見出し画像

曽祖母

曽祖母は私の中で1番影響を与える存在である。
今から15年前
丁度長女がお腹に入っている頃に生涯を閉じた女性。
91

既往歴は
極度の不眠症
不整脈
認知症

彼女は子供を授かる事なく
後妻となり一人娘となる祖母を育てる。
そんな中
夫はトラックに轢かれ亡くなってしまう。
娘は養子をもらったばかり
とにかく家を潰さないようにと
朝3時から起きて畑仕事に向かい
5時に帰ってきてタンス屋さんに働きに行くためお弁当を作っていた
帰ってきてからも真っ暗になるまで畑で働いた。


彼女の楽しみは
初ひ孫(私)がバイト先で買って来る
コーラと助六寿司

貯金はしっかりとして
何も老後は困らないといった感じだった
私に振袖から着物を全て揃えてくれ
ひ孫たちの成長をとても喜んでくれた。

成人式も終わり
大体1年が経とうとしていたお正月
ポータブルトイレで用を足そうとした彼女はポータブルトイレを反対に進み
窓から転落骨折した。
救急車を呼べばよかったものの
呼ばずに自宅療養
寝たきりとなってから電話がきた。

駆けつけると意識はある。
病院で入院?
とりあえずどんなケアが行われているのか確認。
夜間1回のオムツ交換、夕方のオムツ交換
褥瘡の処置
とあった。

みるみる痩せ細るその身体
血栓がつまったであろうもう目も合わせなくなった彼女はまあまあピンピンころりで幕を閉じた。

自宅では赤ちゃんのようにハイハイをして移動していた。
ご飯を食べる時に不整脈を起こし、椅子から倒れる事もあったのでストーブの前に座って食べるのが日課となった。
日中はテレビをずっと観て、寝ているんだか起きているんだか分からない状態。
昼寝は円背ながらもしていた。可愛かった。
爪は魔女のようになっていてたまにペンチで切ってあげていた。
髪の毛はおかっぱにしてほしいとリクエストがあったので私が布切りバサミで切っていた。

私が何かしてくれると分かると
私の部屋に訪ねてきて1000円を差し出す。
用事を聞くと
「テレビが真っ暗になったから直して」と言う
入力切り替えを押してしまうからよくこうなって呼びにきていた。
私が高校生になってからそんな生活をしていたからそのころから認知症はあったと思う。
ハッキリとは分からないがどう頑張ってもデイサービスに行って出禁をくらったりする曽祖母であった。
我が強い
1000円札を数えている時は楽しそうだった。

口数は少なくなるが
私の名前や弟の名前全て覚えて
呼んでいた。
反抗期でもこの人には逆らえない
大切!と思っていたのでゆう事を表向きは聞いていた。
「ちゃんとゆう事聞かんせ?」
ちゃんとゆう事を聞きなさいよ?
何に対してなのかは分からないが
素直にうんと言っていた。


今はこう解釈している。
人の意見を聞きなさい。
人の話を聞きなさい。


まぁ曽祖母が1番できてなかったけどねw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?