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イサム・ノグチの言葉から関係のデザインを考える

20世紀後半あたりからあっという間に世界を飲み込んでしまった このグローバリゼーションですが、現在もそのは潮流はますます勢いを増し、もう既に人類の力ではコントロールすることが不可能なのでしょうか?それがもたらす厄介な弊害ももちろん恩恵も含め、世界中の人々を翻弄し続けております。人類にとっては、あの産業革命に匹敵する、いやそれ以上の強いインパクトといえるのではないでしょうか。

イサム・ノグチの「あかり論」

終戦後まもなく来日した彫刻家イサム・ノグチのあかり論について工業デザイナー秋岡芳夫氏が著書「割りばしから車(カー)まで」の中で伝えています。
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「これからの照明は今までの点光源=白熱灯から、線光源=蛍光灯にかわるだろう。そして次に、線光源は面光源=ウォールイルミネーションへと変わっていくだろう。だが、こうした予測は、公共の場の照明やオフィスなどでの未来予測であって・・・」

一息おいて

「多分、極く近い将来に世界の人々は、家庭などの休息の場で、照明ではなく、あかりを求めはじめるだろう。
休息の場のあかりは、黄色い薄暗い光でなければならない。
あかりは点でなければならない。
点のあかりには人の心が集まる。
黄色いあかりは、集まった人々の心を暖める。
穴居時代のたき火があかりの機能であったように、
そして日本のいろりが人々の集まるあかりであったように、
西欧の暖炉がまたそうであったように、
これからも世界中の人々はあかりを慕い続けるだろう。
黄色い色の点のあかりを」

中心部の商店街の現状

現在全国の中心市街地の商店街の多くは、カフェやドラックストア、ゲームセンターなどを代表とした中央資本のチェーンストアが軒を連ね、一方地元の商店はどこも苦戦を強いられ 減少し続けているという厳しい状況ではないでしょうか。店主の多くは先祖から受け継いだ土地を守るために 代々続いた商店経営をやむなく諦め、地方進出を狙った企業に自分の土地を賃貸する大家さんに変わっていきました。これまでは商店街の一等地と思われいていたような場所であってもコンビ二エンスストアが点在するありさまです。

さて地元商店からテナント店舗に入れ替わった中心市街地にもう少しクローズアップしてみましょう。そこでは進出してきたテナントの事情で考えるそれぞれの経済効率が優先され、その結果「品物」も「サービス」も、「売る人」も「買う人」も、「お店の佇まい」も「街の佇まい」も、個性を見失い始め画一化が進んでいるようです。

「どこ行っても同じようなものしか売ってないんだよね」とか

「どの町にいってもみんな同じになってきた」という

よく聞く声がそれを物語っています。

ローカルに進出するにあたって様々な企業がとってきたマーケッティングの根底にはもしかすると「悲観」が眠っているのでしょうか?「失敗しないための」とか「最大公約数」といったような枕言葉が街の様子をうかがっていると感じる時があります。
しかしながら彼らはその街をよくするために進出してきたわけではなくて、担当責任者の使命目的は儲けるためですから、それは仕方がないことかもれません。

それぞれの際立った特徴がなければ当たり前のことですけど、価格や地理的優位性などの利便性がモノを言い始めます。今までの常識なら地理的利便性の面で、その優劣の差はたいして感じない所だとしても、ちょっとでも不利な地理条件のところから人が減り始め、その結果、今ではハブ駅中のショッピングモールと、比較的家に近い近郊のショッピングモールに 人が集まる傾向がとても強くなりました。
そしてまたこの二者においても品揃えやサービス内容に関して金太郎飴状態であることは変わらずです。これが「均一化」「集約化」「利便性」の三つで成り立つ画一化の姿ではないかと思います。

しかし、それでも面倒に思う人はワンクリック!
通販サイトへ。。。

足早に商店街を歩く「人」や「もの」がつくり上げることだと思いますが、その街の佇まいはどんなにひいき目に見ても決して温かいとは思えない印象を受けてしまいます。

専門家が集まる商店街

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さて、以前のエッセイでもお話しましたが、僕は2010年から2018年までの四期八年間、地元商店街の代表理事を務めておりました。
私たちの本町商店街は幸か不幸か市の中心市街地に位置してはいますが、いわゆるメインストリートではないので、中央資本の進出先としては その意にそぐわないのでしょう、今も地元の様々な分野の専門家がお店を運営している つまり専門店街として位置づけされてます。
この商店街を形成する各お店は資本力はとても小さいのですが、それぞれの背中には「専門」という二文字を明確に背負った人々が、それぞれの生業を立てております。商店主は「この分野では我こそが世界一」と守備範囲は狭いながら そう豪語しそうなつわもの達がばかりです。そんな主義主張の強い彼らをまとめるのはとても大変な任務でしたが、自分の「専門性」に対するプライドの高さは、商店街が繫栄するためには最も必要な条件だと思い、商店街の持つポテンシャルの高さを信じて活動をしておりました。

