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NHKの人に脳を破壊されたけど、文学の力で治った話


今年は太宰治の生誕百十年と聞いて、意外と最近の人だったからびっくりしつつ、その記念ということもあって町田康さんが太宰をテーマに全二回の文学講演をやった。

私は日本現代文学の作家のなかで町田康がもっとも好きで、過去にも町田さんの講演に何度か行っているがそれらはいつも単発で、今回のように全二回という、なんとなく学校のカリキュラムみたいなのは初めてだったので興奮してしまい、10.346円という若干お高めの、しかも一ヵ月以上先の講座に「高っ、こわっ」と言いつつ即日申し込んだ。

何が「こわっ」なのかというと、講座の第一回目は一ヵ月先だが第二回目は二ヵ月も先なところで、つまり、二ヵ月後の自分も今と変わらず元気だというビジョンがなさすぎてこわかったのだ。

まあでも、二ヵ月先にこんなに楽しみな予定があるのは幸せなことなので、がんばって生きた。その間、久しぶりに太宰の長編・中編・短編とまんべんなく読み返したが、広辞苑ほど厚みがある全集で読んだため米俵くらいの重量があり、膝に乗せて読むには重く、痛く、苦しく、電車の中で立って読むと腕がもげそうだった。でもそんな日々が楽しかった、うれしかった、幸せだった。

つまりそうやって自分は、町田さんが話す太宰を楽しみに一ヵ月を送ってきた。頭の中では毎日のように太宰治と町田さんが、おーいお茶を飲みながら「ただ一切は過ぎていきます」「ええ、過ぎていきますね」「あぶら」「かたぶら」みたいなことを語り合っており、それ以外のことは何を話しているのかまったくわからないながらも、講座に行けば解明されるかもしれないと、私はどんどん高まった。

やがて講座二回目の日がやってきて、「は? 一回目は?」と思われるかもしれないが書きたいのは第二回目のことなので時空を捻じ曲げた、許してほしい、で、第二回目の日、教室に到着した私は、講座が始まるまでの待ち時間にも太宰を読み続けた、頭も心も太宰治でギンギンだ、しかも、今から町田康が、さらなる深みへ連れて行ってくれるのだ、あぶら、かたぶら!

会場となったNHK文化センター青山教室、150人くらい入るのかな、よくわかんないけど大教室、その、前から二番目に座った私は、短編『乞食学生』を読んでいた。あと少しで私の中には太宰の魂、といって大げさなら太宰の粕(かす)みたいなもんが飛来しそうになっていて、つまり太宰治の何かにもう少しで手が届きそうだった、ああ、ほら、これこれ、昔はわからなかった太宰の、これはきっと――――そのときだった、前方にマイクを持った背広姿のおっさんがおもむろにあらわれて、『8K番組体験 特別講座』なる謎の名称で、あろうことかNHK BS 8Kチャンネルのセミナーを始めたのである。手が届きそうだった太宰の粕みたいなもんは、瞬く間に消え去った。

本を読んでいたのは私だけではなく、というか、文学講座に来ている人たちだ、半分くらいは何かしら読んでいたんじゃないだろうか、もしかしたら太宰の降霊を試みて精神を高めている人だっていたかもしれない、そこへ、NHKの人はマイクを使い、いかに8Kがすごいか語っている、私は、うーむ、と思いつつ両耳に人差し指を突っ込んで音を遮断、その姿勢のまま断固として読書を続行したが、ページをめくるためには耳から指を抜かねばならず、抜いた瞬間、おっさんの声が「つまり8Kですとぉ」とか「映像美がぁ」とかいって侵入してくる。ぜんぜん集中できない。手が届きそうだった太宰の何かも去ってしまって哀しい。

やがておっさんは、レディースアンドジェントルマン、みたいな顔をして「それではここで、実際の映像をご覧ください!」と言うと、10,346円を払って文学講座を聞きに来た人々の前で巨大なテレビのスイッチを入れた。

チャチャーン

資料用の映像が始まる前、ほんの数秒、テレビには野球中継が流れた。
バッターボックスにはライオンズの選手だ。つうか、たぶん外崎だ。構えが外崎っぽかった。これがまたいい選手でね。そう、いい選手なんだよ。とにかくいい選手で、いい選手なんだよねー。

ああ、一ヵ月かけて育ててきた太宰のための、文学のための脳細胞が死滅していく。「いい選手」以外の表現も、何も思いつかない、思いつけない、思い浮かばない。脳が痛い。

おっさんの8Kに関する話はその後30分の間、続いて、しかも、最後に、おっさんは、『8K番組体験 特別講座』のアンケートに答えてほしいと懇願した。そして「もしかして、もう書けている人はいますか!?」と身を乗り出し、これから始まる文学講座の風情や情緒をなぎ倒し、「お礼に粗品を、粗品を差し上げます」と言ってその場でアンケートを回収するため、粗品を配りながら教室中を歩き廻った。私は、

まさにいま文学の海に身を任せようとしている人間を前に、なぜNHKの人は、8Kチャンネルの宣伝とかができるのでしょうか。30分も。マイクを使って。こんな文句を述べる私の方こそ、無粋でしょうか。悪でしょうか。しかしながら太宰だって、「作家は例外なく、小さい悪魔を一匹ずつ持っているものです。いまさら善人づらをしようたって追いつかぬ」と書いておるのです。だざいおさむでございます。

という内容のアンケートを書きたくなったが、あまりに長いので書かなかった。あぶらかたぶら。


町田さんの話は、すばらしかった。
太宰の『風の便り』に出てくる下記の部分を朗読し、「生きていくことも、こういうことかと思います」と言ったときの町田さんの言葉を私は一生、覚えていたいと思って、そのとき、死滅したはずの自分の脳細胞が、ああ、よみがえったんだなあと思った。

自分は君に、「作家は仕事をしなければならぬ。」と再三、忠告したはずでありました。それは決して、一篇の傑作を書け、という意味ではなかったのです。それさえ一つ書いたら死んでもいいなんて、そんな傑作は、あるもんじゃない。作家は、歩くように、いつでも仕事をしていなければならぬという事を私は言ったつもりです。生活と同じ速度で、呼吸と同じ調子で、絶えず歩いていなければならぬ。(中略)生きているのと同じ速度で、あせらず怠らず、絶えず仕事をすすめていなければならぬ。駄作だの傑作だの凡作だのというのは、後の人が各々の好みできめる事です。作家が後もどりして、その定評に参加している図は、奇妙なものです。作家は、平気で歩いて居ればいいのです。五十年、六十年、死ぬまで歩いていなければならぬ。「傑作」を、せめて一つと、りきんでいるのは、あれは逃げ仕度をしている人です。それを書いて、休みたい。自殺する作家には、この傑作意識の犠牲者が多いようです。

(太宰治『風の便り』より引用)




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