局所比較

「局所的な比較」の弊害について

「自分は彼と比べて、こういうところがダメだ」
「あの子と比べると、性格のこんなところがねじ曲がっている」
「世の中の同世代と比べると、どうにもこういうところが煮え切らない」

まあ僕が得意な思考パターンなんですけどw 人間もそうなんですが、企業やブランドも”局所比較”をしてもろくなことがないなと最近思います。

「あのブランドと比べると、費用対クオリティが見劣る」
「でもあの競合商品と比べると売ってるお店が少ない」
「しかも、別のお金の使い道と比べるとどうも手ごたえが少ない」

こんな風に、相手を変えて比較するポイントを変えれば、いくらでも負けるストーリーが作れちゃうわけです。そりゃそうだ。間違いない素晴らしいものがもし作れれば、あんまりプランニングいらないわけで。局所的な勝ち負けを超えた「本質的な提供価値」は何なんのか?言い換えれば、本質的な存在意義、なのかもしれないけど、それが見えていて、そう成れるように頑張ってさえいれば、細かい比較は害悪でしかないなと思ったんですね、最近。

励みにするために周りをみることは必要だと思うのだけど、一喜一憂しすぎてもしょうがない。本質的に考えて、それでいいのかが大事ですね。(考えずに、楽しいほうへまっすぐに進めればそれが一番なんだけどね。)

完全に自戒じゃねえか、っていうメモ。

サポートありがとうございます! 今後の記事への要望や「こんなの書いて!」などあればコメント欄で教えていただけると幸いです!