同じ体験をしていても、記憶の中身はちがっている。

同じものを見ていたはずなのに、記憶に残っているものはかなり違うものだ。

先日、姉といろいろ話をする時間があった。そのなかで、姉は幼いころに「アコーディオン」が怖かったという。

アコーディオン? なんでそんなものが怖かったのだろう? 

わたしたち家族が毎年お正月に初詣へ参拝するお寺がある。幼いころからずうっと、お参りしていて、今年のお正月にも家族四人で行ったばかりだ。

姉が言うには、そのお寺の門前に、ゲートルを巻いた、戦争時に着用していたであろうカーキ色の洋服を身にまとった人がいたという。その人は、片足を戦争でなくしたのか、ひざの下あたりから切断されていたらしい。そして、そのひとが、アコーディオンを弾いていたのだという。

あまり聞いたことのないアコーディオンの音と、見たことのない服装をしたおじさんがいることに対して、幼いころの姉はものすごく恐怖を感じてた。

「ひろちゃんも、一緒にいてたし、見たことあるはずやけどな」

姉は不思議そうにそういった。昭和五十年代の後半から昭和の終わりくらいの話なので、いまから三十年以上まえの思い出だ。

姉は、ほかの場所でも似たような様相の人を見かけたことがあるらしい。いまではすっかりきれいになった駅前だけれど、改築前の駅前はごみごみとして、どんよりと暗い道もあった。普段は通らないその場所に、なぜか行ったときに、同じような人がそこにいたという。同一人物であるかどうかは不明だけれど、その人もアコーディオンを弾いていて、怖かったらしい。

姉にとって怖い象徴として、アコーディオンはインプットされていた。けれど、けれど、わたしには全くその記憶がない。戦争から帰ってきた様子のおじさんのことも全く覚えていないし、アコーディオンを弾いていたことも覚えていない。

あまりにもわたしが覚えていないので「もしかして、お姉ちゃんだけがみえてた亡霊なのでは?」といって、姉とわたしは震え上がった。しかし、母に聞いてみたら「ああ、いてはったなあ。そういう人。戦争が終わってから、もうずいぶん経つのになあって思ったわ」と何事もなさそうに言っていた。アコーディオンも、弾いていたらしい。

母が子供のころ(昭和三十年代)には、そういった人たちはたくさんいたから、怖くもなんともないのだという。

いままで知らなかったけれど、そういった人たちは「傷痍軍人(しょういぐんじん)」と呼ばれているそうだ。申し訳ないけれど、わたしの記憶には、その人たちの姿はないし、アコーディオンが怖い、という記憶もない。おそらく姉と並んで歩いていたはずだから、目撃しているとは思うのだけれど。

怖いと思うもの、恐怖を感じるものは人によって違っている。姉にとって怖いなどと感じたことの無いものが、わたしにとっての恐怖の対象であったりもするのだ。

怖いものごとだけでなくて、嬉しかった思い出や、悔しかった思い出なんかも人によってはまったく違っているだろう。わたし自身、幼いころに誕生日に父にひどく怒られた記憶がある。怒られてしまった記憶が強いため、誕生日がやってきても心の底から嬉しいとは、思えなくなってしまった。

記憶されていることは、その人自身がこころを動かした証なのかもしれない。





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