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【vol.008】 鬱から抜ける考え方 水を飲むことの称賛から

「水を飲めたことがそんなにすごいの?」


そんな感情の浮き沈みの激しい日々を過ごしていたのですが、私を救ってくれたキッカケが、ある会話にありました。

それは当時テニスでミックスのペアを組んでいた仲間からの電話でした。彼女は看護師で、人の心身の構造への理解があって面倒見の良い人でした。


友人:「今日の体調はどう?ご飯食べた?」
私:「メシはまだ食べられてない。」
友人:「水分摂ってる?」
私:「あぁ、水は飲めた。」
友人:「え!水飲んだん!?あんた、すごいやん。水飲めたんや!」
私:「え?水くらいは飲めたけど、何がすごいねん。」
友人:「だって、昨日の今頃の時間は水もロクに飲めてなかったやん!水飲めるだけすごいやん!」
私:「わけわからん、水を飲むなんていうのは当たり前のことやろ。」
友人:「いやー、それはすごいことやで!」
私:「は?バカにしてんの?」
友人:「バカになんかしてへんよ。だってまずはそこからやん。」
私:「え?まずはそこから?」


この会話が、考えを改めるキッカケになりました。


「水を飲めたことがそんなにすごいの?まずはそこから?」
「水を飲めたことがそんなにすごいの?まずはそこから?」
「水を飲めたことがそんなにすごいの?まずはそこから?」


当時の私にとってはこのバカにされているかのような称賛が大事でした。「水を飲む」という、生物であれば当たり前すぎて深く考える機会すらなかった行為にスポットライトを当てることができたからです。


それまでは、「水を飲む」なんて誰だってできる当たり前のことじゃないか、と思っていたし、そんな地味で当たり前のことは軽視していました。

でもよくよく考えると、人っていうのはその当たり前の「水を飲む」行為をしなかったら死んでしまうわけですよね。となるとそれはとても大切な行為。


友人からの声かけで、

「人が生きるということは、こうした地味で当たり前の行為の積み重ねであって、その当たり前と思っていた一つ一つの行為を丁寧にしていくことが、実はとても大切なのかもしれない」

と思い改めるキッカケとなりました。


その頃は心が完全に折れていたので、自分の内面をマイナーチェンジすれば治るとは思えませんでした。そんなもんじゃ治らない。一旦完全に壊れてしまった自分の内面だからこそ、一から創り直してフルモデルチェンジしなければならないと考えていた頃にもらえたヒントでした。


友人はそれを言いたかったのかどうかはわかりませんが、グルグルと自問自答を繰り返した結果、私はそう解釈しました。




鬱は理想と現実のギャップに苛まされて起きたもの


それまでの私は、そういった地味で当たり前のことはできて当たり前だから、そこに意識をフォーカスすることはありませんでした。

特に経営者となってからは「経営者たるもの社会に価値を提供してこれくらいは稼ぐべきだ」と理想ばかりを追い求めていました。



そんな時にやって来たのが兵庫県庁薬務課です。



薬事法で営業停止の行政処分を受け、売上はゼロになり、社内が混乱し、私はそこを整え直すことができませんでした。残念ながら、それが現実でした。



理想は売上を伸ばして会社を大きくすることができている状態であり、そこまでをやり遂げる自分。

現実は売上がゼロで社内外が混乱している状態で、それを立て直せず出社すらできない自分。


こんなはずじゃなかった。お客さんにも従業員にも喜ばれているはずだったのに。なんでこんなことに。そこから荒れ狂い、嘆き悲しみました。



結局、私が陥った鬱なんてものは、理想と現実のギャップに苛まされて起こっているんだと気付きました。苛まされて、感情が制御不能になった状態。そのギャップが許せないんです。こんなはずじゃなかったと腹立たしく、悲しくもあり、情けなくもある。


感情が制御できている状態であれば、そんなギャップがあっても理想を下げるか、現実レベルを上げるか、その両方をすればそのギャップは解消されるんでしょうが、冷静さを失った鬱の時に理想を下げるのは感情的に難しいし、現実レベルを上げるのは精神的に辛いものです。


そんな時に、この「水を飲むことの大切さ」をヒントに、目の前の「当たり前だと捉えていたこと」を見つめ直すようにしました



そりゃ遠くの理想を完全に見ないわけではありません。ただ、これまではそこばかりを見すぎていたのです。もっともっと目の前に大切なことがあったのに。だから、そのバランスを変えました。


そこから、私の中で徐々に変化が起こりました。


あんまり遠く高くある理想を見すぎず、目の前にあることにフォーカスすると、焦点が目の前に集まるあまり、遠くの理想がぼやけて、フワ〜っと薄らいでいく。理想を下げるのではなくて、現実レベルを上げるわけでもなくて、ただ理想が薄らいでいって、理想と現実のギャップも薄らぐ。心がザワつきにくくなる。