本町スピリット(専門性へのプライド)
本町グレース(高い社会意識)

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専門店街である以上はその名の通り「専門家」の存在が必要不可欠です。自分のことを一流と信じてそれを掘り下げて研いて研いて、人様の役に立つ情報の発信やサービスの展開をすることが楽しくて仕方がない!そんな仕事で自分たちが豊かになれたなら最高にハッピーだ!そんな専門家たちが経営するお店。それらが集積しそして協同することから生まれるのが本当の意味での専門店による商店街活動だと私たちは考えています。

専門店でのモノの売り買いには一手間二手間ががかかります。基本的にはわざわざお店へ出向き専門家との会話も必要となります。ちょっと面倒くさそうですが、しかしそれを楽しく感じて頂くのが専門店の役割の一つです。
様々な専門家が話す「目から鱗」の話を聞くことで「本当に得というのはこういうことだったのか!」とお客様にとって有効なものさしを持てた時、利便性や最大公約数を安心と信じたことがつくり出す「価値に向き合うことに対して面倒という気持ち」が少しずつ変わり始めます。本質を理解することから感じ取った「ワクワク」する心地よさは やがて「面倒」を追い抜き、今度は「自分が一生懸命に働いて手に入れたお金を使うことで、どれだけ楽しい時間を手に入れるか!」とお金を使った先にあるものとは?というようなクリエイティブな関心がわいてきます。これは「消費者」から「愛用者」へ変わる最初の一歩の始まりです!

一見消費者の方を向いているようで実は向いていない「経済性」という名のグループエゴは、何かに怯えるように画一化を生み、画一化は創造性を阻害していきます。「コスパ!コスパ!」の大合唱の中で、宣伝の技術だけが発達し、実際には「物の価値とあまり向き合わせない」また「向き合わない」という時代の風潮はそのいい例ではないでしょうか。
いつの間にか悲観によって小さくなった経済のパイの中で、互いに価値や利益を奪い合うわけですから、みんなが苦しいのは当たり前です。同じ不景気とはいえ、自分の価値を守ろうとする国々はインフレであって、この国は未だデフレが続きます。
もうそろそろこういう時代を卒業したいものです。

奪い合う時代から育む時代へ

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それを考えた時、まず必要となるのは背中に「専門」の二文字を背負った人々の存在ではないでしょうか。それぞれの専門性を生かしながらデフレによってかたく凝り固まった土にクワを入れ、種をまき、水をやり、情熱をもって それぞれの得意分野で文化を育むことが出来るポテンシャルを持っているというのがその理由です。

そして経済のパイを拡大成長させる為には、もう一つの立場の人々の存在が必ず必要になってきます。

それは「さめた目を持ってモノの価値と向き合える消費者」の存在です。「買い物上手」は「買わない上手」とも言います。その昔、経済的にとても貧しかった時代は、今よりも生活技術が発達していたようです。売り場でのダメ出しが多かった!なけなしのお金で買い物をするわけですから、自分の買い物には相当うるさかったんでしょうね。
買わないときは買わない理由をちゃんと述べてから店を去ったそうです。

そのような消費者の存在はマーケットを進化させます。「買う人」の厳しいまなざしはマーケットに緊張感を与え、サービスや品物の質を研きました。ある意味いたって健康的な時代だったともいえるでしょう。
今後そんな消費者が増えるためにも、先ずはワクワクして質の高い消費行動に興味を持ってもらえるような、そんなお店の存在や流通環境が必要だと思っております。

本町デザインムーブメント
21世紀のデザイン運動は本町から世界へ

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理事長時代に立ち上げたのが「21世紀のデザイン運動は本町から世界へ!」と題した本町デザインムーブメントです。

かつてヨーロッパでは、産業革命を受けて19世紀のイギリスで起きたアーツアンドクラフツがはじまります。20世紀になるとヨーロッパ各地にそのエッセンスが伝染し様々なデザイン運動が繰り広げられました。これらの運動は基本的に「ものづくりの現場」を中心とした意識改革や技術改革でありました。

