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【vol.003】 鬱に追い込まれるまでの状況①

脱サラ、それは依存から自立へ、安心から不安へ

私のサラリーマン時代を過ごしていた株式会社ファンケルは、一部上場企業で、利益率の高い商材を扱っていたのと、経費が少なくて済む販売モデルが構築されていたから、事業はとても安定していて、その会社の社員でいることに安心感がありました。

しかし一方で、所詮は組織の中の1つのコマに過ぎない身分ですので、決裁権を持たない私は、自分の思いと行動を一致させることは当然ながら難しく、そこにストレスを感じてはいました。また、頑張ってもサラリーに大した変動がないというのも、モチベーションをそこまで高めることができなかった要素だったと思います。

一部上場企業という傘に守られ、そこに在籍している安心感はあったけど、なんだか煮え切らない、中途半端で悶々とした日々を過ごしていました。


そんな思いも後押しになり、会社を辞めて田舎にUターンし、父親が立ち上げていた会社を継ぐことにしました。その会社は、木酢液の原液を仕入れて、蒸留精製し、通販と卸で販売するというニッチなビジネスをしていて、大企業から超零細企業へのスケールダウン感は半端なかったですが、自分の意思を通して仕事をしたい欲求が優っていました。


とは言うものの、いざ上司に辞意を告げる時には、私の足は震えていました。本当、かっちょ悪いですけど、自分や家族の将来が不安で怖くて。

会社に依存していれば安心だけど不自由、独立すれば自由だけど不安。

いろんな感情が入り乱れていた31歳の私は、2009年に会社を辞めました。不安でいっぱいでしたが、自分の思いと行動が一致する人生になるのかと思うと、期待も感じていました。



自分の思いと行動が一致・・・しない「取締役専務」

父親は私が大学生の頃に脱サラして、事業を立ち上げていました。

当時、ひどいアトピー性皮膚炎で苦しんでいた姉のために、アトピーに効くとされる木酢液を研究していた父親は、不純物を取り除ける蒸留装置を開発して、蒸留木酢液「爽美林」の商品化に成功していました。

私も学生時代にひどい成人アトピーを発症して苦しんだ時期があったんですが、この「爽美林」で綺麗な肌を取り戻した経験があります。そんな「爽美林」の製造販売を営む株式会社M&Gを、父親は経営していました。


私はまずその会社の専務取締役となり、その後、代表を交代することで話は進んでいました。その事業承継にあたり父親に未来の展望を聞いてみたところ、株式会社M&Gを年商10億の会社にするんだ、と口にしておりました。そして「お前は木酢液を作っていれさえすれば、幸せになれるんや。」とも言われ、入社してしばらくは私に製造をさせていました。


しかし客観的に見て、当時は1社へのOEM製品の卸販売が5000万円ほどと、自社ブランド商品「爽美林」の売上が1000万円ほどの年商。そして当時自分の年収ですら、サラリーマン時代の約500万円から360万円に下がっているほどの台所事情です。私は妻子を連れてUターンしていることもあり、いきなり10億円まで言わずとも、まずは家族や従業員が安心して飯を食えるだけの会社にしなくてはならないという使命感が強くありました。

使命感というと聞こえは良いですが、使命感よりも私自身の危機感、恐怖心の方が強かったかな、正直なところ。


また、父親が言う年商10億円を目指すためには、いや、10億円を目指さなくとも、当時の事業の体制は変えた方が良いと思いました。販売も、製造も、事務の管理業務も。

販売に関しては、OEM製品の卸先の1社に依存している状態では安心できないので、私は自社ブランド「爽美林」の販売を強化しようと考えました。

また父親の独自の発想で作られた製造ラインは、創造性豊かではあるんですが、作業効率や安全性と言った点では改良の余地がありました。

そして事務の管理業務に至っては、全然ITを活用しきれていなかったので、システムまるごと総取っ替えしたいほどでした。


偶然にも、前職のファンケルでは化粧品の生産技術から、健康食品の商品企画、生産管理など多岐にわたって学ぶ機会に恵まれたため、そこで得られた知識やノウハウを応用して、製造現場から販売までの最適化を目指し、自分なりに改良を加えようとしました。


しかし、父親はそれを良しとしませんでした。作業効率を10倍にするような提案でさえ、反対してきました。

「うるさい!とにかくワシの言うことを聞け!」
「お前は言われた通りに製造しとったらええんや!」

が口癖で、会社の売上や生産性を上げることより、関わる誰もを従わせたい、という思いの方が優っている気がしました。


脱サラをすれば、サラリーマン時代には適わなかった、自分の思いと行動が一致する生き方ができると思っていましたが、気がつけばサラリーマン時代よりもその両者は一致しなくなっていました。


しかし、家族のため、会社のため、従業員のため、顧客のためだと思い、従前の手法に改善を加えることに反対する父親と小競り合いを繰り返しながら、徐々に改良を加えていきました。



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