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双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第1回 [双極性障害の開示とうつ診断で始まった双極生活]

はじめに

「双極性障害(躁うつ病)の当事者としての松浦さんを、もっと発信したらいいんじゃない?失敗だと考えてる経験も全て価値になるよ。」

2017年11月29日。前職から8年の付き合いで、今私が所属する会社代表の伊藤さんの言葉に、自分はハッとさせられました。

(前から考えてはいたが、本当の意味で覚悟してなかったのかも。企業で働く双極性障害の当事者として実名で顔を出し、疾病があっても働いていけることを伝えていく覚悟。)


このnoteは、私、松浦が双極性障害を発症した大学4年から、双極性障害など精神疾患の方々を支援する職について6年目の今までの14年間を振り返るお話です。

自分の病気の変遷とそのとき考えていたことを、今まで誰にも話していない事も含め、ありのままを記すつもりです。

14年間を振り返ったときに浮かぶキーワードは、

うつ、NPO、就職、Web、退職、起業、本の出版、ひきこもり、自殺未遂、転職、ソーシャルビジネス、マーケティング、広報、休職、リワーク、支援職、結婚、子育て、リライフ、新規事業の立案と頓挫、自殺念慮、服薬再開・・・。

振り返ると、ジェットコースターのようにモノ凄いスピードで、上下に気分を揺さぶられながら働き、生きてきた14年間でした。

そして、そのジェットコースターの動力となっていたのは双極性障害。もちろん、自分の気質や能力によってもたらされた部分もありますが、双極性障害に翻弄された結果は大きくあったと思っています。

世の中を見渡すと、双極当事者の方の中には、経験談を発信している方が少なくないです。

マーケティング好きとして、私が他の人と差別化できることは何かを考えてみました。

その結果、「双極の当事者でありながら、他の正社員と変わらない条件で会社勤務を6年弱続けている。企業に在籍しながら、顔出し実名で発信できる」という点にあると思いました。

架空の存在でなく実存として感じてもらい、双極性障害の認識をより実際に近づけていけたらと思っています。

何度も挫折を繰り返しながら、自分らしい働き方にたどり着いた14年を、ゆるりと気軽な気持ちで読んでもらえると嬉しいです。

〜21歳(2004年)発病〜

名古屋の理系大学に通っていた私は、4年になり、とある研究室を選びました。それは「一番ラクに卒業できる研究室」。

私が大学に入学した2001年は、インターネットのブロードバンドが一斉に広がり、「Webには何か可能性がある」と思わせる流れがありました。

私は化学系専攻だったものの、講義はそっちのけでWebビジネスを研究し、いつかは起業したいと思うように。

大学4年になっても、理系学生にはお決まりの卒研に追われることは全くなく、自分の将来やりたいことに時間をかけました。

就活も「将来、新規事業をさせてくれるか、起業のステップになるところ」しか考えておらず、実際、内定をもらって入社する会社の最終面接でも「いずれ起業します」と宣言するほどでした。

ある名古屋の食品商社から内定をもらい、入社することは決めたものの、どこか自分の中で矛盾する想いがありました。

「起業するといっておきながら、就職するっておかしいのでは?本当に起業したいなら今からすればいいのに」

そこからぐるぐるとマイナスな思考はめぐり、人と比較するサイクルに入りました。特に、私がいた大学は、地元では名が知れた理系大学で7、8割の生徒が大学院に進学し、大手企業に入社するのが一般的でした。

そんな友人たちと自分を比べ、「間違った選択をしたのではないか」と落ち込む。しかも、私の研究室は週1回2時間だけのため、それ以外は外にでる予定がない状態でした。

結果、実家にひきこもり、寝続ける日々。2週間くらいその生活がつづき、さすがにまずいと思った私は、意を決して、自宅から一番近い総合病院の精神科に行きます。

はじめて精神科に行った時の怖さは、今でも忘れられません。

つづく

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