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#難民アートプロジェクト 故国喪失者の声を響かせる〈第2回〉結び目をほどく マターザの場合 #雑誌KOKKO

西 亮太

故国喪失とは、人間と生まれ育った土地との、自己とその真の故郷とのあいだを、力づくで引き裂く癒しがたい断絶である。この別離に伴う悲しみを乗り越えることなど決してできはしない。
エドワード・W・サイード「冬の精神」

 多文化主義的で先進的なイメージの強いオーストラリアのなかでも、首都キャンベラを凌ぐ人口規模と人気を誇るシドニーはとりわけ多文化的で刺激的な街だ。中心街は一大商業ブロックを形成し、少し歩けば世界各国のレストランや食品店、土産物屋が並び、海岸へ向かえば世界に名高いボンダイ・ビーチをはじめとした白い砂浜が延々と続き、足を延ばして電車で二時間も揺られれば世界遺産ブルーマウンテンズで大自然を堪能できる。観光客から見ればそんな多文化と文化的寛容の象徴のようなシドニーの中心地から電車で一時間ほど離れた郊外に、ひっそりとヴィラウッド移民収容施設(IDF)が建っている。戦後に急増したヨーロッパ移民の一時的宿泊施設として建設されてからというもの、この施設は部分的な改築を経てヴィザ手続き中の移民の待機場所となり、1980年代にほぼ現在と同じ機能を担い、他の収容施設とともに現在までオーストラリアの移民・難民政策を見つめてきた。

Murtaza Ali Jafari《痛みとともに生きる》

 ヴィラウッドIDFは、現在では超過滞在やその他の理由でヴィザ取り消しとなったりそれにともなって新規のヴィザ申請を行っている人々、また移民や難民となるための手続きを行う庇護申請者たち(他の施設から移送されてきた人々を含む)を収容する施設となっており、政府機関である人権委員会の2017年報告書によれば、450人(うち女性45名)が収容されている。収容に至る理由は多様であり、出身地も多様だ。同報告書によれば、収容されている人々のバックグラウンドは60以上の国と地域におよぶとされている。
 前回と今回紹介しているアフガニスタン出身のハザーラの男性もこのヴィラウッド収容所に収容されていた。アフガニスタンやその隣国のパキスタンなどには少数派民族のハザーラと呼ばれる人々が多く住んでいるが、見た目や宗教的差異から激しい差別と迫害を受けてきた。とりわけタリバンに代表されるイスラム教過激派が台頭してくるとその迫害はエスカレートし、繰り返し殺害の標的となり、虐殺事件も少なくない。
2012年にはアフガニスタン国境にほど近いクエッタという街で40人以上が殺害されている。
 ここからは、そういった状況から庇護を求めてオーストラリアにやってきた彼の言葉と作品を紹介していきたい。彼の名はマターザ。アフガニスタン出身だが、幼いころタリバンの圧政を逃れてパキスタンのクエッタに家族とともに移り住んだ。小さいころから生きるためにいろいろな仕事をしたが、厳しい差別と命の危険のため、単身オーストラリアを目指した。まだ二十歳前だった。
 だが命からがら逃れてきた彼らに対して、オーストラリア政府はインドネシアにほど近いクリスマス島の施設への収容と言う形で応えた。

 シドニーのヴィラウッド収容所に連れてこられる前、クリスマス島収容所で六か月過ごした。もう二年以上もヴィラウッドにおり、とてもつらい。収容所の生活は精神的拷問と同じようなもので、ゆっくりと毒に侵されていくのに似ている。私は保護を求めてオーストラリアにやってきたが、政治家たちは私をサッカーのボールのように蹴りまわしている。最近はコミュニティ拘置で生活しており、わたしの問題は解決していない。
この四年間、わたしは政治家たちがゲームを終えるのをずっと待っているのだ。
(Refugee Art Project Zine #4 〈P.4〉)

Murtaza Ali Jafari《ゲーム》

 「ゲーム」と題された作品には有刺鉄線と監視カメラを備えた金網のむこうに自由に飛ぶ鳥の群れが描かれており、そのすぐ横で政治家と思われる人物が「庇護申請者を罰すれば権力が手に入る!」と考えている。
描かれている政治家は、労働党政権下で軟化した難民受け入れ政策に対して、受け入れ停止を訴え右傾化する世論を味方につけた自由党のトニー・アボットだろう。オーストラリアは罰金刑のある義務投票制を採用しており、ほとんどの選挙の投票率が90%を超え、したがって選挙結果が文字通りの生命線となる政治家は世論のゆくえを非常に気にかけている。こういった事情もあり、移民・難民政策は世論の動きやそれと呼応した政治家の権力獲得ゲームに大きく翻弄されてきたのだ。
 「ゲーム」に翻弄されてきたマターザは芸術と出会い、その制作に没頭することで自分の置かれた状況を少しでも忘れ、精神的な安定を取り戻すことができたという。そのようにして描かれた作品は彼の当時の精神的状況を如実に映し出している。
 こうした作品の中でも彼が最も時間をかけて多く制作したのが、前回も紹介した「結び目」シリーズだ。
 もっとも気に入っているのは、一連の「結び目」作品だ。これらの作品は、わたしたちの生がもつれてしまっていることを表している。わたしたち庇護申請者は、もつれた生を解きほぐそうとしている。わたしたちは戦っているのだ。
問題を解決し、状況を解決するために、一生懸命。それでもいまですら、宙ぶらりんの状態にあると感じている。
 神経質なまでに書き込まれた線の一本一本が、彼が収容所で耐えねばならなかった時間の長さと重みそのものであり、その絡まり合う様は彼が抱えねばならなかった苦しみを表している。絡まってしまった結び目を解きほぐすのに、どれほど多くの時間と努力が必要となるのだろうか。
 マターザはいま、工場で働きながらシドニー郊外で友人と一緒に暮らしている。昨年会った時には、アイスクリームをごちそうしてくれた。
少し甘すぎるアイスクリームを食べながら、責任ある仕事を任されたと嬉しそうに笑っていた。

Murtaza Ali Jafari《溶ける顔》


西 亮太(にし りょうた)
中央大学法学部准教授。ポストコロニアル批評。

Murtaza Ali Jafari(マターザ・アリ・ジャファリ)
アフガニスタン出身。ハザーラと呼ばれる少数民族であり、タリバンによる圧制から逃れるために難民となった。

難民アートプロジェクト Refugee Art Project
シドニーを拠点にして、芸術家らを中心に2011年に立ち上げられたプロジェクト。シドニー近郊のヴィラウッド移民収容施設を中心に、近隣の難民コミュニティを回りながら、難民や庇護申請者らとともに芸術制作を行っている。今回の連載はこのプロジェクトの協力により可能となった。団体のホームページは現在休止中だが、フェイスブックページは見ることができる。https://www.facebook.com/TheRefugeeArtProject/

掲載誌 『KOKKO』34号(2019年2月発売)
[第一特集]  公務職場の「女性活躍」
[第二特集]  2019年版「税制改革の提言」

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