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単なる傍観者としての備忘録

先日、電車に乗っているときに目撃したことが、こころから離れていかない。わたしだったら、どうしていただろう? とずっと考えてしまって、良い行動はなんだったのだろう? と自問自答してしまう。備忘録として記しておきたい。

わたしは東急東横線の電車に乗って、待ち合わせの新宿に向かっていた。東急東横線は渋谷から先は副都心線と名前が変わり、新宿三丁目まで乗せていってくれる。

わたしは三人掛けの座席に座っていて、ぼんやりと到着を待っていた。自由が丘だったか、中目黒辺りかは覚えていないけれど、親子二人が乗ってきた。その親子は、子供がわたしと同じか、もう少し年上(に見える)40歳前後。母親が70代くらいに見えた。二人ともマスクをしていたけれど、目元とか顔の周りの輪郭がとても容姿が似ていて、親子だと一目でわかるくらいだった。

お母さんに席を譲ろうかと思ったけれど、ちょうど降りる人がいて、わたしの向かいの座席に二人は並んで座った。ぺちゃくちゃとおしゃべりをするわけではないけれど、ときおり何やら会話をして、目元が笑っている様子がうかがい知れた。

電車は渋谷に到着して、乗降客が入り乱れた。ただ、昼の時間帯だったこともあり、それほど満員ではなかった。

親子二人の前に、渋谷から乗ってきた女性が、つり革につかまって立っていた。女性の顔はちらともみなかったけれど、きちんとセットされたショートヘアと、上質なコート。耳には大ぶりのイヤリング。ローヒールの靴。ファーで装飾された少し大きめのバッグとともに、渋谷で買い物をしたらしい紙袋と、ビニールの袋を手に持っていた。つり革を持つ左手の肘に買い物袋を下げて、右手にはトートバッグを握っていた。と後ろ姿から見ても、とても上質なものを身にまとっている人、という印象だった。

その時、電車が大きく揺れた。

つり革につかまっていた女性は、大きく身体を傾けて、座席に座っている親子の、母親の方へ身体を近づけた。そして、左肘にぶら下げていた荷物が、母親の顔にぶつかったように見えた。

「あ、ごめんなさい。大丈夫ですか?」

立っていた女性はとっさに謝っていた。座っていた母親は顔をずっと押さえていたけれど「大丈夫です」と、言ったようだった。

大丈夫、と言われたことで安心したのだろう。立っていた女性はその場所から少し離れ、出入り口付近に立つ位置を変更していた。ただ、その座席は三人掛けなので、座っている親子から大して離れているわけでもない。細々とした声で交わされる会話も、聞こえているはずだった。向かいに座っているわたしですら、聞こえていたのだから。

「なんか、荷物の角が当たったみたいで、目がズキズキする」母親は、ずっと左目の上、まぶたあたりを押さえていた。娘も母親の顔を覗き込んで「大丈夫? 土曜日なら病院やってるし、今から行くなら行こうか?」と提案していた。けれど母親は「大丈夫とは思うけどね……」と決断できない様子だった。

その隣に座っていた、その親子とは全く関係の無いおじいさんが「何かあったらいけないし、気になるなら病院に行ったほうがいいよ。目のことは、心配だよ」とアドバイスしていた。親子は「そうですね」と言いながら、ただ静かに座っていた。母親の顔は、ものすごく辛そうで、これまで見せていた楽しそうな表情とはうって変わって、しょんぼりとした表情だった。

その一連のやりとりを、荷物をぶつけてしまった女性は聞いているはずだった。(おじいさんの横は座席の端で、そのおじいさんの前あたりに、女性は立っていたのだから)

けれど、そちらのやりとりをチラリとも見ることなく、女性は新宿三丁目で降りてしまった。わたしも、新宿三丁目で、その電車を降りた。降りるときに、その母親の顔を見ると、押さえていた左瞼が、少し腫れているようにも見えた。

ファーのバッグを持った女性の姿をわたしは目で追ったけれど、あっという間に人混みに紛れて見失ってしまった。


わたしが荷物をぶつけてしまっていたら、どうしていただろうか。新宿三丁目で降りた女性は、不可抗力で荷物をぶつけてしまった。悪気はないのは、わかる。ちゃんと謝っていた。

けれど、それで終わり、で良かったのだろうか? わからない。

病院代、としておわびのしるし的にお金を少し渡したほうが良かったのか。それとも、「病院にかかられるならば、お題は支払います」として名刺(なければ連絡先)を渡しておくべきだったのだろうか。

わたしがぶつけてしまっていたら、どうしていただろう。とっさに、どうするべきか、判断できただろうか? できないまま、電車を降りてしまったかもしれない。

どうすればいいのか、とっさに判断することができないかもしれない。けれど、親子で出かけている、楽しみの時間を奪ってしまったのだと思うと、胸が痛む。

降りた女性が悪いと、攻めたてることも、わたしにはできない。

単なる傍観者を決め込んでしまった、わたしの備忘録として記しておく。




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