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『おつかれヒラエスお夜食堂ーあやかしマスターは『思い出の味』であなたを癒しますー』第3話

第2話

第3話

 美味しい『思い出』を食べて不思議な一夜を過ごしたとしても、当然人生が何かがらりと変わるわけでもなし。

  今日は私の管理する架電チームの一人が、大クレームを起こした。
 しかもよりによって、彼女のシフト終わりのギリギリの時間に。

 ただのフォローアップコールの架電をしただけなのに、一時間も延々と罵倒され続けたパートさんも可哀想だが、よりによってシフトが終わる間際に客に言い返さなくったっていいじゃない。

「わかりました。私が折り返しで謝罪の架電をします。飯田さんは帰宅してください」
「すみません、ご迷惑おかけします」

 彼女は謝罪一つを私にむけたのち、軽い足取りで架電ルームを後にする。
 長丁場になりそうな折り返し電話の前に、私もトイレ休憩に出る。
 個室でストレス性の腹痛に唸っていると、外から忍び笑いが聞こえてきた。
 パートさんグループの声だ。


「ちょっと飯田さん、やりすぎじゃないの」
「いいのよ。あの人、いつも偉そうだし。クレームに頭下げるくらいやらせないと気が済まないわ」

 飯田さんの声だ。私はドキッと胸が詰まる。

「だってシフト申告にいつもネチネチ嫌味言うんだもの、家庭あったらそうそう好きに働けないってこと、分かってないのよね」

 ネチネチなんて言った覚えない。
 ただ、一人だけシフト変更に快諾していたら、他の我慢して働いてくれている人に角が立つしーー譲り合ってもらうために交渉したことはあるけれど。
 家庭や他の用事があるのは、他の人誰だって同じなのに。

 他の愚痴が、彼女に同意するように重なっていく。

「でもスカッとしちゃった。お給料分のお仕事、正社員様がちゃんと働きなさいってね」
「ふふ、でもだからって飯田さん、わざと怒らせなくったっていいじゃない」
「どうせ時給査定厳しいんだもんあの女。少しくらい困らせたっていいのよ」
「査定が悪いのは仕事休み過ぎだからなんじゃないの?」
「あはは、逆恨みって怖ーい」

 彼女たちに牽制するように、私はトイレの水を流す。
 するとハッとしたように、彼女たちはこそこそとトイレから出て行った。
 聞かれたら気まずい悪口なら、社内のトイレでやらなきゃいいのに。

「……別に、良いんだけどね」

 ーーこの仕事をしていると、内外の悪意や悪口にすっかり慣れてしまう。
 みんな顧客対応でストレスが溜まっているし、アウトバウンドで露骨に成績がでる職場では、みんな仲良し横並びなんて無理だ。
 パートさん同士で派閥争いを始めて成績が悪くなるくらいなら、ガス抜きとして憎まれるのもSVの仕事のようなものだ。
 私への悪口で気晴らしして、また元気に仕事をしてくれるならどうでもいい。
 でも。
 私を困らせるためにわざとクレームを作ったと暴露されては聞かなかったことにするわけには行かない。
 やはり飯田さんの件の報告も出さななければならないだろう。
 管理不行き届きって、また思われるだろうなと頭が痛くなる。

「はー……それなら飯田さんについての報告書も作らなくちゃ……」

 やることはいくらでもある。
 パートのモチベーション管理。架電中のアシスト。発生したクレームに関するクライアントへの報告書。支店長への報告書。今日の営業報告。他の溜まったクレーム処理。人材育成プログラムの実施状況。その他、その他……

 はっと、私は我にかえる。
 トイレから出てすぐに仕事に戻らないと。
 また、仕事が積み重なっていくばかりなのだから。

 ーーその後、コーヒーを入れ直して気合いを入れた私は、「上の人」として飯田さんの残していった大クレームを引き継いだ。
 折り返しまでの間に落ち着いてくれたらなと思ったのだけれど、電話の向こうのお客様は、落ち着くどころかヒートアップしていた。
 60代の男性のお客様は、音が割れる音量で喚き散らす。

「俺は上司に代わってくれって言ったんだ。なんであんたが出てくるの」
「恐れ入ります。担当飯田に変わりまして責任者の私がお詫びのお電話をさせていただいております」
「ふざけんじゃないよ! さっきのおばさんより若いだろ! 幾つだ!」
「若輩者が責任者としてお電話致しまして、お客様のご不安はごもっともでございます、私が担当部署の責任者でございまして」
「女が責任者なわけないだろ!? どうせあんたもクレーマー用の宥め役なんだろう!? ふざけんな! あれか、俺を馬鹿にしてんのか!」
「お怒りとご困惑はごもっともでございます……」

 感情的に罵倒するお客様の声に、私はただただ頭を下げる。
 上司として私は、ただただ相手が納得するまで謝罪を続け、相手の落とし所を探るのが仕事。パートたちは次々とシフトを終えて帰って行き、私は罵倒の対応をしながら業務報告書とクレーム対応記録を並行で書き続ける。同僚SVたちは苦笑いで私の机に飴を置いて去っていく。
 常盤が机にメモを置く。

『自分が品質チェックの方、しときますよ』

 正直助かる。私は片手で礼を作って彼にお願いする。彼は席に颯爽と戻ってヘッドセットをつけてくれる。

 ーーその後。 
 パートも全て帰宅時間となり、通話時間が三時間を超えた頃、罵倒からネチネチとした攻撃に変わったお客様が、私を嘲るように言う。

「こんな時間まで仕事して、あれかい? どうせ男もいないんだろ」 
「……申し訳ございません。全て私が至らないばかりに、不手際を招きお客様にこんな遅い時間まで 」
「そういうんじゃないよ。俺が聞いてるのは、あんたに男がいるか、いないのか。いないんだろ? どうだ?」
「ご質問に大変申し訳ございませんが、個人的な事情については社内規則により」
「ふん、記録なんて消してこっそり言えばいいじゃないか。それすら誠意としてできないのか?」
 
 罵倒、ネチネチ、その次にやってくるのはセクハラだ。
 決まりきった流れに心を無にしながら、私は謝罪をし続ける。
 そんな私の元に、社内チャットから連絡が入った。

 今のクレームに対する、支店長からの指示だ。
 見た瞬間、私はマイクをミュートにして呟く。

「……うそでしょ」

 クレーム対応の音声をヒアリングしていた、支店長からの指示は。
 アポを取って常盤と一緒に直接謝罪に行くこと。
 支店長が常盤を連れて行けといったのは、私だけでは収められないと思ったからだろう。そして将来有望な常盤に経験をさせるため。

 クレーマーはきっと、私と彼が並んだ時、彼を謝罪の『本命』だと思って接するだろう。明らかに常盤は、おじさんが望む「理想の上の人」だから。
 堂々として若くて、声が大きなハキハキとした男性社員。
 一緒に謝罪に行くのが、上司じゃなくて、同期。

それなら責任持って、12時間私が罵倒される方がまだマシだ。心が。

ーーつまり私は、もうすぐ常盤に抜かされるんだ。

 ぷちん。
 電話が切れると同時に、誰もいない夜のオフィスで涙が溢れた。
 すでに他の社員も全て帰っている。いつもならなんてことないクレームも、事後処理も事務作業も、なんだか積み重なった疲れでしんどくて仕方ない。

 ーーなんで私、こんなに頑張ってるんだろう。
 ーーそもそもどうして、私はこんなしんどい職業についたんだっけ?

 「……カレーが食べたい……」

 とっぷりと夜が更けた終電どき。
 気がつけば私はあの店にまた向かっていた。

第4話


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