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ゴルフのことは知らないけれど【ある、バイト。】

7月に入ったある日、ひとつのスポーツニュースに目が止まった。 

そのニュースは「ゴルフの石川遼選手、三年ぶりに優勝」というものだ。
プロゴルフファーの石川遼選手。デビューしたばかりのころはゴルフの成績のみならず、「ハニカミ王子」というニックネームで呼ばれ世間の注目を集めていた。最近では腰痛があるなど思うよ うに成績を伸ばせない、などのニュースでちらりと聞いたことがあった。

石川遼選手の優勝のニュースをみて、わたしは少し嬉しかった。というのも、わたしは以前ゴルフ 大会の警備アルバイトを経験し、ゴルフ大会に出場中の石川選手を見かけたことがある。

2010年の秋のこと。 

わたしは結婚して横浜の外れにすんでいた。その頃のわたしは、うつ病が治りかけているものの、 まだ働くことが怖かった。

フルタイムで働くことは精神的に怖かったし、体力も全然なかったの でまだ無理だろうと思っていた。どうにか「おはぎを作る短期バイト」で働くことができたので、 少しずつ自信を取り戻し始めているところだった。

なにか良い短期のアルバイトはないかと、アルバイト情報誌をめくっていると「ゴルフ大会の警備」 として一週間程度のバイトが募集されていた。一週間フルで働くと10万円近く稼げそうで、「こ れは稼げるし、良さそうだ」と思い、その欄を赤いボールペンで丸いしるしをつけた。

夫に相談すると「絶対にやめたほうがいいよ。警備バイトなんて、危なくない?」と眉をしかめた。

夫は大学生のころに警備のバイト(道路工事でおこなわれる道路の片道封鎖の補助)をした ことがあるという。日中外に立っていなくっちゃいけないし、ましてゴルフ大会の警備なんて、暴動は起きやしないだろうけれど何があるかわからない。そして当時は大人気だった石川遼選手を見にくるお客さんも多いだろうし、大変だよといってわたしがアルバイトに応募するのをやめさせようとした。

たしかにわたしは一日中外で立っていることもしんどいし、日に焼けるのもイヤだし、わあっと 集まってくるお客さんを「下がってください!」などとたしなめられるかどうかもわからなかった。それでも、「すごく稼げそう」と思ったのと、しんどくても短期バイトだから、数日だけのことだし、と言い夫の反対を押し切って応募することに決めた。

たった数日の警備バイトだけれど、健康診断の結果を提出しなくてはいけなかったし、二日間ほ ど集団で研修もうけた。

研修に来ている人は9割がた男性だった。名前を名乗る程度の簡単な自己 紹介をしたのだけれど「バイトに来ている理由」を言っている人たちのそれぞれの理由(仕事を 探しているとか、自営業だけれど今の時期は全く仕事がないので、などなど)ほんとうにいろんな 理由があって、聞いていて少しくるしかった。

ゴルフ大会はCanonが主催しているもので、かなり大きな大会らしい。

「らしい」というのも、っ わたしはまったくゴルフに詳しくなくて、その大会がゴルフの賞金ランキングなどではどんな位置
付けになるのかも知らなかった。ただ、大勢の観客が試合を見にくるのだとということは研修を受けて理解した。

警備バイトはふたつの持ち場があって、その研修中に持ち場を決められた。

ひとつは、最寄駅か らゴルフ場までの道のりに立つ係。短期バイトで集められた大半はこの持ち場につくことになっていた。

もうひとつは「クラブハウス周辺の警備」というもの。わたしはこちらの担当を振り分 けられた。
ゴルフ場に行ったことがなかったので、そもそも「クラブハウス」がなんなのか知らなかった。クラブハウスサンドイッチのクラブハウスかな? くらいの認識でしかない。

クラブハウスはゴルフ会員の人が着替えをするためのロッカールームがあったり、食事をしたり、予 約をしていた人の受付などがある建物、といえばわかりやすいかもしれない。(今でもその程度 の認識しか持ち合わせていない)

大会に出場する選手たちは、クラブハウス内にあるロッカールームを使用したり、ゴルフのプレー 時間以外はクラブハウス内にいることになる。そこに、一般の観客たちが入ってこないようにす るために、各場所に警備員を配置されるという。けっこう重要な任務であるが、その担当にわたしは選ばれたのだった。

