mahakoyo

高校教師。専門は倫理。音楽ディレクター。

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雨を告げる漂流団地(感想)/ジュブナイルへの狂気

感想です。大変良かったので観た勢いで書きました。ネタバレ含みますので、未視聴の方はお気をつけて。 本作は超王道のジュブナイルです。所謂少年時代に誰しもが感じたであろうなにものかをリアルに思い起こさせる作品として本作以上のものに出会ったことがありません。なぜそう言い切れるのかというと、なによりも先ずフォーカスされるのが、子ども時代にしか感じ得ない感触が丁寧に描かれているからです。その延長線上に、躍動感あるアニメーションが展開されるので、アニメーションそのものの快楽が凄い。この

    • ゲームを通して現世と夜の夢は転倒する(試論)

      ゲームとは何だろうか。 宮内悠介『盤上の夜』に収められている短編小説「象を飛ばした王子」という物語には(※この先同書のネタバレを含みます)、現在の将棋やチェスの元祖といわれているインドの遊戯「チャトランガ」を考案したとされる人物が描かれる(無論、これが史実であるかどうかは定かではない)。彼は、父であるシッダールタ(仏教の祖であるブッダ)からラーフラという名を与えられる。シッダールタは彼を捨て、自らの修行の道へと歩む。ラーフラ、ラーフ(触)とは太陽を覆い隠す月食であり、陰であり

      • この世界の片隅に、想像力のゼロ地点から

        本作の事について、僕は書いておかなければならないと思うのです。僕がこれから生きていく上で、必ず向き合わなくてはならないものの一つに思えるからです。 (以下重大なネタバレを含みます) 原作者のこうの史代さんは、日々を生きる人々の想像力を、過去作品においても丹念に描く人でした。本作においても、「うさぎのような白波」や「バイオリンのようなまな板」などのように、こういった、のっぴきならない状況でも懸命に想像力で立ち向かう人を「この世界の片隅に」描きたかったのかなと思っていました。

        • ボイトレポ2

          行ってきました。2回目。今日はポジションについて学びました。これ凄く面白かった。 右の1〜6のうち、合唱人は1や3、或いは男声だと5.6あたりに音を当ててしまう。これは、深い声を出したり、声を響かせたりする上では適切だけれども、地声の場合は2が良いとの事。これだけで大分変わった。 加えて、合唱人は母音重視の癖が出るけど、ポップスは子音重視で歌詞を聞かせる事が大事だとのこと。なるほど。 あと、喉を開きすぎる癖も消していくこと。自然な地声って難しい。 きれいにうたわない

        雨を告げる漂流団地(感想)/ジュブナイルへの狂気

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        • せしもくん
          0本
        • 小池さん
          3本

        記事

          ボイトレポ

          ボイトレ行ってきました。 担当講師の方が声楽やってた方で且つポップスできる方だったので自分のコンプレックスをよく理解して頂けたように思います。 僕の癖としては ①ビブラートが自然に出る ②ファルセットが自然に出る という所があって、それらをコントロールして選択出来るようにする事が課題のようです。ある種合唱人の呪いである。自分の地声がわからなくなる。 で、ビブラートやファルセットを意識して出さないようにするのが思いの外難しい。染み付いてしまっているんですね。これを取る所か

          ボイトレポ

          歌いたいな、と思う。

          今度ボイトレに行きます(唐突) 僕は合唱をなんだかんだで15年近くやってきた。合唱は好きだし、いずれは演奏会とかに乗りたいという気持ちはある。優れた合唱仲間と、またCDも作りたい。でもそれ以上に、自分で曲書いて、アレンジはどなたかにお願いして、歌詞書いて、歌いたい、という気持ちが今はある。カバーでも、いい。 合唱やったことあるひとは理解できると思うんだけど、あの発声って一度身につくと地声で歌えなくなる。いわゆる「イケメンボイス」みたいなのは簡単に出せるようにはなるが、しか

