スクリーンショット_2019-05-18_12

【vol.005】 鬱に追い込まれるまでの状況③

発端は東日本大震災

そんな時に起こったのが東日本大震災。兵庫県に住む私は、テレビでその惨状を知りました。居ても立っても居られなくなった私は、地震発生の翌月には被災地に行き、上水道が寸断されたとある高齢者福祉施設の生活用水を補給するために、山で汲んだ湧き水を軽トラに積んで運び込むというボランティア活動をしました。わずか数日ではありましたが、この国に起こった大惨事を自分の目に焼き付け、様々なことを考えました。


そして、被災していない西日本の人間として、東北にヒト・モノ・カネを継続的に届けることが大事だと思いました。


ヒトはボランティアで。その後も友人を連れて東北に駆けつけました(2011年に合計3回)。

モノは「爽美林」を。被災地からの注文だと判断すると、無料でお届けしました(2017年まで)。

カネは寄付。2011年4月にまず100万円を寄付しました。その後は「爽美林」のサンプルを254円(ふっこうしえん)で販売し、そのサンプルの売り上げ全額を寄付することで、継続性を担保しようとしました。

後に、この取り組みが仇となるんですけどね。。



このような活動を始めると、地元の神戸新聞社がそれを聞きつけ、取材に来ました。女性の記者でしたね。名前は忘れたけど。その記者に対してはきちんと取材に答えたはずでしたが、実際の紙面には、


「主力商品の売り上げ全額寄付」


とデカデカと記載されてしまいました。

いやいやいや、ぜんぜんちゃうやん。。


私は

「サンプルの売り上げ全額寄付」

であると伝えたにも関わらず、

「主力商品の売り上げ全額寄付」

という、トンデモな記事に仕上がっていました。そもそも主力商品の売り上げの全額を寄付できるような零細企業がどこにあるよ?自分の頭で考えたらわかるだろうに。


この記事を読んだ地元の友人たちからは、

「お前、あれウソやろ。詐欺やな。」

となじられ、私は弁解に追われました。



ちなみにこの件から2年ほど経ってから、別件で取材させてほしいと神戸新聞社の別の記者から電話があったんですが、

「取材は別にいいけど、誤った内容は書かないでね。で、まずはこのトンデモ記事について謝罪をしてくれたら取材を受けるわ。」

と要求すると、なぜかキレられて電話を切られました。マスメディアに携わる人って、自分のことを偉いとでも思ってるんでしょうか。本当に困ったものです、神戸新聞社。



そして、そのトンデモ記事を読んだどなたかが、兵庫県庁薬務課に電話されたんですって。

「この会社、薬事法に抵触してますよ」

と。




営業停止命令から四面楚歌に

2011年の秋、兵庫県庁薬務課から会社の事務所に電話が入りました。

「先日の神戸新聞の記事を読んだという方からご連絡がありましてねー。良い取り組みされてるんですけど、『薬事法』という法律があるんで。」

と。


その後、営業停止命令がくだりました。そして、再開するためには水いぼが治ったなどと書かれたウェブサイトのレビューなどを全て削除するように指示されました。


レビューのないネット通販なんて売れる気がしませんが、しかしまぁ薬事法で刺されるまでは全力で突っ走るという戦略でしたし、その程度の修正は想定内でしたから、即座に対処して販売再開を目指そうとしました。



しかし、私が想定していた以上に、兵庫県庁薬務課の対応は厳しいものでした。県の担当者が言うには、売り上げ規模(≒影響力)に応じて処分も変動するようで、我々には厳しめの指導がなされたようです。

実際、後に、我々が行政処分を受けたことを知った同業他社は、一斉にネット広告の掲載を辞めました。県庁職員が言う、一社一社を取り締まるより、影響力を持っている一社を徹底的に取り締まった方が効果的だという言葉の意味を理解しました。



県庁に通い、ウェブサイトなどの修正したものを見せ、担当者が受け付けて、上司が確認し、後日になってまたダメ出しを食らい、また修正し、というやりとりを何度もしました。

