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片付けしましょう、そうしましょう。

「片付けよう」突然、そう思い立った。

最近話題になってる、こんまりさんの動画を見たわけじゃない。けれど「そろそろ片付けないとヤバい」と、本能的に感じた。

たしかに、2月のはじめに父が亡くなり、それ以降はときおり掃除機をかける程度で、掃除らしいことはほとんどしていないかった。ふわふわと床を漂う猫の毛溜まりを指でつまみあげたり、目についたところだけを拭いたりしていた。日常的に発生する可燃ごみやら不燃ごみは定期的に捨ててはいたけれど、それ以上のことはしていなかった。

しかし、今週になって、突然「いや、もういらんものは捨てよう!」と、メーターがぎゅぅううんと振れた。まずは、いらない本とか、片付けよう、と。

積読になっている本は、読むためにかったのだから、どんどん読んでいこう。一度読んで、もうずいぶん読んでいない本は、この際売ってしまってもいいんじゃないか。手放さないと決めていた本も、もうかれこれ五年は読んでいない。本棚にその本が置いてあるだけで落ち着く、というのもあるため、全部処分! というわけじゃない。けれど、「ああ、これはもう、わたしに必要ないな」と、自然に思える本が何冊かあった。また読みたい、と思うこともあるだろうけれど、その時はまた買い求めればいいし、販売されていないなら、古本屋巡りをしても良いし、図書館に行って借りてもいい。

本以外でも、好きで集めていたものもたくさんある。手放すか、どうするか迷っているものもたくさんあるし、けっきょく迷うだけの時間をつかっただけで、元通り箱の中にしまって、またクローゼットの中にしまう、ということも大いにありうる。

ただ、それだとしても、わたしが所有しているものを、もう一度見直したいと思ったし、不要だな、と思ったものは処分して、今欲しいものに買い替える、というのが自然なのだろう。

ほしいものは、たくさんあるのだ。ほしいものを片っ端から買う、といったことは、もちろんできないのだけれど、家の中にあるものを売ったり、処分して、新しいものを迎え入れる場所を作る、というのが今のわたしには必要なのだろう。

ただ単純に、片付けようとか、お買い物がしたいとか、本をぐんぐん読もうというには、やっぱり身体だけではなくって、心も元気がなくっちゃできない。ものを片付けるには、決断の連続だけれど、決断するための力が必要だ。わたし自身、少し前まではふにゃふにゃとして、決断できないことばかりだったけれど、少しずつ力がもどってきた証拠だろう。

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