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ストロー男とトレンド女

個人的にここ2週間くらい長く会社をお休みしていて、いろいろフィンランドの湖畔で物思いにふけっていて、その中でふと「ああこれはもっと文章を書き続けないといけない」と思ったので、noteもっとちゃんと書こうと思ったので駄文書きます笑

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「こんなに問題になっているのに、平気でプラストローをガンガン使う男は恋愛対象としてムリ」って電車で話してる女性がいたんです。エコじゃない人が嫌いとかそういうことじゃなくて、世の中でこんなにトレンドになっていることに疎いセンスがムリっていうことらしく。手厳しいなあと思いながらも、好みなんて個人の勝手だから、まあいいよねそれは。

「私は〇〇が好き」「嫌い」に、理由なんて本来いらないはずで、”なんか好き” ”なんかいや” でいいはずですよね。好き嫌いなんて本来、だれか他者に説明する責任があることでもなければ、同意を取らないといけないものでもない。でもなんか最近、ここをなんだか、誰かに申し開かないといけないとか、人にわかるように説明できないとそれは「好き」といってはいけないとか、そういう風になりすぎじゃないですか?あるいはそういうことを人に言うと、「そんな理由で嫌いっていうだなんて可哀そうだ」とか、冒頭のトレンド女とか言われそうですけど、そもそもそんなに人に言わなくてもいいのにねって思う。

「私はこう思う」というだけの意図の発言と、「あなたもそう思うでしょ??」というところまで含意されている発言が、話す側も、受け取る側も混同しすぎじゃないかなと。「あなたもそう思うでしょ?」と自分から振っておいて、賛同を得られないと「ほっといてよ!」ってなるとか。その逆とか。何となく自分は、「自分が何かを好きとか嫌いとか感じる感情」を、「他者からの賛同なしに独立して持てるようになりたいなあ」と、ストローNGな話を横から勝手に盗み聞きしておいてそりゃねえだろと心の中でツッコミを入れてしまった自分を自覚して思った次第。

「これが好き」を、「これが好きな私、っていうのに承認をプリーズ」っていう方向に捻じ曲げない自分でありたいなあ。「好き嫌い」に、わかりやすいとか、人の役に立つとか、そういうことはいったん、いらないはずなんだからね。

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