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幕引き

みなさん、どうもお久しぶりです。
オーストラリアから帰国し、ほぼ英語を忘れかけている増田繁人です。

皆さん、お元気でしたか?




noteの更新は2年ぶりになりますが、


私、増田繁人は現役引退を決断しましたので、ご報告させて頂きます。



突然のご報告?になってないかもしれませんが、今回は決断に至った経緯と想いを赤裸々に書いていければと思いますので、どうぞお付き合い下さいませ。



【経緯】

まずは、引退の経緯について。



直接の原因は“怪我”です。



前回のnoteにも書きましたが、両足首のオペを行い、右足を再手術。
結果的にそこが良くならなかったことが、引退への直接的な原因になりました。



もう少し詳しく書かせていただきます。



オーストラリアでは年間通してプレーし、言葉が通じない中でのプレー、外人枠としてのプレッシャーを感じつつも、新たな環境でプレーすることへの喜びを感じていました。(凄く楽しかったよ。オーストラリア)


、、、が、それとは裏腹に足首のコンディションはやはり良くならず。自分が納得いくパフォーマンスは出せないフラストレーションを抱えていました。


併せて、語学の壁があり、『こういう感じで痛い。』『もっとこうしてほしい』などといった微妙なニュアンスが伝えられず、ケアをうまく受けれないまま戦わざる負えない状況に苦戦していました。




家族の事情で10月に日本に帰国することになり、それに合わせてリハビリを行いプレーできるレベルまで回復。そこからチーム探しをスタートしましたが受け入れチームがなく引退。という流れです。





文面で見るとサクッと引退を決めたように見えますが、



正直、めっっっっっっっっっっちゃ悩みました。


どうしてもサッカー続けたかった。




どうしたら続けられるか、粘りに粘ったのでそのお話を。



まずは治療に関して。
東京にてリハビリ、トレーニングを行いましたが根本的な解決はできず、苦戦。
ただ、サッカーを続けたくて、辞めたくなくて、ひたすらに可能性を探りました。



いろんな治療家さんに診てもらったことはもちろんのこと、自身でも原因を探り、積み木を一つずつ積み上げる作業を行いました。

ほぐす場所、刺激を入れかた、重心の位置、体の使い方、試行錯誤をしながらトレーニングを行い、激痛がはしったら調整しての繰り返し。
ただただ、良くなる可能性を探りました。

(遊んでいる子供の脇で本気で走る190センチ、、恐怖ですね。)


取り組みの甲斐もありケアが必須という条件付きではありますが、プレーできるレベルまで回復。ようやくをチームを探し始めました。

ですが、人工芝でないことなどの条件付きのチーム探しはそんな甘いわけもなくチームが見つからないまま時間だけが過ぎ、気づけば1月中旬。各チームは始動開始済みです。


現実的には現役続行は難しいとわかっていたのですが、まだ諦められず。。。
自分でもここまで現役にこだわることに驚きましたがモヤモヤした状態でやめたら一生後悔する。それだけしたくない。と思い続けていました。


ただ、時間は有限です。ずるずるといかないためにも、このモヤモヤを分析する必要があると感じました。


【モヤモヤの正体】

まずは結論から。

《憧れとの混同》

ここに行き着きました。


では少し分析結果を解説していきます。



まず、
モヤモヤ=このまま辞めていいのか、やり切り切って終わりたい。この感情です。


ではやり切りった感覚とはなんなのか。少々長いですがお付き合いください。



◾️やり切った感覚=目標に対し、「今」(過去のその時)できることを全てやれたのか、 やり残しはないか と定義します。


【今できることを全てやれたか振り返る】
・過去
これまでに記してきたノートなどを基に、日々のトレーニングや取り組みを振り返ると、 ちゃんと自分と向き合ってきた自負はある。だからこそ、13年間プレーできた。


