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マシーナリーとも子ALPHA ~倫敦の切り裂き魔篇~

 その日の池袋は、粘ついたようなスッキリしない雨がポタポタと降っていた。雨は嫌いだ。濡れること自体は防げてもバウムクーヘンが湿気てしまうから……。
 池袋駅から出たダークフォース前澤は懐からデッシュを取り出して起動すると会社への道を急いだ。デッシュとは使用した者の頭部を追尾し続けながら飛行する皿形のドローンである。2040年にようやく実用化されたハンズフリーの雨具で、頭上で雨を受け止め続けながら蒸発させることで使用者が濡れるのを防ぐ夢の雨具だ。
 元々2030年にハンズフリーの雨具は考案されていた。やはり頭上にドローンを飛ばすタイプで、その時考えられていたものはドローンの端からバリアーフィールドを発生させ、使用者を筒のように覆うというものだった。これは横殴りの雨や地面からの水跳ねも防ぐことができ、また見た目がカッコいいということで大いに話題を呼んだが、いざ実用化されると蒸し暑いということがわかり、すぐに廃れた。開発したメーカーは潰れた。
 その点デッシュは機構が単純だ。手荷物が増えなくていいというのももちろんだが、傘より視界が開けるのも嬉しいところだった。ネックはただの雨具に過ぎないのに30万円という高価格な点だが、ここがシンギュラリティのいいところで日本の支部に所属するサイボーグには、先月から無条件でこのデッシュが支給されることが決まったのだ。ロクでもない仕事も多いこの組織だが、不思議と福利厚生は良かった。

***

 会社のビルにたどり着くと軒先でおろしたての派手なスーツを着たコワモテがタバコを吸っていた。ビル内は禁煙なのだ。

「……おはようございます」
「おはようさん」

 前澤は先に挨拶する。以前、この男をシカトして入ろうとしたらすごい剣幕で怒鳴られた。殺してやろうかとも思ったがこの男は地下1のバーのオーナーなのだった。そしてこのビルを管理しているのは前澤の上司、エアバースト吉村だった。自分の行いで上司の稼ぎが減るのもおもしろくなかろうと思った前澤は腹ただしく思うもその場は謝り、今はこうして先んじての挨拶を心がけている。

「あの、明るい色の髪の元気な子、最近見ねえな」

 男は携帯灰皿でタバコをもみ消しながら呟いた。

「……そうですね」

 鎖鎌。あの不愉快な女はここ3日ほど姿を見せていない。

***

「今日も鎖鎌は来てないようですね」
「おはよう前澤。……そうみたいだな」

 オフィスに顔を出すと上司の吉村がカチャカチャとキーボードを叩いていた。その目は前澤に向けることはなく、何か忙しくやり取りを交わしているようであった。
 前澤はコーヒーを淹れるとソファーに座ってボーッとしていた。今日はとりあえず20人ほど人間を殺せばノルマ達成だ。前澤にとっては造作もないことだった。だが今日は……気が進まない。
 きっかけは3日前だった。前澤は近隣の居酒屋に空き巣が入るというのでその警備を任された。そこで異常な戦闘力を持った人間が現れ、前澤は交戦した者の倒すことかなわず、逃してしまったのだ。
 その特徴を帰社して伝えたところ、鎖鎌は顔色を変えて飛び出した。どうしたことかと追いかけて話を聞くと、どうやら前澤が戦った人類は鎖鎌の友人だったらしいのだ。その名は錫杖。鎖鎌同様に高い戦闘力と本徳を持ち、得物そのものの名前を持つことに前澤は奇妙な感覚を覚えた。そしてふたりが同じような存在であろうこともなんとなく察することができた。
 鎖鎌は前澤に錫杖のことを教えると、彼女を探さなきゃと言って走り去った。池袋西口の人混みに紛れていった鎖鎌を、前澤はすぐに見失ってしまった。
 そのまま鎖鎌は池袋支社に姿を現さず、3日が経った。

***

「鎖鎌はまだ……姿を現さないのですね」

 前澤は思わず呟いた。

「ああ……ときどきインクカードリッジに調べさせてるんだけど見つからねー。心配だな」
「……」

 流石に「そうですね」とは返したくなかった。竹馬の友であったパワーボンバー土屋は鎖鎌に破壊されたのだ。いまは同僚かもしれないが、それを許すことはできない。だが……。
 だがこんな風に姿を消されたら、残された方は気分が良くないじゃないか……。

「前澤、お前今日は外回り行かなくていいや……待機しててくれ」
「?  なんでですか?」

 前澤は不思議に思ったが、すぐに多少のムカつきに襲われた。もしかして気を遣われているのか? 私が鎖鎌を心配して意気消沈してるんじゃないかと?
 前澤は抗議しよう、人類くらい殺せると言ってやろうとカップを持ったまま立ち上がり、吉村の席に近づいていった。だが、吉村がディスプレイから目を離さず、冷や汗をかいているのを見てまたオヤ? と前澤は不思議に思った。別件か?

