宝塚という枠を超えた銀ちゃんの恋〜その6〜

いやはや、1ヶ月以上放置ってどういうこと?!
あなたいったい何してたわけ?!

なにしてたっていうわけでもないんですけど、たぶん銀ちゃんの恋の大千秋楽を終えて放心してたんじゃないですかね。たぶんですけど。

と、いうわけで(どういうわけだ)。
気を取り直して、この回からは銀ちゃんを取り巻く愉快な仲間たちを紹介していきますよ!

ボカッ!(んぎゃ!あっ!銀ちゃん!)
おめぇ、1ヶ月も放置した上に仲間たち、ってなんだそりゃ!オレのことはもういいのか!オレについてもっと書くべきことがあんだろ!
(だって、銀ちゃん一緒にいてくれないじゃない!)
あ?!
(いや、あの、その、銀ちゃんのかっこよさはもう他の文才に溢れた方々が書きつくしておられておいででしてね、、ゲフンゲフン。。)
いいよいいよ、オレなんて、所詮そんなもんだよねぇ、、

(くだらないことやってないで早く書きなさいよ)

では今度こそ気を取り直して。。

飛龍つかさが体現したヤス

ヤスですよ、ヤス!
飛龍つかさくんのヤス!
いやもう、たまげました。
元々とってもできる方だとは重々承知だったんですけど、想像を軽く超えてきましたね。

ヤス以上にヤス、というか。
(伝われ、いや、伝わらん)

まず、その居方ね。
猫背、前首、ちょっとガニ股。それもやりすぎず、ちょうどいい塩梅。

そして佇まいはもちろんのこと、銀ちゃんを見る目、小夏を見る目、夢を語るときのキラキラした眼差し、目で芝居をする、というのがとてもしっくりくる役者さんだなぁと。

小夏に思いをぶつけるところは全身全霊、見てるこちらが胸を締め付けられるような慟哭、かと思えば、くまちゃんを抱きしめてる間、足の指をぐーぱーして細やかな心情の吐露が伝わってきたり。
見終わってあれこれと思い出してる今だからこう表現できてますが、見ている最中は引き込まれる、を超えて、もう引きずり込まれる感覚でしたね。

階段落ち直前での銀ちゃんとの視線の交わし方、落ちて銀ちゃんに抱きしめられながらの思いの伝え方、毎回微妙に変わるやり取りからは目が離せませんでした。

お歌がね、またいいんですよぉ。
元々とっても歌唱力が高くて、音域も広いし、クラシックもポップスもなんでもござれ、なんだけど、今回なにがすごいって、ヤスの歌、になってたこと・・・!
コイツまたわけわからん表現しやがって、とお思いでしょうが、もっともっと歌い上げることだってできたはずなんですよ、彼女なら。
情感たっぷりに、さぁ、聴けよと。
どうだ、泣けるだろ?と。
それをしない、ビブラートもかけない、ただただまっすぐにヤスとして歌う、これ、やろうと思ってもできないと思うんですよね。自我が出ちゃって。

そしてこれ、お歌だけでなく、全般的にそうだったんです。
すべてに対してやりすぎない。これがどれほど難しいことか。やろうと思えばヤスなんてもっともっと大げさにできるはずだし、やりたくなるはずだと思うんです。
でもやらない。それが飛龍つかさのすごいところ。

役者さんの本当のお人柄なんて、実際我々にはわからないですよね、家族でもお友達でもないんだし。
ただ、彼女に関しては、何度かお茶会で接した時のホスピタリティだったり、誠実な話し方だったり、ほんとに真面目な人なんだな、というのはすごく伝わってきていて。
その真摯さが、演じる、ということに対して余すところなく発揮されたのが、今回のヤスなんだな、と感じた次第です。


1ヶ月も放置すると、何が書きたかったかも、書き方すらも忘れてますね。。
そして相変わらず乏しい語彙力。がっかり。
「小さな絶望の積み重ねが 人を大人にするのです」
と、七海建人先生も言っておられます。(突然の呪術廻戦ぶっこみ)
(『呪術廻戦』3巻より引用)

さて、次回はいつになるのやら。

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