微かですが、そんな兆しが見えました。




目の前の「当たり前」のことに対する評価が低すぎた


振り返ってみると、それまでの私の在り方に大きな問題があったように思います。

水を飲むことにしてもそうですが、とにかく理想ばかりを追い求めすぎて、目の前の「当たり前」と捉えていたことに対する評価が低すぎました。



例えば商品を梱包するにしても、梱包なんぞミスなくできて当たり前。そこからさらにお客さんが商品を取り出しやすくするにはどんな工夫を施せばいいか、などと、理想に近づく創意工夫をして初めて評価に値すると思っていました。


「現状に満足しない」と言えば聞こえがいいですが、その現状を認めるステップが抜けていました。仮に90点を取っても、理想に足りない10点ばかりに目がいって、できている90点分を受け止めることが疎かになっていたのです。



しかもそれを自分だけでなく、他者に対しても求めていました。従業員に対しても、私ができるレベルの仕事はできて当たり前だと思っていたし、何かしらの作業でミスが出ようものなら、ミスなくできている部分を受け止めもせず、なんでそんなミスをしてしまったんだと問題点ばかりを問うていました(しかも周囲からは詰問に見えていたようです)。




不安を「自力本願」な売上で麻痺させ、感謝を味わう時間が足りていなかった


また当時はネット通販特有の、顧客と繋がっているようで繋がっていない感覚を持っていました。心を掴めているかわからず、だからいつか顧客が離れていくんじゃないかという不安が付きまといました。


そんな不安を取り除くために、私は感謝を定量化し、売上を伸ばすことで安心を得ようとしたのでした。


だから、お客様からいただいた手紙を読むだけで、深く味わう時間を作らず、せっせせっせと従業員に対して足りない点を指摘しては、売上増に繋げようとしていました。それで不安が取り除けると思っていたから。




さらに悪いことに、当時は自分がUターンして会社経営に関わりだしてから売上が伸びてきているのは、全て自分の実力によるものだという驕りもありました。

「俺が会社に入ってから、売上が増えた、スタッフも増えた、事務所も建った。やっぱり俺はやればできる男だなー!」

と、いろんな不安をかき消さんとばかりに万能感でいっぱいになっていたのですが、こうした「自力本願」な驕りは、周囲の人の助けあっての事業だという物の見方の妨げになっていました。


顧客に対してだけでなく、従業員など周囲の人への感謝も足りていなかったのです。




今になったら分かるけど、人への感謝を感じている時間というのは、人との繋がりを感じながら、自分自身が満たされるという、精神的にとても豊かな時間です。

それなのに、お客様からの感謝を定量化してしまい、従業員など周囲の人へは感謝どころか足りない部分の指摘に明け暮れ、他者への感謝を感じる豊かな時間が圧倒的に足りてなかったように思います。


金銭的に豊かになってきても、心は貧しいままだったんですね。




内観することで分かってきた私が鬱になった経緯


これは鬱当時にはわからなかったことで、気持ちも考えも落ち着いた後から自分を内観してわかってきたことも含みますが、ここまでの経緯をザックリ説明すると、以下のようになります。


①大手企業を辞め、不安定な零細企業の経営者になり、自分たち家族の将来の生活に不安があった

②そのような不安を抱えていたが、ネット通販という特性上、顧客と対面できないから感謝を感じきれず、人との繋がりではなく数字(売上)によって気持ちを満たそうとした

③目の前の「当たり前のこと」に対して過小評価していて、自他ともに厳しく、とにかく売上増を目指した

④顧客にも従業員にも感謝が足りず、豊かでない精神状態だった

⑤不安定な精神状態なりに、まぐれ当たりで売上を伸ばすことには成功し、それを理想的だと捉え、有頂天になっていた

⑥足元を掬われて売上がゼロになったところから四面楚歌に感じ、相談する相手もおらず激しい不安に襲われた

⑦不安が増したところで父親に「死ね」と言われて、鬱のスイッチが入った

⑧感情がコントロールできず、言動もおかしくなった

⑨理想と現実のギャップに苛まされていたが、水を飲むことの称賛から、目の前の大切なことにフォーカスするようになり、理想が薄らぎ、心のザワつきが減ってきた

⑩「当たり前」のことへの評価を見直すなど、考え方、生き方、在り方を変え始めた




「小さいことを積み重ねるのが、
とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。」

イチロー 2004年


これはかのイチローさんがメジャーリーグのシーズン最多安打記録を破った時のコメントらしいですが、ほんとその通りですよね。しっかりと準備をして、足元固めて、1本、また1本と重ねていった先に262本があった。

何事もそうした一つひとつの事実の積み重ねがあって初めて、その先のゴールにたどり着けるわけで、その目の前の地味に見える行為こそが実はとても大切なことなんですよね。



当時の私はそうやって積み上げるのではなく、常に逆転満塁ホームランを狙っていたように思います。そしてたまたま強い追い風で外野フライがホームランになっちゃったんですよね。さらに、その最大瞬間風速の追い風がまるで自分の実力だと思い込んでしまっていました。当然ながら、いざ逆風になると何もできませんでした。


そもそもヒットを打つ準備すらできていなかったんだから、仕方がない。



それ以来、軽視していた目の前の当たり前と思っていた一つ一つの行為を見直すようになりました。




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