          歌いたいな、と思う。

          副業で音楽活動をしている地方教諭が頭打って鬱病になって家庭崩壊寸前までいってから自分の生き辛さと向き合う話です(約4000字)。

          僕は音楽活動をしながら教員をしている、割と珍しい人だと思います。初めて読む人は、サイトが以下にありますので、興味があれば見て下さい。実際に音を創る人ではなく、企画書を書いて作って貰う人です。僕は良い作品を創るアーティストが好きで、所謂作品主義より作家主義だと思ってます。素晴らしいアーティスト様に素晴らしい曲を作って頂いてますので、是非ご購入下さい。と宣伝。今も新しいものを作っています(副業の許可は得ています)。 koszonto.net Apple Music→koszo

          副業で音楽活動をしている地方教諭が頭打って鬱病になって家庭崩壊寸前までいってから自分の生き辛さと向き合う話です(約4000字)。

          アベンジャーズにみるこれからのアメリカについて

          ※最初から重大なネタバレを含みますので未視聴の方はご注意下さい。 アベンジャーズシリーズをエンドゲームまで完走しました。数年ぶりに一気に観た。その為に中古1500円のDVDプレイヤーも買った(近所のツタヤが旧作2週間100円、準新作も月一回派土日100円)。特にエンドゲームは凄く面白かったし、最後の最後まで美しかった。 アイアンマンに始まりアイアンマンに終わるそれは、まさにアメリカの現代史における、希望(或いは願望)の物語だと思う。 アイアンマンの主人公トニースタ

          アベンジャーズにみるこれからのアメリカについて

          ここにいるためだけに/コーラスの録音について

          音楽はそこにいるためだけにあるのだから、できる限り敬意を持って丁寧に対峙しなければならない。 例えばコーラスを含む曲を制作するとする。録音芸術は、クオリティに大変シビアな世界だ。再現性の無いライブとは違い、特に定額聴き放題に溢れた昨今であれば尚のこと、比較対象がありすぎる。合唱団の「味」のようなものが淘汰されるのが、録音芸術である。上手い下手がすぐわかる。 そこで録音エンジニアの出番である。コーラスの録音に美意識を持つ者が編集すれば、それは個性的な美しさに近づきうる。一方

          ここにいるためだけに/コーラスの録音について

          備忘録的な

          引き算が大切 数ある選択肢から一つずつ丁寧に引く 後に残るものの哲学を掬い取る 川井憲次氏に学ぶことが大変多い 反省と無駄の除去 そして哲学を深めること 次のステージへ行くために 病床にて

          備忘録的な

          何もしないということの難しさよ

          何もしない、考えない、ぼーっとする。ということを努めてしようとすると、それが思いのほか難しいことに気づく。ゼロになる身体は確かに満たされてゆくが、しかし身体をゼロに近付けることは、体力がいるのだ。 手始めにツイッターとFacebookのアプリを消す。ゲームアプリを全て消す。これで大分軽くなった。とりわけ、京アニのニュースが辛すぎて、テレビも見られない。 音楽。音楽も努めて疲れるようなものは聴かない。となると色々絞られてくる。モーツァルトは疲れない音楽としてはなかなか良い。

          何もしないということの難しさよ

          深く美しい変化に心奪われるのだ。

          深く美しい変化に心奪われるのだ。その変化に出逢いたいが為に生きているのだと思う。その意味で、音楽と教育現場は似ている。 昨年は「母に勧められたから看護師になりたい」と言っていた生徒が、今年になると「死について深く考えてしまう。死に直面する場にいたい。目の前の人を助けたい。だから看護師になりたい」と言うようになった時、そこに深く美しい変化を見て取る事ができる。 音楽も一緒だ。僕が惚れ込んだアーティストの、深く美しい変化に出逢いたい。その瞬間に一度でも立ち会ってしまっ

          深く美しい変化に心奪われるのだ。

          半生を供養して、未来に繋げたいという話。

          あるアーティストとの出会いが人生を変える、というのはまあよく聞く話かもしれないけれど、僕にとってはeiyaという一人のアーティストだった。今から15年程前(もうそんなに経ったのか…)、当時muzieという音楽サイトで活躍されていた彼の音楽は「新しく」、そして「面白かった」。学生時代は彼との対話の中で、音楽の捉え方を学んだように思う。僕の音楽に対するスタンスは、ここが始まりだった。多くのクリエイターが彼の音楽に憧れたし、そして僕は彼の音楽を世に届けたいが為に音楽プロデューサーを

          半生を供養して、未来に繋げたいという話。