朝のホームルーム 〜ヒマ人の務め〜

より深く、よりラクに学ぶための効率化は抽象思考で叶う

おはようございます。まえぴょんです。

今日からnoteに連投していくのは、5教科の学習法です。より深く、よりラクに理解する方法で、主に「抽象思考」という考え方を用います。

学習で「より深く」という点においては異論はないと思うんですが、「よりラクに」という表現には違和感があるかもしれませんね。

なんか日本社会って「努力」、「研鑽」、「一生懸命」な態度が好まれる風潮があって、その対極である「ラク」をするとはいかがなものか、みたいな声が上がりそうです。

まぁ人それぞれ価値観がありますから強制はしませんが、私は一度心が壊れてしまったので、今はラクして生きようと思っています。心が壊れている間は自分も辛かったですけど、周囲にも相当迷惑かけてましたからね。そんな人だらけになったら社会は回らんでしょ。だからラクをして、自分に余裕を持たせておきたいんです。

あ、ラクをしたいんだけど、それでいて家族や社会にも貢献できる自分でありたいとは思っていますよ。じゃないと稼げないし。これは一見、二律背反してそうな考え方かもしれませんが、そんなことない。実現可能だと思っています。

そしてそのためには「効率を上げる」ことが大切になります。「生産性を高める」とも、「応用を効かす」とも言います。

そのために必要な考え方が「抽象思考」です。

これは5教科の勉強法でも同じなんです。「抽象思考」を使って効率の良い学び方をすれば、短時間でより深く勉強できるようになりますし、そしてその抽象思考が身につけば、教科以外のスポーツや人付き合いや仕事にだって応用が効くのです。しかも一生涯ですよ。

応用が効かず、効率が悪い状態でダラダラと勉強したって、勉強がイヤになるだけです。そんな状態で大量の宿題、課題を前にしたら、そりゃヤル気も失せますって。当然ながら、抽象思考が身につかなければ効率よく生きていくのが難しくなるので、どんどん疲弊していくのです。


ラクをするために頭から煙が出るほど考える

「読解力を上げるためにたくさん本を読みましょう!」

なんていう言葉を聞いたことはありませんか?よく耳にしますが、あれ、私はウソやと思っています。そんなわけあるかいな。読解の仕方を理解して読解の質を上げていかないと、いくら読書量を増やしたところで読解なんてできるようになるはずがないでしょう。

そういう努力系の美談っぽいのは鵜呑みしたらあきませんよ。美談やから受け入れがちですけど、そこ、落とし穴。やっぱりね、「努力」の質を上げる「努力」をしないと「努力」は報われないんやと思います。盲目的に努力するんじゃなくて、自分の頭で効率化してブラッシュアップしながら努力するんです。

別の言い方すると、ラクをするために頭から煙が出るほど考えるんです。人間誰しも初めからラクができるわけではないのです。そうやってラクするための考え方を試行錯誤しながらも構築する過程を経て、初めてラクになる権利が得られるのです。

読解力で言うと、どうやったらラクに読解できるのか?を考えるから読解力がついてくる、ってわけです。とにかく大量の読書をして時間と労力をかけてなんとか読解できてきたぜ、とかじゃなく、ラクにね。


そうそう、「努力」で言うと、

「努力は裏切らないって言葉は不正確だ。正しい場所で、正しい方向で、十分な量なされた努力は裏切らない」

とは、「今でしょ!」で有名な東進ハイスクールの林先生の談。ちょくちょくYouTubeで彼の動画を拝見しますが、ほんと的を射た発言の連続で気持ちいいです。めちゃんこ抽象度が高いですね。
(※「抽象度」の意味がよくわからないかもしれませんが、明日以降配信する「1時間目:国語」にて解説します)

そうそう、努力は平気で裏切るんです。たくさん努力したらそれなりに評価してくれるのは学校くらい。日本経済は共産主義ではなくて資本主義で回っていますから、基本的には競争社会なんですよ。だからこの国で生きていくなら、「正しい場所で、正しい方向で」努力しないと、弱肉強食で食われてしまうんです。なもんでそれを考えられるようになっとけ、っていう話です。


