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情けないですけど

高校3年生のときの話。

部活のメンバーと西新パレスで遊んで、そのままマクドナルドに向かっていたら、信号待ちで声をかけられた。ボロボロの服を来たおじさん。

「あの、情けないですけど、3日間なにも食べてなくて、山口県の宇部にいたんですけど、親が危篤になって、鳥栖まで行かないといけなくて、情けないですけど、お金がなくて歩いて向かってて、ここまでずっと歩いてきたんですけど、情けないですけど、3日間なにも食べてなくて……」

俺はそういう人に話しかけられたことが初めてだったし、他の奴は見ること自体初めてみたいなのもいたし、話の中身も今まで聞いたことがないタイプのものだったので、とにかくみんな面食らっていた。おじさんが「情けないですけど」を連発しているあいだ、お互いにアイコンタクトして、ポケットの中の小銭を集めて、おじさんの話が終わらないうちに(というか「情けないですけど」を間にはさみながらぐるぐる同じような話をしていた)、お金を渡した。500円くらいはあったんじゃないかと思う。おじさんは「すみません、すみません、すみません、すみません」と連発して、えらい小さな歩幅でまたどこかへ歩いて行ってしまった。

マクドナルド。

正直、「いいことした」というよりは「奇妙な体験をした」という感覚のほうが強く、それから解放されたという気分も手伝って、俺は反動的に饒舌になっていた。

「あれさあ、絶対ウソだと思うんよね。宇部から鳥栖に行くっていうの。親が危篤だというわりにはペースがやたら遅いし、あのお金をバスと電車に使って鳥栖についたほうが食べ物にもありつけると思うし。絶対ありえんやん」

そのとき一人がぼそっと口を開いた。

「いや、たしかにウソかもしれんけどさあ…………あのおじさんが困っとったのは本当やん」

言われた瞬間、身を固くしてしまった。まさにそいつの言うとおりで、表層的なウソ(じゃないかもだけど)をあげつらって得意になっていた自分がものすごく卑小な人間に思えてきて、そこから何も言えなくなった。

みんなはその話にレスするでもなく、普通に会話を続けていたので、もしかしたら俺にしか聞こえていなかったのかもしれない。そのほうが助かるのだけど、俺はシュンとなってしまってしばらく会話に加われなかった。

そのときは情けない気持ちでいっぱいだったのだけど、そのまま大学に進学してあれこれ経験するたびに、このエピソードを思い出すようになった。何かを追求したり議論しようとするときに、「鳥栖まで歩くのは本当か?」というレベルでとどまっていないか、ということに気をつけるようになった。そんなに大げさじゃなく、自分にとって、ものを考えることのベースになっていると思う。

ずっと後になって本人に話したら、まったく覚えてなくて「まえさん記憶力ちかっぱいいね」で終わったのだけど。


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