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「やる」を逃がすな!

下ネタじゃないですよ笑

仕事で様々な会社をよりよい組織にしていくお手伝いをさせてもらっていますが、最近ふと気づいた「気を付けたほうがいい言葉」がある。『やる』という言葉。

・それは誰が「やる」んですか?
・最後まで「やらせて」ください。
・次回、いつ「やり」ますかね
・A部署とB部署とで合同で「やる」のがよさそうですね
・いいねーそれ、ぜひ「やろう」

いくらでも例文書けますけど、日々これでもかっていうくらい使われる便利で、基本前向きな言葉。なんでこれを気を付けて扱ったほうがいいなと思ったかというと、

△前向きゆえに何かを決めた錯覚に人を陥らせる
△具体性がなく、そのあと推進が停滞したり非効率的なことになりやすい
△人によって解釈に差が出やすく、後でもめたり空中分解につながる
△いうだけなら簡単なので、だれでもいえてしまう
△曖昧さのしわ寄せが立場の弱い人(若手とか)に結果いく

とかとか。これらの結果が、

「え、あの人自分でやるって言ってたよね!(怒)」
「うちの部署がそこまでやるとは、思ってなかったんだけど」
「僕はここまでしか”やる”つもりないっす、最初に言いましたよね?」
「で、このミーティング、なにをやるんだっけ?笑」

とか、こんなことに日々日々つながっているように思うのです。主語を個人にとってみれば、それくらいの曖昧さやむちゃぶりを乗り越えて成長する、という事実はあるかもしれないけど、組織を主語にして考えるとこの言葉はやっぱり、気を付けて使ったほうがいいなと。なのでパートナーとして自分が、この言葉に出くわしたときには最近なるべく、「〇〇さんの今おっしゃった、”やる”って、どんなイメージですか?」と聞くようにしてます。5W1Hみたいなベーシックな話でよいので、その「やる」を具体化しておく。もちろん、「やってみないとわかんない!」ことだってたくさんあるので、その勢いに水を差すのはよくないこともあるのだけど、であれば「やってみないとわからないのでイメージできてない部分がある」という認識をシェアしたほうがいい。そして特に大事なのは、言ってる本人が自分の「手」をどこまで動かすつもりで言っているのか。ここ。僕も自戒と反省を込めて書きますけど、ここの認識があまく意思決定をすると大体周りを振り回すか、振り回されるかする。人はとかく、自分のイメージと相手のイメージが「重なっているだろう」と楽観的にコミュニケーションしがちだけど、特に新しい価値を生み出そうとアクションする場合、やり方そのものに定石とかプロセスとかない場合ばかり。それって「やる」の共通認識から丁寧にコミュニケーションしていかないといけないということにほかならないと思うんです。

新しいことがうちはできない!という組織の原因の8割はコミュニケーションだと思うので、思わず今日は「やる」を逃がすな!という話のメモでした。基本、いい言葉だと思うんだけどね。

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