ないものをみる

「ない」ものを見る目

コナンでも古畑でもコロンボでも金田一でも、名探偵に共通する観察眼のひとつに、「本来、この状況だったらあるはずのものがない」ことに気づく目がある。『外から入ったなら外側のドアノブに指紋がついているはずなのに、内側にしかない!』的な、あれです。何があるかを見るのではなく、何が無いかを見る目とでもいいましょうか。言われてみれば確かにその通りだ!となって、それが犯人のアリバイトリックのほころびになったりする、例のアレ。人間、「ある」ということよりも「ない」ということに気づくほうが、状況や環境を脳の中で抽象化しないとできないことなので、難しいということでしょう。ましては犯人は「実際は起こっていないことを、さも起こっていたかのように偽装するために、その起こっていないことが起こったらあるであろうモノゴトを置く」っていうさらにいっそうややこしいことをしているわけだから、ほころび出るよねっていう。

仕事柄、観察は日常で、フィールドワークの資格も持っているので、一時期遊びでやっていたフィールドワークの会を、会社の後輩たちと復活させて月に一度、2時間だけ観察をし始めました。参加してくれてるメンバーのnoteを見てもらうとわかりやすいかも。

この会でも改めて、「ないものに気づく目」というのが、ひとつ高次の観察をするうえでポイントになるなあと改めて感じる。そのためには、今目の前にある「フィールド」だけを微視するのではなく、そのフィールドを抽象的に解釈したときに、そのレベルで類似のフィールドを脳の記憶から引っ張り出してきて突き合わせをするという虚視をしないといけない。本当にモノゴトを見る目が立体的な人は、これをやっている気がするのです。

「年の功」とかいうものも、結局はこの「記憶のストックが多い」ってことなのかもしれない。もちろん、それそのものがバイアスになることもあるから気を付けないといけないのですが。違和感に気づくことと、その違和感を排除することにかたくなになっちゃうことは、別ということかな。

こんなえらそーなことを言いながら、月に一度は家に財布を忘れて出勤してしまうので、まずは手荷物の観察をしっかりすることからはじめたいと思います。キャッシュレス社会万歳。

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