いちばん幼いころの記憶はねじ曲がっている

自分が覚えているかぎりの、いちばん幼いころの記憶がある。

「あひるの公園」と呼んでいた大きな公園に、父と姉とで遊びに行った記憶だ。

あひるの公園といっても、あひるの形をした遊具があるわけじゃない。本当にあひるがいるのだ。その公園は、当時住んでいた団地から幼い子供の足で歩いていける距離にあった。公園は広くて大きな池があり、その池の一角にあひるが住んでいた。飼育されていたのかは記憶にないけれど、ただあひるがいたことは確かだ。

なぜなら、わたしが覚えているいちばん幼いころの記憶は、あひるに突かれたことだからだ。わたしはあひるに突かれて、助けてー! と言っているのに父も姉も「わー、ひろちゃん、あひるに追いかけられてるなぁ」と、笑って見ている、というもの。

追いかけられて困っているのに、笑って見ているなんてひどい。そんな風に記憶していた。しかし、わたしのこの記憶は、どうやらねじ曲がっているらしい。

ずいぶん前に実家で幼いころの記憶について話し合うことがあった。父と母が結婚をして暮らし始め、ある時期までわたしたち家族が住んでいた団地が取り壊しになるという。あの団地がある辺りの風景もがらりと変わるけど、あひるの公園は残るみたいやなぁという話題になった。そのときに「あひるに追いかけてたのに笑ってみてたやろ!」と父と姉に言ってみた。

ところが父は「何言うてるんや!」と慌てて、あの時、あひるはかなりの剣幕でわたしを攻撃していたから、あひるを追い払ったと言う。放っておいたらクチバシで強く突かれ続けただろうし、危なかったという。
父は、あひるが卵を温めているところだったか、わたしがまだオムツをしていてお尻がころんと丸く縄張りを荒らしにきたあひるだと思ったのではないかという見解だった。

姉はこの一件についてはあまり記憶に残っていないらしいが、どうやらわたしは二歳になるかならないか、姉も幼稚園に入るかどうかという時期のことだった。

わたしにとっては「家族に助けてもらえなかった」という今でも記憶されている。あひるに関してはまったくトラウマでもなんでもない。あひるは愛すべき存在だ。あひるを怖いと感じてもいない。

自分の中でなぜそんな風にねじ曲がって覚えてしまったのかは分からない。家族に対する不信感、みたいなものが生まれて初めての記憶になっていることが、ちょっとだけさみしい。

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間詰ちひろ

つれづれなる日々のこと

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