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大切なお守りである、吉本ばななさんの言葉。(前編)

「会いたいなら、会いに行けばいいのか」

なんだ、そんな簡単なことだったのか。この考えが頭に思い浮かんだ瞬間、自分のなかにそびえていた壁が、簡単に壊れていったような気分になった。

吉本ばななさんに、いつか会いたい。ずっと、そう思っていた。

いつかお会いして、「ありがとうございます」とお礼を言いたかった。

ただ、自分のなかで「ばななさんにお会いできる機会なんてないな」と無意識のうちに否定していたことも事実だった。

吉本ばななさんには、命を助けてもらった。大げさではなくて、ばななさんの書かれた文章を読んで、すっと楽になったのだ。

わたしは二十五歳のときにうつ病になった。

今にして思えば、うつ病になった原因はいろいろある。忙しさと不安に押しつぶされそうになる仕事や、先行きが見えず、人に言えない恋をしていたこと。中学二年生のころにはじまり、落ち着く先の見えない摂食障害も一因だった。

毎日仕事にいくのが辛く、いっそのこと死んだら楽だろうな、とうまく眠れずぼんやりとした頭でそんなことばっかり考えていた。仕事先までの道すがら、歩道橋があった。「ここから飛び降りたときに、タイミングよく車が走っていたらすぐに死ねるだろうか?」と何度も立ち止まったことも覚えている。

ひとり暮らしをしていたこともあり、「自分がうつ病である」と認識するには時間がかかった。仕事では単純なミスも増えていた。摂食障害のひとつの症状として「過食嘔吐」というものがある。当時のわたしは文字通り「食べて吐く」を繰り返していた。けれど、その行為すらも疲れ果てていた。職場で誰とも話したくなくて、昼休憩のときはトイレの個室にこもったり、休み時間も仕事をしてやりすごしていた。幸い、仕事が膨大にあったため、休み時間にも仕事をしている人はわたしだけじゃなかったので、それほど目立つ行為でもなかった。

三ヶ月くらいは、こんな毎日を繰り返していたこともあり、体力が落ちた。売約を飲んでもいっこうにおさまらないひどい風邪をひいた。内科を受診したときに「うまく眠れない」などを問診票に記入したところ、「風邪もひいているけれど、心療内科に今すぐ受診しなさい。うつ病の兆候がでているので休まないと」と内科医にはっきりと言われたことで「ああ、うつ病なのか」と分かった。

うつ病だ、と診断されても、わたしは「自分がだめな人間だから、うつ病になったんだ」など、自分を責めることが多かった。心療内科で処方された薬を飲むと一日、二十四時間のうち、おそらく二十時間くらいは眠っていた。でも、その起きているあいだは、「自分はダメ人間だ」と自分自身を罵っていた。

そんなとき、よしもとばななさんの「人生の旅をゆく」という本をペラペラとめくっていた。しっかりと読もうとすると、頭がぼんやりしてしまって、すぐに眠くなった。文字を目で追うのがやっとで、なかなか読みすすめられなかった。けれど、なにもしていないと「病気で仕事を休んでいる。すなわち、さぼっている、ダメ人間」という思考にいきつくため、なんでもいいから本を読みたかった。

よしもとばななさんの「人生の旅をゆく」は、ばななさんの旅先で感じたことや、お子さんとの日常で体験した何でもないことが綴られていた。しかし、その何でもないようなことこそが、人生のきらめきだし、宝物だというエッセイ。

この本に収録されている「単純に、バカみたいに」という文章にたどり着いた時、わたしは心底救われた気持ちになった。そこにはこんな風に記されていた。

 私は現代の要求にのまれてしまい、今はもう現実に参加できなくなったり、とことん体を壊してしまったり、人相が悪くなってきりきりしてしまっていて、もう話もできなくなってしまったような知人がいっぱいいる。何ものかよ、元の彼女たちを返してくれ! と心から思う。私の頭の中には、その人たちが元気で生き生きしていた頃の映像がいっぱいつまっている。それは何があっても損なわれるべきではないものだった。 みんなかけがえのない才能、替えられない笑顔、優しい心を持った普通のお嬢さんたちだったのに、どうしてあんなことになってしまったんだ、と言いたい。彼女たちこそが炭坑のカナリアなのだろう。

* 本文を一部抜粋させていただきました。この前後にも文章があります。

この文章を目にしたとき、ようやく「ああ、今の私の状態は、病気なだけなんだ」と思うことができた。誰かと話すのも、ごはんを食べるのも、目をあけることすら億劫で、私には生きている意味なんてない。そう思っていた。

しかし、それは、単純に病気なだけ。少し前までは、笑ったり、おしゃべりしたりしていた。病気じゃなくなれば、また戻れるかもしれない。そう思うことができた。

「単純に、バカみたいに」という文章を何度も何度も読んだ。だからといって、病気が全部がころっと治った、という訳ではない。神奈川でのひとり暮らしをやめて、大阪の実家で静養することになった。そのため、心療内科を転院しなければいけなかったのだけれど、お医者様との相性が悪く、何度か病院を変えたりもした。結局、一年間休職した後、結局その職場ではたらくことができないため退職を選んだし、その後も、「働かざるもの食うべからず」と慌ててアルバイトしたりして、また体調をくずした。実家暮らしのストレスもあり、また食べては吐いて、を繰り返していた。

けれど、ことあるごとに、「人生の旅をゆく」を読んで、「今は、こういう時期なだけだ」と思いこもうとした。ばななさんの文章は私にとって、まぎれもなく「お守り」だった。ありがたかった。

吉本ばななさんの小説やエッセイに助けられた、というひとはおそらく世界中にいるだろう。文章が持っている力にははかりしれないものがある、ということも教えてもらえた。いつか、お会いしてお礼が言えるひがくるといいなと、考えていた。もちろん、ファンレターとか、そういったもので感謝を伝えることもできるけれど、こうして同じ時代に生きているのだから、お会いできるならば直接お礼が言いたい。

そんな風にぼんやり思っていたら、ちいさなチャンスが舞い込んできた。

吉本ばななさんと奥平亜美衣さんの「自分を愛すると夢は叶う」出版記念イベントが開催されるという告知がされていた。

(長くなりましたので、後半へ続きます)


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