見出し画像

生きて死ぬ私たちの「元気」のこと 〜「動く」ということが私たちにくれるギフト chapter.3 レジリエンス〜光が溢れる場所へ!

chapter.2はこちら

拒食症・結核、隔離病棟へ


小笠原:佳織さんがお仕事に関わるきっかけになったことはどういったことですか?

谷:私、昔から運動やってた人でしょうってよく言われるんですけど、実はそうではなくて。子どものときは本ばかり読んでいて、6歳のときに母がマリンバという楽器を見つけてきて。練習を始めるということになって。

マリンバと太鼓とピアノと時間が決められていて、それを毎日こなすという生活を5〜6歳から16歳まで続けたんですけど、だんだんしんどくなってしまって。

学校の成績を一番で保っておくのも、これ以上頑張れないというところになって。どっちつかずになるし、どんなに頑張っても、期待されているところに行けないんじゃないかなと思ったら、ご飯を食べられなくなっちゃったんですよね。

拒食症でした。

当時15歳だったんですが、40kgあった体重が1か月で30kg台になっちゃって。そのころから咳がゴホゴホ出始めて、なんか調子悪いな、でもこれは気合が足りないからだと思って、まだ練習とかも一生懸命してたんですけど、熱が下がらなくなって。病院に行って検査をしたら、肺結核で、排菌している状態だったので、サナトリウムにそのまま入れられてしまって、隔離されました。

私の体重が減っていくのは、ご飯を食べていないからということに誰も気がつかなかったんです。その年の夏ぐらいに20kgぐらいまで体重が減っちゃったんです。今と身長は同じなんですけど、21kgまで行っちゃうと歩けなくなっちゃうんですよね。本人としては体がだんだんピュアになっていく気がして、本かしか読めなかったのでいろんな情報を頭に入れつつ、食べないでいると、そういう不純なことをしないでいると、自分の体はきれいになっていく気がしたんです。

どんどんどんどん軽くなっていってかなりイカれてたと思うんですね。かなりいかれてる状態だったのですごく気持ちよかったんですよ。毎日病院の計りに乗ると100gずつ減っていく、それがすごく楽しくて。そうこうしているうちに、周りの人はみんな私が死んでしまうと思っているわけなんですけど、本人はその自覚がない。

ある日窓からお日様が差していて、お天気がいい日があって、結核病棟って、お日様に当たってもダメと言われるので、日陰なんですよ。めちゃ暗い。おじいちゃんおばあちゃんの中で、15歳でそこにいたんですけど、グレーの中で、あまり日が当たらない毎日で、でもあまり不自由は感じてなかったんですが、ある日突然お日様が差してたので、外に出たいと思ったんですね。



画像4


光が溢れる世界に戻りたい!


半年以上お外に出ていなくて、主治医の先生に聞いたら、中庭だったら出てもいいですよと言われて、外に降りて行ったんですよ。すごく天気がいい日で。

病棟はグレーかあとは非常灯の色しかないんですね。あまりいろんな色がカラフルなものがなくて、それが外に出たらみどりの色がすごくきれいで、塀の向こう側で子供が遊んでいる声が聞こえて。

どういうわけか敷地内にヤギを飼ってたんですけど、ヤギが歩いてたりするのが衝撃的で。総天然色という言葉があるじゃないですか。わあーと思って。

自分自身は日々軽くなっていって色んな重荷がなくなっていくのが、自分が自由になっていくことのような気がしてたんですけど、ふと振り返ると病棟はめちゃ暗いんですね。グレーなんですよ。こっちはすごく光が溢れていて明るくて、自分はこっちにいたいなと思ったんですね。

その日病棟に戻って、これまでずっとご飯を隠してたんですけど、初めてとりあえずご飯を食べたんです。初めてご飯を食べたそのあともアップダウンはいっぱいあったんですけど、でもたぶんその日に外に出なかったら、こっちにいたいなと思わなかったら、そのまま消えていったんだろうなと思うんです。

それから学校に戻って心理学とか精神科とか、そういった勉強をしたいと当時思ってたんですけど、何をするにも全然体力がないので、これはちょっとまず元気にならないとダメだと思いました。

何かしようと思ってヨガを最初にやってみたんですね。元々私、過可動で関節が緩いので、いろんなアーサナとかできちゃうんですけど、何をやってるのかよくわからなかった。その次にもうちょっと動きそうな太極拳というものがあるから行ってみようとかと思ってやってみたんですけど、それもどうかなと思ったんです。

そしたらその当時、日本にエアロビクスが入ってきていて、本屋に行ったらケネス・クーパー博士のエアロビクス理論という本と、その隣にジェーン・フォンダのエアロビクスという本があったんですね。手にとってみてこの理屈は分かる気がする。写真を見たらお姉さんがきれいだった(笑)。これはちょっとやってみてもいいかなとその本を買って帰って、家で音楽をかけながら運動してみたら、えらい疲れたんですけど、ちょっと楽しかったんです。