さてこの21世紀、グローバリゼーションに奔走される今、その弊害の部分に焦点を合わせ それを改善しようと行動するにあたって、私たちは流通で言うと一番河口にあたる「価値を伝えて販売する立場の人々」と「価値を評価して購入して実際に使ったり食べたりする人々」つまり「流通の最終段階で価値の受け渡しをする人々」の意識改革が必要と考えました。今となっては「ものづくりの現場の意識改革」ではもはや手遅れとの判断です。
そして河口の意識改革を進めながら、今度は川の流れをさかのぼり やがて水源まで押し上げよう!現在疲弊しているモノづくりの現場にその勢いと熱を届けよう!というのがこのデザイン運動の趣旨です。

河口の意識改革を通して「購入し甲斐のある」「販売し甲斐のある」「つくり甲斐のある」「デザインし甲斐のある」この「甲斐と快」を復活させようというのが目的です。

本町ファームプロジェクト

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その一環として三年前から現理事長の発案で宮城県は県北にある涌谷町に田んぼを借り稲作流通を試みております。目的は流通の中で「価値を伝える立場」の私達と「それを評価して購入する立場」の人々が、地元農家の皆様に手伝って頂きながら、春は田植え、夏の草刈り、秋は稲刈り、そして精米、袋詰め、販売収穫祭まで、共に汗を流し体験することで「価値」というものに対してお互いに向き合おう!とういう試みです。「米を作る」ではなく協同で自分たちの「田をつくる」わけです。

この事業、単なる一方通行の消費者啓蒙などというものではなく、毎朝食卓出でてくる温かいご飯は決して全自動でもなく、偶然でもない!「つくる人」がいて「加工する人」がいて「運ぶ人」がいて「販売する人」もいる。それしてその価値を認め対価を支払い購入する。でもその購入するお金は、自分たちが何らかのサービスを世の中に提供し、価値を認めてもらい手に入れた「対価」であること。それで初めて食卓に温かなご飯が登場することを理解する。これを立場の違うみんなの体で感じることが大切だ!という企てです。

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耕してつくる「耕作」と工夫してつくる「工作」は人間の尊厳ですからね。それを久しくお金で買うばかりになってしまった現在、今一度その感覚を取り戻し、自分たちの生活技術を少しでも向上させよう!という狙いがあります。

品種は「ひとめぼれ」です。地元専門学校(デジタルアーツ仙台)といつもの連携がありました。学校の授業で取り上げてもらいデザインコンペティション!お米のパッケージデザインと「消費者と販売者を結ぶ」、そして私達「本町商店街と涌谷町とを結ぶ」とう意味から「恋する二人」という名前が誕生しました。

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最後に
黄色い点のあかり

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第二次大戦後、商業主義がつくり上げる力学によってデザインの意味がいつの間にか「スタイリング」という意味にすり替えられていきました。「1960頃年までにデザインの本質は全て出尽くし、その後は表層だけが入れ替わるスタイリングになってしまった。」と何かの本に書いてありました。そして1965年を境にデザインの潮目が変わったといわれています。

「つくる喜び」であるとか「人に役立つ解説をする喜び」であるとか「価値評価する喜び」など商売に付随していた「喜び」が気薄になっていることは、残念ながら間違いない事実であり 益々現在バイアスが増幅されています。

このエッセイの初めに記した戦後まもないころ来日した彫刻家イサム・ノグチの言葉が改めて重く感じます。

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今後、経済効率優先を背景として白熱灯の点光源から蛍光灯の線光源に変化し、やがて面光源のウォールイルミネーションの時代が来るだろう。だが。。。

「多分、極く近い将来に世界の人々は、家庭などの休息の場で、照明ではなく、あかりを求めはじめるだろう。
休息の場のあかりは、黄色い薄暗い光でなければならない。
あかりは点でなければならない。
点のあかりには人の心が集まる。
黄色いあかりは、集まった人々の心を暖める。

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これは単なる「あかりについての持論」に留まらない言葉に思えてなりません。今はまるでイサム・ノグチの言う面光源=ウォールイルミネーションという言葉が重なる時代。願わくば今後たくさんの人々の「たくさんの気づき」によって世の中が再び点光源の時代を取り戻せることを期待しています。イサム・ノグチの言葉は戦後まもない時代、既に今を予測し警鐘を鳴らしているようです。
いつの時代も「変化への対応力」とは言いますが、その対応力の質に期待したところです。
このイサム・ノグチのいう「黄色い点のあかり」「照明ではないあかり」
これからもくらし座の活動においても商店街活動においてもたくさんの人々の心に灯せるよう大切にしていきたいと改めて思いました。

くらし座 大村正









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