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電話に対する特別な緊張感について

音声入力が留守番電話へのメッセージ入力に似ているようで、とても苦手だという記事を書いたのですが。

そもそも、電話に対して苦手意識が強すぎる。
その理由はかなり明確で、やはり幼いころや家族と暮らしていたときの電話への接し方にあるなと思い至った。

わたしの実家では、未だにダイヤル式の黒電話を使い続けている。サムネイル画像の電話が、まさにそれだ。ちょっとホコリをかぶっているのが、我が家での電話に対するぞんざいな扱いの現れだろう。

今は離れて暮らしているため、時々電話をかけることもある。けれど、それも年に二、三回。実家で両親と暮らしている姉へLINEすれば、用事は済んでしまう。ちなみに両親ともに携帯電話は持っていない。必要ないのだという。

玄関の上がりがまちに置かれている実家の電話機。我が家では「わざわざ電話をかけてくるなんて、よっぽど大事な用事」という認識がある。そのため、セールスのような電話に対しては「あなたの話を聞くために電話を設置してるわけじゃないので」と、身もふたもないことを言ってガチャリと受話器を置いた父の姿がいまでも忘れられない。用事のない時には電話しちゃダメなんだと。「あなたの声が聴きたくて」みたいな電話は、我が家ではありえないことで、当然長電話も禁止。

長電話禁止、の理由も聞いたことがある。父いわく「ムダな長電話をしている最中に、ほんとうに必要な電話がかかってきたらどうするんだ」と。
父のいう必要な電話は、誰かが倒れた、とかそういった命がかかっている類のもの。正直、そんな緊急の電話は頻繁にかかってくるものじゃあない。そしてかかってきて欲しくもない。けれども、父は気にしていたのだ。両親(私にとっては祖父母)が高齢だったということもあるだろう。母が母の実家や兄弟へ電話をかけるときは、長電話になることが多いからといって、父が仕事で自宅にいない日を選んでいた。

こうして、私の実家では、あまり電話を頻繁にかけることもなく、また、かかってくることもありませんでした。

18歳から大学進学のために、一人暮らしを始めました。その家には留守番電話付きの電話を設置することになり、「うわぁ、これが留守電っていうやつか!」と、妙に興奮したのだ。ただ、私の大学進学のあたりから、携帯電話も普及が進みはじめ、私も持ち歩くようになった。そのため自宅の固定電話も、それほど使うことはなかった。

ある日、バイトを終えて夜遅くに帰宅したら留守番電話にメッセージが残されていた。録音を聞いてみると「〇〇子供会の連絡網です。明日の集まりには各自でおにぎりを二個、持っていくことになりました……」
このメッセージを聞いたとき、私はどうするべきか分からなかった。時刻は12時に近づいていて、「間違ったところにメッセージを残していますよ」と、デジタル表示されている番号に電話をしてあげるべきなのか? でも、もう深夜、といってもよい時刻。こんな時間に電話を、しかもまったく知らない人から「あなたの電話、間違いでしたよ?」なんて伝えたところで、真剣に聞き入れてもらえるだろうか?

悩みに悩んだけれど、電話をかけなおすことはしなかった。おにぎり二個を持っていかなかった子は、お腹を空かせてしまっただろうか? 二十年近く前のことだとは言え、ちょっと気がかりなままだ。

留守番電話にメッセージを残すのは、結構難しいんだなと、このおにぎり二個事件から学んだことだった。吹き込んだメッセージは、必ずしも届けたい人に届くわけじゃあないんだと。

電話よりも簡単なメールが普及してしまうと、より一層、電話への苦手意識は高まるばかりだ。仕事で使用する時には、澄ました顔をしてなんとかこなしている。けれども、どうしたって慣れないものは、いつまで経っても変わらないのだ。

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