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人形劇のトラウマと太宰治

小学生のころ、偶然テレビで見てしまった人形劇がいまだに怖くて、忘れられない。

ブラウン管のテレビを使用した、もう三十年も前の話だ。テレビ/ビデオ・ゲームといった画面の切り替えはなくて、普通に見ているチャンネルにゲーム画面が反映するというものだった。我が家で使用していたテレビではNHK教育番組(いまでいうところのEテレ)のチャンネルで、ファミコンゲームがうつし出されていた。

ファミコンでたっぷりと遊んだのち「さあ、片付けよう」として、電源を切った。画面を切ると、NHK教育番組がうつし出さる。その時は、なにやら、人形劇が放送されていた。しかし、その人形劇は明るくたのしい、といった要素はひとつもなくて画面全体が、赤黒く、ドロドロに汚れた人のかたちをした人形がうつし出されていた。

「なんの話やろ?」少し気味が悪かったけれど、なんとなく気になってテレビに魅入ってしまった。その話は、地獄におちた罪人カンダタが、生前唯一助けた蜘蛛がいた。お釈迦様が蜘蛛を助けた慈悲により、救いの手を差し伸べる。助けた蜘蛛の出した糸をたどって、地獄から逃れようとする。しかし「俺だけが助かるんだ。他の奴らは、のぼってくるんじゃねえ」そういって、まとわりついてくる周りの罪人を蹴り落とそうとしたときに、蜘蛛の糸がぷつりと切れる……。

太宰治が書いた「蜘蛛の糸」の人形劇が、テレビで放送されていたのだった。

その話を見たときに、私はあまりにもこわくて泣いてしまった。蜘蛛を助けるどころか、殺したことがある。なんなら、なめくじには塩をかけて溶ける様をじっくり観察したり、アリは泳げるのかと、水の張ったバケツに落としたこともある。そして、「私のものなんだから、触らんといて」と、姉とケンカした心当たりもある。私はカンダタと同じで、蜘蛛の糸はぷつりと切れて、救いようのない人間なんだと、つよく感じてしまったのだ。とにかく、怖かった。私は、カンダタとおんなじだ。そう思うと、自分はもうすでに、悪いことをしているし、救いようもない人間なんだと思ってしまった。

怖くなって、しゃくり上げるように泣いた。母も、姉も「何でそんなに泣いてんの? いままでゲームしてたのに」と不思議そうだった。そりゃそうだ。たったの五分程度、繰り広げられた人形劇で、私は自分が救いようもない人間だと思ってしまったのだから。

その日から、蜘蛛を見るたび胸がチクッと痛んだ。これから殺さなかったとしても、もう何度も殺してしまってるし、救いの手は差し伸べられることなんてないよな、とそこには諦めの気持ちも混じっていた。


太宰治の名前は、近所の図書館でたまたま見かけた。日本や海外の文学全集のコーナーに足を踏み入れた時、「こういうのを読んだら、ちょっと大人になれるかも」なんて、小学生の頃に興味本位で手を伸ばした。そして、その全集には太宰治の「蜘蛛の糸」というタイトルの話が収録されていた。

もう、タイトルを見ただけで「あの話だ……」と感じた私は、急いで本を閉じて棚にしまった。あの怖い話は、太宰治が書いたんだ……。そう思うと、太宰治が書いた小説にうかつに手を出してはいけないという危険察知のセンサーが発動するようになってしまった。

ただ、これもどうやら単なる思い込みでしかなかった。蜘蛛の糸は、芥川龍之介が書いていたのだ。しかし、太宰治の「人間失格」という強烈なタイトルだけを知ってしまうと、太宰治が蜘蛛の糸を書いたんだという思い込みと、恐怖感だけが大人になってからも残っていたのだった。

そして、それは37歳になった今でも続いていた。しかし、こうしていろいろと文章を書くようになり「以前から傑作だといって残っている作品を読んでみよう」という気持ちがむくむくと沸いてきた。

以前書いたnoteにも、そのようなことを書いた。

今こそ、太宰治の代表作である「人間失格」を読んでみるのも良いだろう。そう考え、思い切って手に取ったのだ。

「人間失格」だなんて、タイトルだけでも恐ろしい……。

しかし、本文を読む前の作者プロフィールに目を通しギョッとした。

青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935年(昭和10)年、「逆行」が第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。’39年、井伏鱒二の世話で石原美智子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。*新潮社 文庫版 太宰治著者紹介より

激動過ぎる……。鎌倉での心中でふたりとも死んでしまっていたら、いろいろな作品が残されていないということも、なんとも数奇な運命だなと思う。

「人間失格」という作品は、このプロフィールがすべてである、といっても過言ではないほどだ。自伝的な作品であり、遺書のようなものだと言われるのも納得させられる内容だった。

自分自身はとても弱く、非力でなにも成すべきこともなく、ただ道化を演じているだけ。まわりに流されながらも、嘘で塗り固め、身動きが取れなくなってしまう。自分自身で「人間として失格」だと烙印を押さなくてはいけないほどの喪失感。

すっと心に入ってくる内容か、といわれると難しい部分もある。けれど、「わたしは、生きていていいのだろうか? 自分の生き方は、これで良いのだろうか?」と、読み終えたあともじっくり考えてしまうものだった。

太宰治作品に対する圧倒的な恐怖心は、すこしだけ和らげることができただけでも、この作品を読んでみた価値はあっただろう。

ただ、「蜘蛛の糸」を手に取ることができるのは、いつになるかは分からない。

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