実家のリフォーム話が持ちあがる。

30年近く暮らした実家のリフォームの話が持ち上がった。
母からの1本の電話。
「工務店で働く知り合いからリフォームをした方がいいと言われたのだけど、どう思う?」と。

大学進学を機に、故郷を離れて一人暮らしをしていた私は、毎年正月だけは必ず実家に帰るのだが、確かにその都度年季が入った実家を見て、年月の流れを感じていたのは事実である。

玄関のドアは傷が多いし、浴室のタイルのヒビは何らかのメッセージのように主張している。ブヨブヨと緩みが出ていた洗面所の床は父が木目調のシート床材で補強していた。

一方で、長年暮らした実家の面影が無くなってしまうことに寂しさを感じる自分もいた。
一番の理由は、今年の4月、高校生の頃に我が家にやってきた愛犬が亡くなったこと。15歳。寿命を全うし、両親に見守られる中、息を引き取った。
そんな愛犬が生きた証が実家には至る所に存在している。
畳の擦れた跡、未だに片隅に残る体毛。
家に刻まれた愛犬との思い出が消えてしまうようで心底寂しい思いがした。

だがそんなセンチメンタルな想いを両親に伝えることもなく、まずはリフォームの見積もりを取ってみよう、ということになった。
次に母から電話があった時、聞いた見積もりの金額は私の想像をはるかに超えていた。

そんなにかかるの!?
もっと値切らなきゃダメ!
絶対足元見られてる!

今考えたら、散々な言葉を母にキツく言ってしまったのだと思う。
母の口から出た言葉は意外なものだった。


「お母さん、ずっとこの家が嫌だったの」


一瞬、耳を疑った。
“家が嫌”とはどういう意味なのだろう。
私が長年過ごした実家、思い出の詰まった実家。
それと「嫌」という言葉が到底結びつかなかった。


ポツリポツリと母が語り始めた。
新築を建てる際に我慢したことが色々ある。
室内のドアが壁紙貼りであること、キッチンの勝手口に庇がないこと。
家にお客さんを招く時に、ずっと恥ずかしかったのだと。
これからの老後は気に入った家で過ごしたい、と。


母からこの話を聞いた時の気持ちを、私は未だに整理できずにいる。


えも言われぬ奇妙な感覚。
私は母のことをまるで知らなかったのだという軽い衝撃。
と同時に、母の老いを強烈に感じた瞬間でもあった。

私が子どもの時に友達を招いてお泊まり会をしたとき、
家族で鍋を囲みながら止まないおしゃべりで盛り上がったとき、
正月におせち料理の残りを食べながら箱根駅伝を見て感動しあったとき。
私にとって大切なたくさんの思い出の裏側で、母がそんな思いを抱いていたなんてつゆ知らず。
母とはいえ、あくまで他人なのだ、ということをこの時強く実感した。


母が老いている。両親が老いている。
年に1度しか帰省しない私にとって、この事実があまりに重たい。
有難いことに大きな病気をせず健康に過ごしてきた両親も、やはり会うたびにその変化を感じざるを得ない。
30歳を超えた私にとって、「両親の老い」というものが今後一番の気がかりであり、向き合わなければいけない問題なのだということを、改めて感じた出来事であった。


1階を全てリフォームすることに決めた母は、それからというもの、トイレの種類やフローリングの色、浴室のデザイン、キッチン周りのレイアウトなど楽しそうに相談してくるようになった。
きっと少女のように心を躍らせながらリフォームカタログを捲っているのだろう。
そう考えたら、このリフォーム代も高いだけはないかもしれない。
遠く離れた東京で暮らす私は、そうしみじみと感じている。



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