そこから家で何かエクササイズを始めるようになったら、なんとなく今までよりちょっと元気が出てきて、スタジオに行ってみて、でも、ここで私動けるのかなとすごい心配になったんですが、音楽に合わせて、見よう見まねで一緒に動いていると楽しくて。先生の顔を見てるのもすごく楽しくて。

それで1時間レッスンが終わって、本人としては死ぬほど疲れてたんですけど、先生が今日初めてなんですかと声をかけてくれたんですよ。初めてと思えないくらいすごくよく動けてましたよと、褒めてくれて。そんな宇宙人みたいなきれいな先生から褒められたらこれはまた来週来るしかないと。それがきっかけでエアロビクスを始めるようになったら、それまでちょっと調子悪いなと1か月ぐらい寝込んでいたものが、寝込まなくなって。

画像5

小笠原:身体が変わってきたんですね。

谷:あまり人と接するのは当時得意ではなかったんです。面倒くさかったし本読んでた方がよかったし。あまり外に出て何かをするのもできたら避けたかったんですけど、どこに出て行くことは苦ではなくなってきていて、動いているうちに、自分自身を受け入れるとか、人と対するということが、嫌なことではなくて、いってもいいのかもしれないということに変わってきたんですね。

あのときに本屋で本を見てなかったら、ある日外が光っていて外に出たいと思わなかったら、今の自分はなかっただろうし、一番最初にできてないはずの私をよくできてましたよって言ってくれたゆりか先生がいなかったらたぶんここに今いなかったと思います。

小笠原:色々な出会いがあってのここ、というのは私もそうで、いろんなことを思い出ししながら聞かせていただきました。

脳科学者の池谷裕二さんがおっしゃっていたんですが、元気とかやる気って、じっとしてても出てこないんだと。

作業をして脳が働き始めて、ここからやる気というものが立ち上がってくるから、やる気が出たらやろうというのは仕組み的に考えて無理なんだそうなんですね(笑)。私も動く中で自分の元気に出会ってたというか、動いて元気が鍛えられていったというのを思い出していました。


アサナで自分の チャンネルを合わせ直す


ヨガを始めたころは、完全にアトピーを治すということがミッションだったので、すべての行動がアトピーの私にどうかということだったし、ヨガをやりながらいろんなこともやってたし、アトピーの私、というアイデンティティがすべてだったんですよね。会社も休職していましたし。

そんな中でもヨガをしていて、「英雄のポーズB」、これをやるとものすごい、ついぞ感じたことのない、いえーい!みたいな気分になってたんですよね(笑)。

画像6

(写真:https://bla-bo.net/より)

日常の中では決して感じることのない、すごく外向きでヘルシーで明るくて力強い気持ち。足を踏みしめて踏ん張って。あとからヨガの先生に、色んなアサナ(=ヨガのポーズ)って、一つ一つが、それぞれのエネルギーにアクセスするチャンネルだと聞いたことがあって、それはすごく私にとって実感と合致したんです。

あの英雄のポーズをしているときにアクセスするチャンネルは自分をアトピーの人と思い込んでいるうちに閉じてたんだけれども、アサナで繰り返しそのチャンネルに自分を合わせるたびに、そこがどんどん開いていって、元気な人のエネルギーが自分に戻ってきた。

派遣でもう1回会社に戻るようになって、ヨガマットを担いで神谷町の街とかを歩いていると、ものすごいヘルシーな人の気分なんですよアトピーどころか(笑)。すごいヘルシーなことやってる私!みたいな気分があって、だんだんアイデンティティが変わって来ました。

筋肉がついてくることによって、階段を歩くのが楽になったりとか、お風呂掃除をするときの向こう側を掃除するときに、踏ん張りがきくようになったりして(笑)、自分の体が変わってきていることに気づきました。歩いてる時のしっかり 感とか、腹筋がついてきて変わってくると、それが生きている自身のベースになっていくという感覚があって。心理的な事を色々やっているより、腹筋を鍛えた方が自信ってつきますよね(笑)。

筋肉がついて、身体が丈夫になって、動作の安定感が増すと、人生の安定度が増す。動くって本当に人生に恩恵があるなと私は感じていました。動くことが私を救ってくれた。Chama先生はいかがですか?

