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私の生きづらさ

20年わたしとして生きてきて、何となく自分の苦手分野が見えてきた。
これとこれが苦手。2つの共通点は…と追っていった先に、見えてきたものがある感じ。

みんなと同じに、言われた通りに

私は、言われたそのままのことをその通りに実行するのが苦手だ。

前に学校の課題で「提示された書類と同じものをワードで作る」というのがあった。
文字のサイズも、フォントも行間も、デザインも例と同じにしなければいけない。図もグラフも、その通りに仕上げなくてはならない。

ものすごいストレスだった。
同じにしなくては、と思うと何処から手をつけていいか分からなくなるし、説明文が理解出来なくなって混乱する。

泣きそうになりながら取り組んで、それでもお手本と同じにならなくて、出来なくて、結局友達に手伝ってもらって完成した。

思い出すのも嫌なくらい。
胸がぎゅーっとなって、なんでこんな簡単なことが出来ないんだろうと自分を責めた。

そういえばこの前こんなことがあった。
介護センターの実習にて、脳トレの1つとして「『さ』の付く言葉を挙げよう」のゲームをやった。
利用者さん達はみんな「さ」が先頭に付く言葉を挙げた。桜とか、秋刀魚とか。

私は「うさぎ」と言った。言葉の先頭は「さ」ではないけど、「さ」はちゃんと付いてるし。先頭にある言葉が思いつかなかったからまぁいいか、と思って。
するとスタッフさんに「学生さん、若いのに大丈夫?」って言われた。ゲームは私を飛ばして続いた。

私は「『さ』の付く言葉」と言われたから言っただけだった。多分これが学校教育だったら、指示を明確にしなかった教師が失敗したなぁと思う場面だろうし、「なんでうさぎなの?」とか聞くと思う。
でもゲームを終えてスタッフさんが私に言った言葉は、「ちゃんと『さ』が付く言葉わかった?もしかして天然なの?」だった。

私はちゃんと考えたなりの答えだったのになぁと、自分が考えていたことが伝わなかったことにショックを受けた。グサッと何かが刺さった感じがして、曖昧に笑うしかなかった。寂しかった。

いまの例でもあったとおり、私は指示されたことをみんなと同じようにやるのが苦手だ。
「うさぎ」だって「さ」がつくから、先頭が「さ」じゃなくてもいいじゃんってなるくらい、結果が同じであれば、アプローチはそれぞれ違っていいと思っている。
結局は脳トレになればいいし、なんでもいいのだ。

お手本見せるから、同じにやって見せて

アルバイトで、電話対応についてスタッフさんから習った。私はこれまで受付のバイトをしたことがあり、電話対応もわからない訳ではなかったけど、知ってるというのも棘があるなと思って言い出せなかった。

スタッフさんは「お電話ありがとうございます。」から他の定型文までをマニュアルを見せつつ全て私に聞かせた。そして、「じゃあやってみて」と1件の電話番号を私に渡した。
そして私を真横で見守っている。

え?と思った。ここで電話をかけたら、さっきと同じことを言わなきゃいけない。電話を持つ手に必要以上の力がこもった。
結局電話は繋がらなくて、「じゃあまた今度やろうか」ということになって終わった。

でもやっぱり、その場で教えて見せて、直ぐに実践させてその通りにできるかどうか判断されるのは向いてないな、と思う。その通りに出来なかったら相手に失礼だなとも思ってしまうし。

苦手、の先は

苦手とわかったところで、生きづらいのに変わりはない。
ある程度自由に振る舞える場所を自分が選ぶことは出来るけど、結局は私に教える立場の人がどんな人かに左右されてしまう。

今すぐ何をどうするってわけじゃない。
でも何となく、頭の片隅に入れて置いて、指示通りやるのが得意な人に任せたり、逆に私がその人の苦手分野を助けてあげたりして上手くやっていけたらなぁと思う。

悲観はしたくない。ただ、私には出来ないってだけ。
それだけじゃんか。

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