「なんかあったんです?」
「ああ。けっこーやばいぜ」

 吉村は画面に視線を向けたまま、右手をマウスから外して机の上をふらふらと探った。そして目当てのものがないことに気づくと前澤を睨みつけた。

「お前……自分の分だけコーヒー淹れたの?」
「そうですが……なにか?」

 前澤が首をかしげるのを見て、吉村は長くため息をついたあと苦笑いを浮かべた。

「マシーナリーとも子もそういう奴だった」

***

 吉村から伝えられたのは驚くべき大事件だった。イギリスにはシンギュラリティの支部が8つある。そのうち6つが、謎の殺ロボ鬼によって襲撃され、壊滅状態だというのだ。被害者はボディをズタズタに引き裂かれ、ねじ切られ、見るも無残な有様だという。切り裂きジャックの再来。イギリスのサイボーグのあいだではそんな噂が流れ始めていた。
 不幸中の幸いにしてイギリスでもっとも高い徳を持つロンドン支部が襲撃されることはなかったが、事態はまだ収束していなかった。切り裂きジャックにヒースロー空港が襲撃され、飛行機が奪われたのだ。サイボーグによる完全な統治に成功していたイギリスにおいて、空港は無用な人類が侵入するのを防ぐ重要な出入り口である。イギリス国内の人類を完全に管理するため、空港には10数人の強力なサイボーグが配備されていた。にも関わらず、結果として空港のサイボーグはすべて切り裂きジャックの手口で破壊され飛行機は奪われた。そして切り裂きジャックを乗せていると思われるその飛行機はいま、羽田空港に向かっているのだ!

「じゃあ……すごい数のサイボーグを殺したそいつが日本にやって来るというんですか?」
「それもこの東京によ。何者なのか、何が狙いなのかわからねーが用心しておくに越したことねーだろ」
「他の支部にも協力を呼びかけた方がいいじゃないですか? 大人数で固まった方が……」
「そうかもな……。でェもなァ〜〜! 空港には2ケタのサイボーグいたけどみんなやられたんだゼェーッ! 集まったら一網打尽にされないかなあ。ンァーっ! こういうときたか子さんがいてくれればなぁ〜〜」

 吉村が参った、とガシガシ頭をかきむしる。
 前澤は未知の、実感のわかない脅威に漠然とした不安を覚えながら別のことも考えていた。
 サイボーグをひとりで何十人も殺すような敵……。そんな奴が襲いかかってくるかもしれないというのなら……。もしかして必要なんじゃないのか? 鎖鎌の力が……。

***

 N.A.I.L.の首魁、トルーさんは困っていた。3日前に偶然探し当てた少女が逃走したのだ。暖かい寝床も用意してやった。風呂にも入れてやった。うまいメシも食わせてやった。あとちょっとだけここにいろと言っておいたのに、少女はただ退屈したというだけで外出してしまったのだ。

(まずいですね……)

 もうすぐ、呼びつけておいた彼女も到着する。そのときに錫杖がいなければ困るのだ。トルーはサイコメトリーで錫杖の痕跡を探る。このアジトの中はともかくとして、多くの人の痕跡と思念で満ちている池袋市街で錫杖を追跡するのはなかなか骨が折れそうだ。だがどちらにせよ錫杖は池袋の何処かにいるだろう。金は持たせてないし電車に乗ったりはできないはずだ……。トルーはアジトの留守を部下に任せると自ら錫杖の追跡に乗り出した。この仕事は自分でやり通さねばならない。

***

「とにかく、金は払え」
「まことか、店長さんよ」

 錫杖はラーメンを食ったはいいが金を一銭も持ってないことに会計時に気づいて困っていた。ここ数日トルーさんとかいうミスTにそっくりな人にご飯食べさせてもらってたから財布持ってないことに気づかなかった。
 さてどうしたもんか。財布どころの騒ぎではない。そもそも2045年に来てからこっち、一銭も持ってないんだ。知ってる人はトルーさんだけだし、かといって連絡の仕方もわからん。これはもしかして詰みか?
錫杖はこの後どうするべきか考える。

 プランA:いっそのことここで雇ってもらう。金がないし仕方がないかもしれない。でも嫌だ。

 プランB:店長を殺して逃げる。でもいつ帰れるかもわからん2045年でわざわざ犯罪者になりたくない。

 プランC:鎖鎌が来て助けてくれる。そんな都合のいいことってある?

 錫杖は目をギュッとつむって覚悟を決める。やりたくないが、仕方がない。

「あのう、じゃあその、皿洗いでも……」
「あーーーーーーーっ!!!!」

 入り口から聞き覚えのある声が響いて錫杖の鼓膜を震わせた。
 振り向くと鎖鎌が立って指をさしていた。

***


読んだ人は気が向いたら「100円くらいの価値はあったな」「この1000円で昼飯でも食いな」てきにおひねりをくれるとよろこびます