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新社会人の私へ(働くこと)④

自分の給与のことで大きなミスをした私に、Aさんは、目を向けていた。
そして、口を開いた。
「へえ、キミ。そりゃあ、よかったね。」
・・・はっ?
ここで、私も我に返った。Aさんが初めて口を開いている事実に衝撃を受けたのと(過去数年間、誰とも会話が無いと、上司から聞いていた)、
この言葉を、どう理解したらいいのかわかりかねて、黙ってしまった。

「だって、そうだろ?僕からの申請がどこかに紛れてしまうほど、たくさんの仕事がキミにはあるってことだろ。新人なのにさ。」
しまった。Aさんには、「仕事」が・・・。
これは、もしかして皮肉を言われているのかな??どうしよう!と焦った。

「これ、知ってる?」
表紙に「菜根譚」と書かれた本だった。
孟子、孫子、老子・・とかではないけど、中国古典と思われた。

タイトルの「菜根譚」とは、中国の故事に由来する。
「硬い野菜の根でもよく噛めば、百事が成せる。」
たとえ苦しい環境でも、耐え忍べば、世の中の真の味を理解できる、という意味だそうだ。

Aさんは、この本のエッセンスを説いてくれた。 

※中庸を重んずること。高い志を持ち、ゆとりをもって自らの心を見つめる。極端な行動を勧めたり強制せず、何かに執着しないで考え続ける。
※三教(仏教、道教、儒教)は対立するものでなく、それぞれの思想を取り入れて、よりよく生きる。普遍的な幸福を得ること。

「まあ、キミさ。まずはゆっくり、噛んでみろよ。」
硬くて、筋だらけの仕事から、世の中の何かが、わかるかもしれないぜ。

Aさん訪問は緊張するので、自分の席に戻った時は毎回、ホッとした。
その日は別な意味で、心が軽くなり、ホッとしたことを覚えている。

その後も相変わらず、私は新品のポンコツ社員だった。
目の前のことに忙殺されて、隙間が無い毎日を送ることも変わらなかった。できることが増えてはいったが、詰めが甘いため、ミスを頻発した。

それでも、あの日から、少しずつ私は変わっていった。
底なし沼に自ら落ちていくことをやめよう、と意識するようになった。
会社勤めをしていることは、自分にとって、何らかの意味があるのだろう。
この経験は、何かに繋がっている。それが何かを、知ってみよう。
このように、その当時の自らを受け止めるようになっていた。

ご無沙汰になっていた、友人達の集まりに出かけた。
年齢こそ同じだが、学生、会社員、公務員、家事手伝い、親の事業を継ぐ準備と、それぞれの人生を、日中は歩んでいる。
「hikari、久しぶりやなあ。いつ日本を出るん?資金、貯まった?」
そうだった。最後にこの面々に会った時、再び海外に暮らしたいこと、
そのために資金を貯めていくことを打ち明けていたのだ。

友人達のさざめきの中、自分自身に問いかけた。
「いつ日本を出るか。」予定はないけれど、再び海外に暮らしたい。
「資金は?」資金かどうかはともかく、貯金は貯まっていっている。
そして、改めて、自分を知った。
母国から出る事を、今すぐ先の予定には、したくない。

「そうそう、hikari。会社にええ人、おらんの?」
うん。ええ人、たくさんおるよ。
仕事には相変わらず慣れんけど、会社の人は好き。

「はははっ。なんや、それ~。早よ日本出るか、寿、目指しいや。」
屈託ない友人達のツッコミに、ボケで返しながら、思い出す。

先日、同じ質問を両親からされた時、私は同じ返答をした。
「hikari、会社で誰か、結婚したくなるような人とかいないのだったら。
あのお見合いの話、早く受けてみなさいよ。」

両親は、結婚こそ、娘の人生の幸せと経済的安定確保になると信じていた。
私の両親は、結婚して、とても幸せに生きている。
そのため、娘も結婚したら、自分たちと同じように幸せになるに違いないと考えてしまうのは、ごく自然なことだと理解できる。

「会社で”いい人”に、出会う。」
偶然そうなれば、それはそれで素敵だ。近くにいる人と縁があれば、相手の良さもよりわかることだろうし、日中も同じ空間にいることができる。
私が勤めた会社は、所謂「大手企業」だった。
入社して、「優良企業」であることも、自分自身で実感していた。
そんな会社に勤めている人と結婚したら、私は幸せになるだろうと、
周囲が良かれと思い、言ってくれていることには感謝し、理解していた。

これは、わざわざ、誰にも言わなかった。
私は、自分の幸せと人生を、結婚相手の存在、その人のスペックの高さなど自分の外に委ねてしまうことに、違和感を感じていた。
また、入社当時から、「いい人ハント」のために、通勤していなかった。
相変わらず、何が何やらわからないままの1日を過ごすばかりだったけど、あの会社で、「働ける」人間になりたかった。

目の前のジントニックが、ほどよく、体にまわってきた中で考える。
まず、いただいたお見合いの話。至急、丁重にお断りしよう。
私はすぐに結婚しようと考えていない。結婚したいと望んでいる男性は、
一秒でも早く、同じように結婚を望む、然るべき女性に出会うべきなのだ。

両親には、自分への愛情に、感謝していることを伝えよう。
両親は年齢の分、経験と考えがある。
自分の考えとは違うけど、それらを尊重していることだけは伝えたらいい。

そういえば、すぐに海外に出たいと思わなくなったのは、なぜだろう。
確たる理由がわからないまま、その日は終わった。
会社の年度末の忙しさに、その理由探しも、どこかに忘れてしまっていた。

(今日うれしかったこと)
ありあわせのもので、パウンドケーキを焼いた。それなりに、美味。
(今日のありがとう)
目でみるだけでなく、耳でも聞ける。
言葉を書くだけでなく、話もできる。
食べ物を食べるだけでなく、飲むこともできる。
歩くだけでなく、駆けることもできる。
感じるだけでなく、考えることもできる。





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