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経験の咀嚼〜隠岐島を思う〜

人生において、経験は糧であると考えています。しかし、私はその経験をうまく飲み込めていません。シリーズ「経験の咀嚼」では経験を文章化し、表現方法を模索する試みです。こぼさないように、残さないように、よく噛んで、いただきます。


先日、隠岐島地域振興課のメールマガジンで「つながり会員」に向けて「豊中まつり」の参加とお手伝いスタッフ募集のお知らせが届いた。
隠岐の島町を離れてしばらく経った頃に知った隠岐島の関係人口創出プラットホームである「つながり会員」。隠岐島と少しでも繋がれるのならと、数ヶ月前に会委員になった。

隠岐の島町ホームページより

希望と挫折

私が隠岐島を知ったのは2021年の6月。地域みらい留学のオンライン学校説明会をたまたま見た時だった。隠岐高校の説明内容はどの学校よりも強い「ワクワク」があった。説明内容を聞いた瞬間から隠岐に行く以外の選択肢が考えられなかった。
当時私は体調不良の真っ只中だった。どんなに学校に行きたくても行けない。体が重だるい。苦しい。そんな中で見つけた隠岐高校へ行くと言う目標は私の活力となった。

学校見学、受験、入学手続き、引っ越し。度々隠岐島に降り立ちその度に好きになった。

隠岐で撮影した好きな景色

期待を膨らませて入学し、毎日を必死にこなした。体調は良くなっていなかった。
慣れない人、慣れない部屋、慣れない食事、今までの習慣だった入浴ができない(シャワーのみ)など、弱った体には過剰な環境の変化が肉体と精神を削っていった。ギリギリの均衡を保った、つなわたりの日々だった。
その均衡が崩れた6月13日、隠岐島を離れた。
隠岐島で過ごせたのは経ったのはほんの2ヶ月と少しだけだった。

そして、今

詳しい表現をしていないが、隠岐島で経験した体調、精神状態はトラウマになりかねないほど辛い状況だった。
隠岐を離れてから1年と数ヶ月。
初めは隠岐島のことを考えることを避けてきたが、今は「つながり会員」になり定期的に隠岐島の情報を受け取っている。
あんなに苦しい思いをしたのにも関わらず、SNSを通じて隠岐島の情報を受け取ると、また行きたいな、住みたいなと思う。いつの間にかこんなにも隠岐島のことが好きになっていた。
現実問題、隠岐島に行くことも、住むことも、今のところ叶わないが、関係人口として本土から隠岐島を応援したいと思っている。

まずは、「豊中まつり」のスタッフとして隠岐島を応援したい。



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