・今現在やれること
①、最大限のパフォーマンスを発揮するためのトレーニングや治療
②、Jリーグクラブへのコンタクト


【今現在やれることについて】
①、最大限のパフォーマンスを発揮するためのトレーニングや治療
必要なことは下記の2点

・原因の明確化

・治療の再現性

原因を追求し治療の再現性を高めることで限定条件ながらも『プレーできる!』思えるようになった。

②、Jリーグクラブ(特に関東圏)へのコンタクト
代理人を通して全クラブへのコンタクト。また、繋がりの強い人に協力も頂きました。

※関東圏のJクラブにこだわっている理由
怪我の状態を踏まえて、ベストパフォーマンスを出すには次の2点が必要になると考えました。
・関東圏で治療方法のわかっている優秀なトレーナーに治療してもらえること
・天然芝で体への負担が少ないグランドでプレーすること
(J以下チームへ練習参加した際に、人工芝ではプレーできないことを認識しました)



【心境】
以上を踏まえ、やれること①、②をやり切りましたが、その上で、加入、練習参加は難しいというのが現実。





やりきった感覚を得られるはずが、今できる全てのことをやってきたと認識しても尚、まだ後ろ髪が引かれる思いがあり、それは『一度、辞めたらもう戻れない』とすがる気持ち、例えるならば、死ぬ間際に「まだ生きたい」と願う気持ちに近い気がしました。


これは何かをやり残したというより、『憧れに近い感覚』なのではないだろうか。動かせない定数を変えようとしていたのかもしれないと気付きました。


おそらくこの気持ちは50歳になっても感じるものであり、だからこそ付き合っていくべき感情なんだなとやけに腑に落ちた自分。



同時に、その時初めてボロボロになった身体を認識し『もうプレーはできないんだ。』と理解した瞬間、涙が溢れてきました。
身体はとうにやり切っていて、ただそこに無理矢理蓋をしながら気持ちだけで必死に進み続けてきたことに気付き、驚きを隠せませんでした。


プロとして駆け抜けた13年間は必死で思いを振り返ることすらありませんでしたが、少し時間をおいて「いいサッカー人生だったなぁ、最高に楽しかった。」と今までの思い出が蘇ってきました。




計7ヶ所の手術、プレッシャーで不眠症になったことなど、やたらと辛い思い出が多くでてきましたが、時々出てくる楽しい思い出は温かく誇らしいもので、デビュー戦、昇格、ゴールを決めた試合、本気でやって来たからこそ、報われた時の喜びはひとしおでした。





日々高め合った仲間、気付きを与えてれた指導者、成長する機会を提供してくれたクラブ、スタッフ。どんな時も応援してくれたファン、サポーター、そして、そばで支え続けてくれた家族、妻。




みんなに支えてもらったからこそ、何度立ち止まっても歩み続けることができました。


本当に感謝しきれません。



ここでは書ききれないほどの思い出と感謝に溢れた19年のサッカー人生だったと感じています。


1都6県1海外、9クラブ。


サッカーを通して出会った人、そして経験全てが僕の財産です。




本日をもって、大好きなサッカーにコミットし続けた“アスリート”としての人生は幕を閉じますが、1人の人間としての挑戦はこれからもまだまだ続きます。


この決断に至るまで、大いに悩みましたが
今はサッカーで培ってきた経験を引っ提げて挑む新しい世界への奮闘が楽しみで仕方ありません。
(結局僕はずっと挑戦が好きみたいです!)


【終わりは始まり】

ここからが新たなスタート。


育ててもらったサッカーに恩返しできるよう新たなフェーズで力を付けるつもりです。

抱いている課題感を解決できる様にまずは修行してきます!



これまでに僕と出会ってくださった全ての皆様。
今まで本当にありがとうございました。
(直接お礼を言えないことをお許しください)


これから始まる第二章もマグらしく全力で進みますので、ぜひ応援よろしくお願いいたします!


【これまでの思い出たち】





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