エッフェル塔_note

巡礼前夜〈パリ、モンパルナス〉

私はなぜかパリにいて、カビ臭い、いまにも崩れ落ちそうなおんぼろホテルの一室でこの日記を書いている。壁紙はあちこちはがれてシミだらけで、カーペットは元の色を失い、廊下では何やら大がかりな工事中だ。おまけにがたごと揺れながら昇降する年代物のエレベーターの恐ろしいことといったら! 

この最低なホテル「ニューモンパルナス」に110ユーロも払ったらしい私の夫(いつこの呼び方に慣れるのだろう!)は、いつものめちゃくちゃな日本語の歌を上機嫌で歌いながらシャワーを浴びている。その湯気がここまで届き、もともと湿っぽい部屋の湿度をますます上げる。

いつもの旅行ならため息をつくところだが、今日は違う。じわじわと興奮が襲ってくる。平静を装っていても、本当は大声で叫びたい気分だ。

「私たちは今朝、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す旅に出ました!」

”遠距離恋愛中”だった去年のちょうど今頃、ベトナム・ニャチャンの人気のないビーチでプロポーズされた直後に「サンティアゴ巡礼に行きたい」と切り出したとき、彼(もちろん、そのときはまだ「夫」じゃなかった)は目を白黒させた。

「なに、なにそれ」

「あるでしょ、スペインに。サンティアゴ・デ・コンポステーラってところを目指して延々歩くやつ、私、それがやりたいんだよね。ハネムーンはいらないから」

「あぁ、あるね。『ヤコブスヴェーク』(Jakobs Weg、ドイツ語で『聖ヤコブの道』の意味)。え、あれに行きたいの? 無理だよ。タイヘンすぎるよ!」

なんて風に彼はもちろん反対したが、でも私はあきらめる気はなかった。さらにさかのぼって10年前、大学4年の卒業間際に四国遍路を結願(四国遍路道を歩ききることを「結願、けちがん」という)したその日から(このときのことは、きっとこの先の道中で何度も思い出すはずだ)、スペインのサンティアゴは次なる目的地だったのだ。

同年に社会人になってから、がむしゃらに働いて、目の前の仕事をこなすことに精一杯になり、気づけば昔はこぼれ落ちるほどあったはずの夢や野望がすっかり消えて、私は30歳を超えていた。

承諾すれば、「ドイツ移住、退職」を意味する「プロポーズというオファー」を受けたのは、それでも十分に満ち足りていた日本の暮らしと、大事なひととの結婚に加え「日本以外の場所で働いてみたい」という、唯一残っていたともしびのような夢を天秤にかけた結果、後者がわずかに下に傾いたからに過ぎない。

そうして渡独を決めた直後から、消えてなくなったと思っていた野望がむくむくと再び湧き出して(それは、ドイツ語を流暢に操る、だとか、ドイツ社会で一人前に働く、といった単純なものであったけれど)、かつての自分が戻ってきたような気分になったのは驚いた。

そうした中で、叶ったとしてもそれこそ定年後のことだろうと思い、すっかり忘れていた「サンティアゴ巡礼」への思いが再び浮かび上がってきたのは当然といえば当然のことだった。安定した仕事と、安心な日本の生活を手放して、かわりに新しい家族と、不確かな夢と、自由な時間を手に入れた。行くなら今しかなかった。

ベトナムのじりじり照りつける太陽の下、「誤解しないで。誘ってるんじゃなくて、報告だから。あなたが行かないなら、私はひとりでも行くからさ」なんて、いつも通り可愛くない言い方をしてしまう。もごもごと「いやいや、だめだよ、危ないよ、ひとりでは行かせられないよ」と言う彼を見ながら、舗装されたきれいな道路から、あらぬ方向へ大きくハンドルを切った自分を感じていた。

それが1年前。ひとまず彼は職場があるミュンヘンに、私は東京の会社に戻り、婚姻手続きや結婚式、引っ越しの準備を進めながら、本を読み、映画を観て、新しいバックパックやトレッキングシューズを選び、友人たちにさんざん語って、サンティアゴ巡礼への気持ちを高めてきた。体のほうは、流行りの皇居ランと、下手の横好きのカポエイラ(ブラジル発祥の格闘技)で鍛えてあるので、それほど心配はしていない。

一方彼は、協会に申請し「クルデンシャル」と呼ばれる巡礼証明書を手に入れ、行き帰りの航空券を予約し、スタート地への道のりを調べ、天気や気温をチェックし、靴擦れ対策グッズを買って、準備万端整えてくれていた。

ミュンヘンから、最もメジャーなスタート地であるフランスとスペインの国境付近の村、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーを目指すには列車でパリまで6時間、パリで1泊して翌朝列車でさらに5時間南下し、初日は昼過ぎから歩き始めるのがよい、というプランを考えたのも夫。

我ながら自分勝手だが、本心を言うと、「私の」ではなく、「私たちの」巡礼になってしまい、まるで整えられたパッケージツアーのようになってしまったのがちょっと疎ましいような気分だ。より苦労はするかもしれないが、本当はひとりで気ままに右往左往したかった。もう独身生活も終わってしまったのだと、がっかりしたような気持ちになる。

ということで、私にとって初めてのパリ! まさか巨大なバックパックとトレッキングシューズで入ることになるとは思いもよらないことだった。

適当なカフェでブッフ・ブルギニヨンを食べて(肉が硬くてあまり美味しくなかった)、エッフェル塔と凱旋門とルーブル美術館とオペラ座を外から少しだけ眺めて、馬鹿みたいに高いカフェ・オ・レを飲めば(ふたりで約18ユーロだ!)、短いパリ滞在も終わり。ホテルに戻って、夕ご飯がわりにそのあたりで買ったバナナとヨーグルトを食べた。

わが「夫」は、砂埃でざらつくベッドの上でなにやらがさごそと装備をチェックしている。早朝にミュンヘンを出発してから、列車のなかで子どもがやかましいだの、お尻が痛いだの、隣席の女性のケータイの音がイライラするだの、得意の愚痴ばかりだった。パリについてからも、メトロ切符売り場で声をかけてきた男にだまされて間違った切符を買わされ、10ユーロほどを失ったりと(私が「ぜったいこの人怪しい」と夫の袖を引っ張ったにもかかわらず!)、いまから過酷な徒歩の旅に出るというのに、この人は本当に大丈夫だろうか、と少し不安になる。

今度はベッドに長々とねそべってガイドブックを読んでいる姿は、まるで巨大な白アスパラガスみたいだ。

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※夫の日記はハフィントンポストで連載しています。→日本人の妻と、900kmを歩く旅に出た。

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