ただ、クラブハウス警備のメンバーには女性が多かった。そのゴルフ場はマナーの良い観客が多いということもあったし、ゴルフ大会には海外の選手も参加していて、英語で話しかけられてもパニッ クにならなさそうな人選がされていた。

わたし以外にも大学生の人たちが三、四人と、英語がしゃべれる主婦の人もいた。どちらかといえば、屈強そうな警備員メンバーとはいえず、大学のサークルとそのOBみたいな和気藹々とした「クラブハウス警備チーム」だった。

ゴルフの試合は朝が早い。

そのぶんバイトの集合時間が遅くても朝6時半くらい。朝一番で配置につかなくちゃいけない人は6時半くらいからすでに仕事が始まっていたように思う。 

それぞれ指定された場所に配置され、警備につくのも1時間半くらいで交代してその後は一旦待機。 その間はずっと立っていなくちゃいけないけれど、でもたいしたことない。ただ、警備員の服装として革靴(女性は黒革パンプスも可)が指定されていたので、足の裏がちょっと痛くなった。

ゴルフって、意外と楽しそうだなあと思ったのは、朝にゴルフコースを見た時だった。

 朝一番の警備場所が芝やゴルフコースがすこしが見える場所だったのだけれど、空気もいいし、鳥 の声が聞こえたり、「爽やかな朝」そのものだった。朝一番だと、まだゴルフ大会の観客は入場できないのでシンと静かで、深呼吸して、警備中なのにラジオ体操でもしたくなるほどだった。

都会で働いている人たちが休みの日になるとゴルフに出かけたくなる気持ちもちょっとだけわかる。作られた自然といえばそれまでだけれど、気持ちがいい場所だなと思ったのだ。

その大会には大勢の選手が出場していたのだけれど、とにかく石川遼選手が注目を浴びていた。コースを回っていく中で、観客も彼についてぞろぞろと動き回る。彼のワンショットに一喜一憂する。とにかく大変な人気だった。

実際のところ、警備も石川遼選手の動きに合わせて配置を変えたり、移動してもらうルートを、 観客に触れられないようにしてガードしたり、というものが多かった。「石川遼くんを見たい」その 一心で「中のトイレを借りたい」といってクラブハウス内に入りたがる人もいた。もちろん、そういう人を見かけると追い出さなきゃいけなかった。

世間の注目を浴びているとはいえ、大変だなあと心底思った。ゴルフの試合なんて、集中しなきゃいけないだろうに、大勢の観客がわいわい押し寄せてくる。もちろん、ゴルフというスポーツ自体人気が出るし、アイドル的な存在は必要なのかもしれない。けれど、ちょっとした移動ですら気にしなきゃいけないし、どんな服装でプレイしているかまで注目されるなんて、わたしなら息が詰まりそうだ。

何度かわたしが警備している前を通り過ぎることもあったけれど、とても礼儀正しくて、警備員にまで気を使ってくれていた。その反対に礼儀正しくない横柄な選手もいたけれど「試合 運びがうまくいってないのかな?」と思ったりもした。そんな中でも結果をだしている石川選手は、やっぱりすごいものだと「クラブハウス警備チーム」一同で感心したのを覚えている。

数日かけて行われた「キャノンオープンゴルフトーナメント」とよばれる大会で、石川選手は優勝を逃した。その年は横田真一選手が優勝し、13年9ヶ月ぶりにツアー通算2勝目を飾ったとして、それはそれで話題になっていた。

ゴルフの警備バイトをした直後は、選手の名前もちょっと覚えたし、ゴルフにも少し興味があった。けれど、わたし自身ゴルフに関する興味もなくなっていったし、世間を騒がせていた「石川遼くんフィーバー」のようなものも薄らいでいったように思う。

もうゴルフのこのとなんてすっかり忘れていたけれど「石川遼選手が3年ぶりに優勝」のニュースが報じられた。テレビで笑顔を見せている石川遼選手をみた。はにかんだような笑顔ではなく、しっかりと力強さが感じられ、なんだかとても、うれしかった。

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