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【vol.006】 鬱になった瞬間

鬱になった瞬間

そんな八方塞がりの時に、東北からある取引先の担当者が訪問してくれました。せっかく遠路はるばる来てくれたんだし、私もいろいろ話を聞いて欲しかったので、その担当者と二人で飲みに行こうという話をしたところ、両親もそこに連れて行けと言いだしました。

父親の存在が鬱陶しいから同席は嫌だったんですが、父親は一度言い出したらなかなか方針を変えないので、仕方なく、四人で市内の焼き鳥屋に向かいました。



行政処分を受けて営業停止中の会社と、東日本大震災でそれなりの被害を受けた会社のメンバーでの会話は、当然ながらそんなに明るいものではありませんでした。中でも私が一番暗かったかな。

そこで、自らをなんとか奮い立たせ、会社の営業再開にこぎつけたいと考えていた私は、


「東北では俺らよりもたいへんな事態になっている人たちが、俺らよりも頑張ってるんやから、俺らも頑張らんとあかんな。」


と自らに言い聞かせるように話しました。


すると父親が

「いや、我が社は今大変なことになっとるんや!比べてはならぬ!」

と、睨みつけてきました。


そこで

「うちの会社がたいへんなことになってるんはわかってる。ただ、俺も精神的にしんどい状態やから、そうやって比べることでなんとか自分を奮い立たせようとしとるねん。比べることくらい許せよ。」

と伝えたものの、

再び、

「比べてはならぬ!」

と比較することを禁じました。


比べることでなんとか前に進む気持ちを作ろうとしているのに、比べることすら許されないなんてお先真っ暗だと感じた私は、

「じゃぁ、比べることもさせてもらえず、俺の精神がおかしくなって死んでしもてもかまへんのか?」

と問うと、父親はしばらく考え込んだ後で、私の人生を大きく左右する言葉を投げつけました。



「うむ、お前が死んでも、それは仕方ない」



焼き鳥屋の座敷で、父親に真顔でそう言われた瞬間、私の後頭部がバンっと爆発したのを感じました



これが私の鬱のスイッチが入った瞬間でした。



その直後のことはなんとなく覚えています。

後頭部は熱を帯びていて、ただボーっとするしかなく、それ以降の会話は耳に入ってきませんでした。いや、耳には届いているんだろうけど、頭の中まで入らない。聞いていることと、頭で考えていることと、心で感じていることが、まるでうまく繋がらなくなっていた感じでした。



ここから、自分がこの世に存在する価値や生きる意味を見失い、感情と思考のコントロールができず、噎び泣き怒鳴り散らす日々が始まったのです。



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