風景にまぎれた違和感には気づかないもの

昨日の矢島商会さんの「教えてください…」というマンガ。あー、こういうの、あるなぁと思います。
私はブックカバー、最近はほとんどつけてもらいません。パッとみて何の本か分かりたいからです。この本、何だっけ? と、確認するのが面倒というか、単にものぐさなだけ、とも言えますが。

そして今朝、鰯崎友(born)さんの「何でこうなった」シリーズがアップされていていました。
恋愛、という漢字をバッチリ書き間違えいます。

もしも、神様が「どれどれ? どんな願いを書いたのか、みてやるか」と絵馬を見たとして。一枚目がこの、漢字間違いだとしたら「恋愛をどうこういう前に、まずは勉学に励むがよい。菅原道真のところへ行くがよい……」とか言われてしまいそうです。

ただ、この絵馬の漢字間違いを見て「あー、そういえば……」と思い出したことがありました。

小学生のころ、私はティーンズノベル、と呼ばれる小説にどっぷりとハマっていました。集英社のコバルト文庫。四十代前後の女性の方なら知っている、という方もいらっしゃるかも知れません。氷室冴子さんの「なんて素敵にジャパネスク」とか。そのころは本自体を汚したくなくて、書店でカバーをつけてもらっていました。で、背表紙に手書きで、その本のタイトルを書いて、家族みんなが見ているテレビの、すぐ横にある本棚に並べていたんです。

いろいろなシリーズを読んでいましたが、藤本ひとみさんの「マンガ家マリナシリーズ」が、かなり好きで集めていました。美少女、とは言えないけれど愛嬌のある、漫画家志望のマリナが周りで起きた事件(トラブル)を解決するお話でした。事件ごとに、マリナにはカッコいいパートナーが現れて、ほぼ全員マリナに恋をするっていう。今だと乙女ゲームとかに近いのかな? と思います。

その本のタイトルには、必ず「愛」が入っているんです。「愛の迷宮で抱きしめて」とか、「愛から始まるサスペンス」とか。ちょっと恥ずかしいけれど、その本もカバーをかけて、背表紙にコツコツ手書きでタイトルを書いていました。そのシリーズとか、他にもいろいろと並べていたんです。

ですが、ある日。その本棚に一緒に並んでいた過去の年賀状の住所録を母が取り出そうとしたときに「なんや、これ。書き間違えてるんちゃうか?」と言われたんです。そう。「愛」という字をなぜか「変」って書いていたんですよねー……。おそらく、まとめて背表紙に書く時があって、「恋愛の、なんちゃらかんちゃら」みたいなタイトルが、まず「変愛の」に変わっていて。「恋」が「変」になるのは、まあ、漢字も似ているし、絵馬の人だって、間違えていらっしゃるし、あるかな? と思うのですが。なぜか「愛」までも「変」って書いていたんですよねぇ。二段階に間違えている小五の私よ、もっと確認しろよ! と今さらながら思います。その後、書き間違えていた背表紙は修正ペンで「変」から「愛」に書き直したのですが、白くばっちりと間違えた箇所が逆に目立つようになってしまって、なんとなくいたたまれなかったことを思い出しました……。

絵馬には書いていませんが、もしも縁結びの神様が通りかかっていたら「漢字の間違いというより、そなたは思い込みが激しい。まずはモノゴトを注意するところから始められよ。交通安全の神様をお教えしよう」というか、「そなたは、どうも変わったことが好きなようだ。もう少し、世の中を色々と見渡しなされ」と、注意を受けそうですね……。

ただ、家族の目にもずっと触れている場所だったのにも関わらず、誰一人(書いた本人も)気が付かないまま長い間、気が付きませんでした。おそらく三か月くらいの間は「変の迷宮で抱きしめて」になってたんですけれども。

Eテレで放送されている0655という朝の番組で「そうとしかみえない」という歌があります。これは、「脳が補完して考えてしまう」という例を映像で挙げながら紹介しています。補完するとは、その場所にあるものなのにない、と思いこんだり、ないものなのに、ある、と想定してしまうんです。脳って、不思議ですよね。

漢字の書き間違い自体は、本当にうっかりというか、注意力散漫なだけのことです。でも、家族も「補完」して見てくれていたんだと、今になっては思います。娘が「変の迷宮」をさまよっていれば、さすがに心配になるでしょうからね。


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