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決別の日

現地で応援できるのは今日が最後。
そんな気持ちで私は札幌ドームに向かっていた。

昨日の夜、野球観戦の準備をした。観戦用のバッグにタオルを詰める。何枚も、何枚も。そしていつものタオルの他に、黄緑色のタオルをそっと入れた。
タオルに書かれた名前は「廣岡大志」

3月1日にヤクルト廣岡と巨人田口のトレードが発表された。ヤクルトの廣岡が巨人の廣岡になってしまった。
私は子供の頃からヤクルトファンだけど、それはいつも父親がナイターを見ていた影響だ。当時、私の家にテレビは一台。父の見ている野球をなんとなく見ているうちに、弱いけどおもしろい選手のいるヤクルトが好きになった。一番最初に好きになったのは池山隆寛さんだ。三振かホームランかという一か八かのフルスイングに魅せられた。
それから20年ほどヤクルトを応援し続けていたが、池山さんのあと好きになった土橋勝征さんが引退してからは、私生活の忙しさもあって野球を見ることがなくなっていた。

それから10年、私生活の忙しさがひと段落して、また野球を見るようになった時、大好きだったヤクルトには子供の頃と同じように36の背番号を背負い、ショートを守り、三振かホームランかという豪快なフルスイングをする若手選手がいた。

それが廣岡大志だった。

この若手は応援しないわけにはいかないな。
そう思いながらユニフォームを買い、タオルを買って応援するようになった。しかし私の住んでいるのは札幌。オープン戦や交流戦の時に札幌ドームに行って応援する他はテレビの前での応援くらいしかできなかった。

そんな廣岡がトレードで巨人に行く。
「巨人に行っても廣岡を応援するよ!」
そう言いたかったけれど、私には大きな問題があった。
巨人が嫌いなのだ。
うちの父は、アンチ巨人だった。
毎日テレビで野球中継を見て、巨人の対戦相手を応援していた。当時の巨人は強かったから、余計に熱くなって巨人をボロクソに言いながら、巨人が負けることを願い続けてきた。
これはもう、箸の使い方と同じで子供の頃からの親の躾なのだ。あるいは洗脳と言ってもいいかもしれない。そんな親の元で成長した私には、巨人というものは「敵」でしかない。

どうしても、巨人が、嫌いだ。

巨人の応援はできない。巨人のグッズは買えない。オレンジ色のタオルなんて持てない。
廣岡のことは応援している。だけど「巨人の」廣岡を球場で応援することはもうできない。
だから今回はラストチャンスだった。

3月6日オープン戦。巨人対日本ハム。札幌ドーム。
まだ廣岡のタオルは発売されていない。廣岡のヤクルト時代のタオルを掲げるなら、今しかない。
元々、6日のチケットは取っていたが三塁側(日ハム側)だった。
さすがに三塁側で相手側のタオルは掲げられない。一塁側内野席を買うかどうかはスタメンを見てからにしよう、とスタメン発表を待った。

廣岡はスタメンではなかった。しかしショートのスタメン坂本が最後まで出るとも思えない。たぶんどこかで出てくるだろう。そう判断して一塁側内野席を買った。
巨人が5回表に大量得点を取り、その裏から廣岡がショートの守備についた。2回くらい打席が回ってくるだろうか。

7回表、トップバッターが廣岡だった。
ファイターズの選手が守備につく前から、廣岡のタオルを掲げた。タオルを持つ手がなぜか震えていた。自分のどんな感情が手を震えさせたのか、正直自分でもよくわからない。寂しいとか悲しいとか、そういう気持ちでも手が震えるのだろうか?今振り返ってもよくわからないが、9回表の2打席目でもやっぱり手が震えていた。手だけでなく、足も震えていた。気づいたら体全体が震えていた。
今は声を出して応援することができない。心の中で「頑張れ、頑張れ」と唱えながら、じっと見ていた。見ることしかできなかった。
ヒットを打つ廣岡は見れなかったけど、タオルを掲げて応援することができて、自分の気持ちに区切りをつけることができたと思っている。

さようなら、私の好きだったヤクルトの廣岡大志。
もう球場で応援することはできないけど、あなたが巨人で活躍することを願って、そっとテレビの前で応援しています。

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