「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」

とはダルことメジャーリーガーのダルビッシュ有選手。大好きです。

私は野球よりもテニスを好んでプレーしていますが、周囲の人の練習の仕方を見ていると、試合に強いか弱いかはだいたい判断つきます。それは決して技術的に上手いか下手か、という観点だけではありません。上手だけど弱い人、下手だけど強い人っていますからね。

試合に弱い人は多くの人と同じ一般的な練習をしています。そしてその練習は試合を想定しての練習ではなく、みんながやってるからやっているだけです。まぁ言わば練習のための練習ですかね。そりゃそんなことしてて勝てるわけないんですけど、習慣とは恐ろしいもので。。

一方で試合に強い人は、試合を想定してその試合に勝つために必要なメニューを自分の頭で考え、工夫しながら練習をしています。勝ち負けに対して過剰に一喜一憂することなく、同様の失敗を繰り返さず、成功の再現性を高めるためにはどうしたらよいのか、頭を使いながら練習しています。


まぁほんとなんでもそうですけど、要は抽象度を高くして、ラクするためにはどうしたらいいのか、を考えたうえで努力しないと、その努力は報われないことが多いよね、っていう話です。


ヒマ人としての務め

私の本業は製造業です。教育業界の人ではありません。

だけど、製造は半自動化したし、販売もシステムを組んだので、私が毎日関わらなくても良い環境になりました。

そこに至るまでには前述の通り、頭から煙が出るほど考えに考え心が壊れるほどの努力があったわけなんですが、まぁいずれにせよ、今はヒマ人です。

ここで、私が最近知ったうんちくを。古代ギリシャの時代って市民と奴隷に分かれていて、労働は奴隷がしていたんですって。そうなると市民は働きもしないからヒマになりますよね。そうしてヒマになった市民が集まって、天文学を高めたり、哲学を深めたりする場を造った、それが「スコレー(schole)」。意訳すると「ヒマ」てことなんですが、そのヒマを意味する「スコレー」は、今の「スクール(school)」の語源なんです。

まぁ厳密に言うと、「スコレー」は単なるヒマというより、主体的な学びの時間っていう意味合いの方が強いんですけど、そうやって主体的に学びあったからこそ天文学や哲学などの学問が発達したという解釈を私はしています。

というのも、まさに今の自分の環境が「スコレー」のようで、自分で事業の効率を高めて作った時間で、いろんなことを考えたり、言語化したり、対話をしたりして、学びを体系立ててきている感覚があるんです。

以前は超多忙な日常を送っていた時期もありましたが、そんな時にこんな学びを体系立てるほど考えを深掘りすることができたかというと、ちょっとそれは難しかったかな。ヒマじゃないと深くは考えられない。だからやっぱり「抽象思考」で深く考える営みはヒマ人としての務めなんだろうなと思うわけです。

そして私は基本的に寂しがり屋なんで、その体系立てた思考を自分の中に留めるのではなく、一人でも多くの人と共有したいと思っています。そしてまずは教科教育を題材にして、特に中高生やその親御さん、それに教員たちと共有したいと願っています。

だって、「スコレー(ヒマ)」で始まった「スクール」の今は、大量の宿題に大量の課題。それでいてラクして学ぶ方法は与えてもらえないブラック企業みたいなもんだから。これでは量をこなすのに精一杯になってしまって、主体的な学びなんて無理でしょう。量をこなすマシンみたい。

本来快楽が得られる「学習」に嫌気がさして、無理矢理勉強させられている子どもが多いこの現状に、私が考えているラクさを投げ入れたいのです。それが、この業界に片足を突っ込んだヒマ人の務めだと思っています。


さぁ、いよいよ明日から1時間目が始まります。より深く、よりラクに学べる「抽象思考」を身につけて、一度しかない人生を楽しみまくりましょう!


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