画像7


頭蓋骨骨折から昏睡状態を経て


Chama:僕は、小学校の入学式の時に高いところから落っこちて、頭蓋骨を骨折しちゃったんです。そのまま昏睡状態になってしばらく入院して、小学校5年生になるまで体を動かせなかった。体育の授業とか出れなかったんです。動けないから当然ストレスたまるじゃないですか。やれることがないから本を読んだりするしかなくて。

母親とかもうこの子はもうこれでは生き残れないから勉強させなきゃみたいな、小学校の時はそんな感じだったんですね。それが少しよくなってきて、小学校5〜6年生ぐらいからちょっと体育が出来るようになってきて。中学生ぐらいになると季節の変わり目に頭痛がするんですけど、それも部活で動くことでだんだんと緩和してきて。

テニス部だったんですけど、体を動かせるのが超幸せなんですよ!スポーツができるだけで、体を動かせるだけで幸せ。体を動かしていくと、だんだん社交性も出てきたんですよね。スポーツをやるようになってから活発に人ともコミュニケーションを取れるようになった。

中学生ぐらいのときは本当に運動ばかりしていて、アメフトとかだんだんハードコアに、過剰になっていきました。フットボールとかいいよねって、男っぽいよねって。ただそれも過剰に動いていくと揺り返しがくるようで、そこからだんだんヨガみたいなのが好きになっていったんですね。

大きな意味での揺り返しを、今思ってみれば経験してたなと思って。

画像8

最初父親の介護のときに助けてくれたのがアシュタンガヨガという、すごく動くタイプのヨガでした。それがだんだん過剰になっていくと、またそれはそれでバランスがどうなのかなと思い始める。

アシュタンガヨガの片方で、リストラティブヨガというタイプのヨガは、補助具をいっぱい使って徹底的にに動かない。体がなるべく自然な状態。背骨もなるべくニュートラルな状態。

動かないということを物を使ってやるんですけど、それを両方やるようになってから、すごくバランスが取れるようになってきたんですね。

レジリエンスというんですか。揺り返しみたいなのがあることによって、動くこともできるし、動かない時は徹底的に動かない。

このふたつの揺り返しがあることで、メンタル的にもバランスが取れてきたし、また動くときにすごく動きやすくなったんですよね。両方があるとすごくいいんじゃないかな。それがヨガのメリットかなと思ってるんですよね。


chapter.4につづく



谷 佳織(たに かおり)
Somatic Systems 株式会社代表取締役
Kinetikos 株式会社代表取締役
Gray Institute/ FAFS
ACSM/CEP
公認ロルファー®

画像1

1985年、グループフィットネスインストラクターとして活動を開始以来、アメリカ、日本のヘルス・フィットネスのフィールドにおいて、アクティブに教育活動を続ける。

機能解剖学、軟部組織へのアプローチ、ストラクチュラルインテグレーション等のトピックに関する指導者として高い認知度を持ち、NSCAジャパンをはじめとした各種教育団体の継続教育プロバイダーとして、日本各地にて数多くのセミナー指導とともに、グレイインスティチュート、TRX、DVRT、CFSC各種教育団体の教育プログラムの指導を提供する。

夫であるトラビス・ジョンソンとともに運営するオンライン教育情報サイト:キネティコスのコンテンツ作成、及び翻訳担当。海外講師を招聘した教育イベントの開催、及び米国で開催する解剖クラスの運営補助など、健康/運動指導に関わる専門分野の継続教育の提供に携わる。


chama / 相澤護(ちゃま / あいざわ まもる)
株式会社TYG ファウンダー 代表取締役
ニュートラルライト合同会社 代表社員
Gate8 プロデューサー
ハタヨガティーチャー(E-RYT500)

画像2

レゲエクラブ経営、CM制作会社勤務等を経て、父親の介護をきっかけにヨガ講師となる。

ヨガスクールTOKYOYOGA(表参道・渋谷・伊豆高原)、フリーペーパーYOGAYOMU、ヨガ手帳、ヨガブランドSAMAVSM、たまごヨガ、ヨガキャラクターPADMANKEYなど多彩なツールを通じ、ヨガの普及や、健康かつ持続可能なライフスタイルを提案。 "アシュタンガ・ヨーガ 実践と探求" "リストラティブヨガ 完全なリラクゼーションそして再生" "YOGABODY アナトミー・キネシオロジー・アーサナ" などの書籍を監修・監訳。
現在は、東京を中心に国内外でハタヨガ指導をしつつ、パーキンソン病を患う母親と同居し、パーソナルスタジオでもある自宅にヨガティーチャーやボディワーカーを招いてのライブ対談番組・水曜チャマの部屋のホストをつとめる。

『人生にヨガを』TYG: http://www.tokyo-yoga.com/corp
『Delight your home』GATE8: http://gate8.jp
『ヨガで世界を明るくする』chama公式WEBサイト: http://www.chama-yoga.com


小笠原和葉
ボディーワーカー /
プレゼンス・ブレイクスルー・メソッド®(PBM)ファウンダー

画像3

代替医療を中心として学術・臨床研究を深めながらさまざまな発信や
コラボレーションを通して新しい健康観「健康3.0」を探求している。
著書「システム感情片付け術」(日貿出版社)
クラ二オセイクラル・プラクティショナー(CHA)アシスタント・チューター
Somatic Experiencing®認定プラクティショナー 
宇宙物理学修士

東北大学大学院医学部研究生
趣昧はフィギュアスケート鑑賞。一児の母。
http://pbm-institute.jp/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?