早く販売を再開して売り上げを上げないと、会社は回らないし、商品を待っているお客様にご迷惑をかけるから、一度で全部修正したかったんですが、県庁においては何度も修正加筆のやりとりをするのが慣例とのことで、一度にくまなく指摘してもらえるわけではなく、毎度毎度絞られました。



営業再開の条件は、ウェブサイトの修正のみにとどまりませんでした。担当者は商品ラベルに書かれた「お肌に合わない場合はご使用を中止してください」という表記を見て、

「『お肌に合わない場合は』と表記しているということは、お肌に使用することを想定しているとみなされる。肌に使えるのは薬事法上、医薬品、医薬部外品、化粧品の3つしかないが、この木酢液はどれにも該当しない。従ってこれは違反品となるから、商品を自主回収しなさい。」

と強制的な「自主」回収を命ぜられました。そんなロジックありか!と思いましたが、言う通りにしないと逮捕だ、とも言われました。「逮捕」という言葉が持つイメージが強烈で、とんでもない事態になってしまっているのではないか、と思い沈むようになりました。

日本の法律において「逮捕」されたから即有罪ってわけではないし、今なら別に逮捕くらいされたっていいや、なんて思えますが、この頃は冷静に物事を考えることが難しくなっていて、言葉の持つイメージに支配されていました。


うちの事業はネット通販ではありますが、顧客には毎回お手紙を書いていたり、リピーターさんには畑で採れた野菜を同梱したり、と、比較的良好な関係を築いてきていたので、全国各地から送り戻されてきた商品には、

「薬事法なんてどうでもいいのに!こんな良い商品にケチつけるなんて!めげずにがんばれ!」

というような応援メッセージが書かれているものが八割方でした。しかし、新規顧客など、まだ信頼関係を築けていない顧客からは

「そんなひどいことをする会社とは思わなかった。裏切られた思いだ。」

という非難のコメントがありました。全体の1割くらいかな。ルールは守っていなかったけど顧客を裏切るつもりはなかった私は、それらの少数ではあるけど強い非難の声に、精神が削られました。


今から思うと、八割もの人たちが応援してくれているんだ!と思えばよかったんでしょうが、当時の精神状態ではそう考えることができず、少数の非難ばかりを過度に気にしていました。



また従業員は暗い雰囲気で不安そうでした。そりゃそうですよね。営業停止になってるから「この会社だいじょうぶか?」と思うのは自然だし、日々の出荷業務の代わりに全国から戻ってくる大量の返品を毎日受け付け、1割くらいの客からは詰られるわけですから。

そんな従業員の不安そうな顔を見るのも辛かったです。



秋頃までボランティアなどで精力的に動いていた私でしたが、薬事法の一件からは一転、すっかり憔悴してしまい、目の前の課題をこなすのがやっとの状態でした。


そして、こんな時に支えになるのが家族だと思っていたんですが、父親は違いました。父親からは逆に、

「お前のせいで会社がたいへんなことになったやないか」

と責められました。

「責任を取れ!ワシが大株主やからお前なんかいつでも窓際に追いやれる」

とも言われました。「親父が社長してた頃からの方針で進んだんやんけ!」とは思いましたが、確かに責任は代表になった私にあります。



また、その行政処分を受けて精神的に苦しんでいる間は、当時の妻との間に二人目の子どもを授かっていて、妻は里帰り出産のため、長男を連れて神奈川県の実家に戻っていました。これから出産を控えている妻には、できるだけ心穏やかに出産を迎えてほしかったので、妻に対して悩みを打ち明けるわけにはいきませんでした。




一部の顧客からは非難され、
県庁からは逮捕をチラつかされ、
販売再開の目処は立たず、
従業員は不安がり、
父親は攻撃的で、
妻は頼るべき状況にない。


身から出た錆ではありますが、この誰にも頼れない状況によって、私は急加速度的に精神を追い詰められていきました。「経営者は孤独」とはよく言ったものです。



===

この記事を書いている前川のツイッターアカウントはコチラ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?