわけではない。歩いて5分もかからない場所に、コンビニもあるし、ファミレスだってある。

だけど、うわさ話や、町内会の集まりなど、ちょっとしたトラブルだってあるし、ご近所にはちょっと気難しい人だっている。それは、誰にでも当てはまることだろう。

うわさ話ぐらいしか、娯楽がない、という地域に親族もいる。親族の家に行くたびに、話の9割方はうわさ話しかされないこともある。さらりと悪口を織り込みながら、わたしのまったく知らないご近所の方々のうわさ話を嬉々として話して聞かされることも多い。帰るときにはぐったりとしていて、「話を聞かされていた時間はなんだったんだ」と、なんだか生気を吸い取られたかのように、疲れ果てている。

わたし自身、噂のまとになったこともあるし、人の噂をコソコソした覚えもある。どちらも学生時代のことだけれど、どちらも、いい気はしないものだった。これから先だって、わたしは誰かのことをうわさしないとも、限らない。

うわさが、「単なるうわさ」で無くなることがある。それは、肝に命じておかなければならないと、このルポを読んで強く感じた。



この記事が参加している募集

note感想文

最後まで読んでいただきまして、ありがとうござます。 スキやフォローしてくださると、とてもうれしいです。