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知らなくても、守られていること。

スマホアプリで登録している「ほぼ日」の更新を知らせる通知。

「ほぼ日刊イトイ新聞」は、いつも11時更新なのだけれど、「あ、きょうはまだお休みの、9時更新の設定なんだな」と、何気なくページを開く。(土日祝は午前9時に更新されています)

トップ画面には、糸井重里さんが書かれてる「今日のダーリン」がいつも通り掲載されていて、「このいつも通りが、いかに難しいことか」と思いながら、記事に目を通したんです。そこで、読んでいる途中でハッと心を掴まれました。

そこには「不動明王にいてもらおう」という意味の内容が書かれていました。

「今日のダーリン」という記事の性質は、更新ごとに変わってしまう。アーカイブとして残らないものなのだ。そこに意義がある、とも感じているので私が書き写すことは、なんだかルール違反のように思う。(リアルタイムで私の記事をご覧いただいた方は「ほぼ日」のリンクにぜひ飛んでいただきたいです。1月5日の更新分です)本文ではないけれど、要約した内容がこちら。

不動明王のお守りを持つことで、自身がもつ怒りの炎や煩悩なんかを不動明王におまかせして、焼きつくしてもらおう。そして自分は穏やかに過ごそう

本当に、その通り。

お守りとは、そういった意味が込められたものなんだと、すとんと腑に落ちたんです。

私は大阪出身で、小さいころから毎年「大阪 成田山不動尊」にお参りに行っていました。今でも年が明けてから初めて帰省するときにはお参りに行くように心がけています。成田山不動尊という名前からも想像できそうですが、このお寺のご本尊は不動明王様なんですよね。「お不動さん」とか「成田山」と呼んでいました。このニュアンスが山、というよりも○○さん、とご近所のお友達であるかのように、気安く、身近な存在でした。

そして、この成田山には「奥之院」と呼ばれている洞窟があるんです。

そこはひっそりとした洞窟でした。天井も低く、背の高い、例えばバスケットボールの選手とかが来たら中腰で進まなきゃいけない程です。その洞窟の一番奥には大日如来像があり、その左右にも仏像がありました。

その洞窟の一番奥に進む途中にちいさな横穴がたくさんあります。そこには、干支ごとに分けられた「奥之院十二支守ご本尊(八体仏)」があります。

ね年生まれご本尊・千手観音菩薩 / うし とら年生まれご本尊・虚空蔵菩薩

う年生まれご本尊・文殊菩薩 / たつ み年生まれご本尊・普賢菩薩

うま年生まれご本尊・勢至菩薩 / ひつじ さる年生まれご本尊・大日如来

とり年生まれご本尊・不動明王 / いぬ い年生まれご本尊・阿弥陀如来

このように設定されているんですね。小さいころはこの「奥之院」の洞窟が怖くて、お参りするのも大変でした。ろうそくの炎の明かりだけが頼りで、真っ暗なんです。とにかく怖い。なんとか逃れたくて、とり年生まれの私は「不動明王さまはもう、お参りしているから、ここ行かんでもいいんちゃう?」とへりくつをこねていました。それなりに大きくなったら、そんな駄々はこねくり回さないで、とりあえずお参りしとこう、という感じでした。

それぞれの干支に据えられた意味、というのは理解していません。でも、今朝の「不動明王にいてもらおう」という考え方がものすごくしっくり来たんです。怒りや煩悩を、私の干支の守り神である不動明王に焼き尽くしてもらえばいいんだ。必要以上に怒ったりすることはないんだと、スッと納得できたんです。

もちろん、きちんとした謂れがあるでしょうし、「ぜんぜん違う! 分かってない!」と怒られるかもしれません。もっと深掘りして調べたことを記事にすることが意義あることだとも思います。ですが、自分の干支に守り神がある、という考え方って、浸透しているのでしょうか? 「これこれ、こういう謂れがあるんですよ。さあ、あなたは何年?」とかいっても、押しつけがましいだけですし、私なら、ちょっと嫌な気になる気すらします。私は幼少のころから「とり年の守り神は不動明王」と刷り込まれているので「私にはお不動さんがついている」と思えるのですが、そうじゃない人も、いると思うんです。なんとなくスピリチュアルっぽいので、拒否される方もいると思います。


氏神様にお参りする初詣もあれば、大きな神社に参拝する初詣もあります。一応買っておくか、という程度だとしても破魔矢やお守りを買って家に飾ったり鞄につけたりもします。だけど、今回、糸井さんが書かれている様に「この神様が私の代わりになってくれる」という存在がある、と思うと少し気が楽になるのではないでしょうか? 「身代わり不動」という不動明王の仏像も成田山にはあります。身代わり、って何を身代わってくれるんかな? と思っていましたが、「怒るの、身代わります」という意味なのだとしたらすっごく分かりやすいな! と思いました。

「不動明王は頼もしいぞ」という糸井さんの言葉にも勇気づけられました。私には、頼もしい不動明王がついているんだ、と。

仏像がそれぞれ持っている力についても、もっと学んでみたいなと思います。



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