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夫婦で共通の趣味は必要だろうか?

「うちは全然趣味が合わなくて。オットの趣味のものはジャマでしかたない」
こんな話を、時々耳にする。カフェにいらっしゃるお客さまの会話が聞こえてくることもあるし、知人と話ていても、こんな話になるときがある。

夫、または妻と共通する趣味がないと困るものだろうか?

わたしは夫と一緒に暮らして、もう十年近くになる。大学で同じサークルに所属していたので知人歴は約二十年近い。

大学の学科もサークルもかなりマニアックなもの(海洋生物学)で、興味の対象が似ているというのはある。けれど、趣味が共通しているか? といわれるとまったくちがうと言えるだろう。

夫の趣味は、魚釣り。
海にも行くし、川にも、湖にも行く。ほぼ毎週欠かさずに、テレビで放送されている釣り番組を見ているし、大間のマグロ漁師のドキュメンタリー番組なんかも噛り付いてみている。「ここ、息子も漁師になったんだ」とか、まるで知り合いかと思うほどに詳しく覚えている。

わたしと結婚したときは釣り関連の会社に勤めていた。いろいろあって、いまは転職してしまったのだけれど。

夫の行動は、釣りを中心に考えられている。満月や新月の日には「今日は釣れそうだな」とか。風が強くふいていると「今日は釣りに行かなくて正解だった」とか。スーパーで鮮魚コーナーにいくと「あ、わかさぎ売ってる。冷凍保存して餌にしていい?」とか「この値段でアジが買えるなら釣り船に乗るの、考えちゃうな」とか。釣り船にもいろいろ種類があるけれど、乗ると一回一万円近くはかかるため、魚一匹の値段を考えると割高なのだろう。

結婚するときも、わたしは好きなお店の指輪を買ってもらったので「何かお返しにプレゼントしたい」というと「CASIOから出てるフィッシングウォッチがほしい」という。魚の活性が高くなる時間(エサを食べる時間)に、魚のマークが表示されるという、普段の暮らしには役には立たない機能がついている時計だった。今はもう売っていないかもしれない。

自宅にはたくさん釣り道具があるし、それでも毎年「ルアーの新色を買ってほしい」とせがまれる。

わたしたち夫婦に子供はいないが、もしいたら「鯉太郎」と名付けられていたかもしれない。リアル釣りバカ日誌である。

わたしは釣りはきらいではない。けれど、夫が釣りにかけるほどの情熱はない。一緒に釣りに行くつもりもないし、釣りロマンも求めないし、マグロ漁師の活動にもさほど興味はない。

夫は夫で、わたしがいろいろと文章を書いたり、公募に小説を応募しているのは知っている。けれど、一度も読んだことはない。どの作品も、一行も。全然興味がないし、普段から小説はおろか文字を読まない。文字を読むとすぐに眠くなるらしい。夫はツイッター、フェイスブックのアカウントも作っていない。SNSにはほとんど興味がない。

ここまで書いてきて、わたしと夫は全然趣味が合わない。夫はアウトドア、わたしはインドア。だけど、一緒に暮らしていてもそれほど息苦しさも感じない。お互いの趣味に干渉し合わないからだろう。

「釣り道具じゃまだから片付けて」と言ったこともないし、「そこらへんに散らかってる本、どうにかして」と言われたこともない。一緒に暮らしているネコがイタズラしてビリビリに破いていたときは「なにかケースに入れたら?」とだけは言われたけれど。

お互いの趣味に興味がない、とまではいわない。けれど、夫が好きなものごとを、わたしも好きにならなくちゃいけないとは思わない。たとえ共通の趣味があったとして、仮にふたりとも釣りが好きだったとして。釣りにもいろいろな種類があって、海にいくか、川で釣るか。魚の種類もいろいろあって、使用するアイテムも魚種によっては違ってくる。それぞれの好みが違ってくるだろうし、「釣りが好き」という大まかなくくりが一緒でも、細かいポイントが違ってくると話が合わないだろうし、こだわりが強い分、むしろケンカになりそうなきもする。漫画が好き、映画が好き、とひとことで言ってもジャンルが様々だし、お互い好きな漫画や映画が重なるとも限らないだろう。共通する趣味があったとしても、話が合わない、ということだって十分にありうる。

共通する趣味なんて、なくてもいい。夫がやりたことをすればいいし、私は好きなことをする。夫婦とはいえそれぞれ別の人間なのだから、それぞれ満足するポイントは違う。共同生活なので、それなりに妥協して、すり合わせていく必要はあるにしても。

わが家の場合には、お互いの趣味には干渉しなくても、お互いの個性というか生態に興味があり、それを観察していたいというのが、本音かもしれない。

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